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2013年6月18日 (火)

六月の読書

このところ何も書く気にならなくて、ブログも二週近く放置したままだった。そろそろ何か書こうかと思ったものの、何のことはない、とりあえず読んだ本のことくらいしか思いつかない。「五月の読書」のすぐあとが「六月の読書」というのも芸がないのだが…。

1.『楊令伝』八~十五 北方謙三、集英社、2009-2010年
2.『源義家』安田元久、吉川弘文館(人物叢書)、1989年
3.『平泉』高橋富雄、教育社歴史新書、1978年

1の『楊令伝』は、しばらく以前に七巻まで読んだまま中断していた残りを一気に読んだ。北上市立図書館と奥州市立水沢中央図書館のどちらにも所蔵されているので、貸し出されている巻をもう一方の図書館から補うような形で読み切ることができた。

この北方謙三氏の長編シリーズは、『水滸伝』(あるいはそれ以前の『楊家将』なども含めた方がいいのかもしれないが)に始まり『楊令伝』を経て、現在『岳飛伝』として進行中の「大水滸伝」構想の中盤を形作るものである。

読み始めると止まらなくなる。梁山泊の新たな頭領となった楊令が魅力的であるのはもちろんだが、この楊令も含め登場する人物がそれぞれ強さだけでなく弱さも抱えている。そういうところに多くの読者を惹きつける秘密があるのではないかとあらためて思った。超人的な武人のようでありながら、そうではないという描き方にリアルな人間の姿が浮かび上がってくる。そうした登場人物の誰かに共感したときに、このシリーズは単なる娯楽のための読み物であることを越えて深く胸に迫るものとなる。

以前に『水滸伝』のシリーズに触れたときにも書いたことだが、この北方謙三氏の「大水滸伝」シリーズは、吉川英治氏の『宮本武蔵』のような読まれ方をしていくのではないかと思う。現実にこんな人間がいるわけがない、と思いながら、その一方で登場人物の科白の一節が妙に頭から離れない。虚構であるがゆえに迫ることができる真実という、ごく当たり前のような話に行き着くということか。

2の『源義家』は、史料を中心に説話や伝承まで視野に入れて八幡太郎義家をとらえた伝記である。個人的には前九年合戦や後三年合戦のころの義家、つまりは父源頼義とともに陸奥国へ下向したり、自身が陸奥守として赴いた若いころの義家が何といっても興味深い。伝説的な武人としての義家の姿ということになるのだが、たしかに「天下第一武勇の士」と賞賛されるだけの弓の腕前ではあったのだろう。

『陸奥話記』の中で描かれるように、いわゆる「頼義七騎」まで討たれた「黄海合戦」の折、重畳する安倍氏の囲みをものともせず義家はその弓で敵将を倒し続ける。また前九年合戦終結後、鎧三領を重ねたものを射抜いてしまうエピソードなど、まさに神格化されるにふさわしい義家である。

しかしその義家の武人としての名声が大きくなるのに比例して、それを喜ばない貴族の勢力も現れてくる。義家に対抗させるため、弟の義綱が引き立てられ、骨肉の間に対立が生まれることになる。結局、院や権門の走狗であることを越えられないという時代的制約が義家には大きくのしかかっている。義家の子孫である頼朝のように、政治家として武門の論理を透徹するにはまだまだ年月が必要だったということなのだと思う。

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