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2013年8月14日 (水)

読み終わったのだけれど…

先月の下旬から読み始めていた、村上春樹の『1Q84』を読み終えた。うーん。面白かったし、登場する人物の造型やストーリーの構成もみごとだなあとは思う。思うものの、えっ、ここまできてこの結末?

いや、この結末は読者も求めている形だろうから、その点ではやむを得ないと思う。しかし、BOOK1からBOOK3までの大部を費やして、この結末はしりつぼみの感がぬぐえない。その点だけ大いに不満が残る。それともBOOK4の構想でもあるのだろうか。それなら、まだ物語途中ということで、この中途半端な感じも理解できる。

なんだかすっきりしない読後感だ。それは、ストーリーが展開していく途中でなされる説明的描写が、「らしく」ないなあとどこかで引っかかるものがあったことにも通じている。御都合主義的展開と言われそうな部分を、説明的描写がなめらかに接続していく。うまいなあ、と感心する。けれども、継ぎ目が分からなくなるまで磨き込んだその職人的技術が、かえって、自然な物語の流れを統御している作者の「手」を意識させる。村上春樹はこんなに説明的じゃなかったはずだ、そういう思い込みが押さえられない。

「タマル」が語るエピソードに、ネズミを彫る少年が出てくる。木の固まりの中から、少年はノミでネズミを彫り出す。ネズミ以外のものは彫刻できない。この話は、夏目漱石の『夢十夜』にある運慶の出てくる話に似ている。運慶も木の中に埋もれている仁王像を彫り出してくるのだ、とされている。おそらく村上春樹の中にも、物語を木塊の中から彫り出してくるような感触があるのだろう。これまでの村上春樹の長編には、均質な強度を維持した物語が、文字通り「流れるように」展開していた。人為の跡を感じさせるようなものが残らず、物語だけが読後に残る。そういう世界だったと思うのだが、なにかざらついた砂埃のようなものが、この作品の読後に残ってすっきりしない。

再読すればまた別の感想を持つのかもしれないが、BOOK3で完結だとすると、この『1Q84』は壮大な失敗作なのではないか。

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