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2013年7月30日 (火)

七月の読書

さて今月は何を読んだっけ。初旬に読んでいたものは、なんだかうまく思い出せない。中旬に一気に読んだのが、

『落日燃ゆ』城山三郎、新潮社、1974年

文民で唯一A級戦犯として処刑された広田弘毅の生涯を描いた、城山三郎の傑作である。広田弘毅は総理大臣を一度だけ務めるが、元々は外交官であり、大使や領事そして外務大臣の職責にあった期間の方が長い。

広田の他にA級戦犯として処刑されたのは、みな軍の指導者で、広田はそれらの人物との共同謀議を理由として死刑を求刑された。事実は逆で、軍部の独走を外交努力によって必死に押さえようとしていたのが広田であった。

すでに亡くなっている近衛文麿に責任をかぶせてしまえば極刑は免れたであろうに、広田弘毅は、自らのために計るということをしなかった。文官の中でだれかが責任を負わなければならないとしたら、それは自分であろう。外交による平和を模索しながら、結局は軍部を押さえることができず戦争へ突入する事態を招いてしまった。そういう意識が強かったようだ。

実際の広田弘毅がそうであったのかどうか、それはよく分からない。しかし、城山三郎が『落日燃ゆ』に描き出した広田弘毅は、実に清廉である。自分のために計らずという原則を最後まで曲げなかった人物である。一見すると愚直と思えるほどだ。周りの人びとから、自分の立場を少しでも有利なものにするために証言すべきだと勧められても、広田は頑なにそれを断る。

こういう人物がいたのだと、感慨深かった。最後まで政治家ではなく、外交官がその本分だったのだろうとも思う。

その他の本は、読みかけのままである。

『ベルリン日記』ウィリアム・シャイラー、筑摩叢書、1977年
『1Q84』村上春樹、新潮文庫、2012年

『ベルリン日記』は、ヒトラーが政権を取って間もなくのころから1940年までナチスドイツのベルリンに七年間滞在したアメリカ人ジャーナリストの日記である。ヒトラーとナチスがどのようにしてドイツ国内を掌握し、周辺国に侵略していったのかを間近なところで見ていたということになる。

『落日燃ゆ』を読んだときにも感じたことだが、歴史の渦中にいる当人たちにとっては、何も特別なことが起きているようには思われないのだろうなとあらためて感じる。それは、福島原発事故後の日本に住んでいる我々にしてもそうなのではあるが。おそらく後世の人々が現在の時代を振り返ったとき、なぜあのような過酷事故が起きて汚染された後も以前と変わらないような日常を送ることができたのだろう、と不思議がるにちがいない。

歴史的な瞬間の中にいるのだという実感は、その時々の人びとには希薄なのだ。それは「現実」でありこそすれ、「歴史」であるとは受けとめることができない。それが人間の性なのかもしれない。そういう点からも、ナチスドイツの日々を「現実」として目撃し続けたシャイラーの日記は興味深い。

さて、最後は村上春樹『1Q84』である。すでに話題となってから久しい。最新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が話題になっているときになって、ようやく以前の話題作を手にしている。もともとベストセラーは話題のピークには読まない、ということを原則にしているので、ほとぼりの冷めた今ごろが読みごろということになる。周回遅れで走り出すようなものだ。

まだBOOK1だが、実に興味深い。おやっと思うような描写や展開も多い。この先どう話が展開していくのか楽しみだ。

ではあるが、このブログで書いてきた「村上春樹を読む」のシリーズは、初期三部作を読み返したところで止まっている。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』も二回読み返したのだが、うまく記事にまとめられず、宙ぶらりんのままだ。この『1Q84』にたどりつくまでには、まだまだ相当の日時が必要だと思う。

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