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2013年5月23日 (木)

五月の読書・ここまで

最後の一冊は、三山喬氏による『ホームレス歌人のいた冬』(東海教育研究所、2011年)。

「公田耕一」さんの短歌が朝日新聞の朝日歌壇に選ばれ始めたのは、2008年の12月。それが大きな反響を集めたのは、その方が住所欄を「ホームレス」として投稿していたからだった。朝日新聞からも「公田耕一」さんに向けてメッセージが出される。最初は社会面に、入選者へ送る賞品の件で連絡を取りたいという内容。その次は「天声人語」で。

私が最初に目にしたのは、この「天声人語」の記事だった。月曜日の紙面に載る朝日歌壇も朝日俳壇もほとんど読んだことがなかったのだが、「天声人語」の文章でホームレスの境涯にある人物が投稿した短歌が入選を続けていると知った。確か、その短歌のいくつかも紹介されていたと思う。そのときの「天声人語」の記事に触れて、このブログでも「古典の底力」で少しだけ書いたことがある(こちら )。厳しい境遇にありながら何か凛としたものを感じさせる短歌だと思った。

しかし、もともと朝日歌壇に目を通す習慣がなかったので、それ以降どうなったのか知らないまま過ごしてきた。今回読んで、公田耕一さんの投稿が九ヶ月でぷっつりと途絶えてしまったということを初めて知った。公田さんのその後を案じ、このホームレス歌人を題材にした短歌も多く寄せられたようだ。

著者の三山氏は朝日新聞の元記者だが、朝日歌壇の熱心な読者ではなかったようだ。社会面に載った呼びかけに注目し興味を持ったことが、このルポの生まれるきっかけになったという。短歌に詠みこまれた地名から考えて、横浜の寿町という、いわゆる「ドヤ街」に公田耕一さんがいる可能性が高いのではないか。こうして三山氏の取材が始まる。

公田耕一さんにはなかなかたどりつかない。だが取材を続ける中で、ホームレスや「ドヤ街」で生活する人びとの置かれている現実に視線が向いていく。結局、公田耕一さんというホームレス歌人には会えなかったが、寿町に暮らす人々の生活を目にして三山氏はある確信を持つようになる。それは、表現をもつ人はそれが最後の支えになるのではないか、ということだった。

どれほど厳しい境遇の中に置かれていても、表現するものをもつ人は、その人がその人であることの核心のようなものを失わない。「書くこと」は「生きること」の同義語だという誰かの言葉を思い出す。

淡々と綴られていくルポは、静かな雰囲気の文章である。激しい抗議や社会の矛盾を糾弾するような調子とは無縁だ。それゆえに一層、人が生きていくことって何だろうなとしみじみ考えさせられてしまった。

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