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2013年1月13日 (日)

女性作家が嫌いなわけではないのだが

桜庭一樹の作品を続けて読むようになってハタと気が付いた。そういえばこれまで女性作家の作品を集中的に読んだことがなかった、と。

中学生のころは遠藤周作、高校時代は筒井康隆、浪人時代から大学一年のころはドストエフスキー。そこから石川淳、坂口安吾、太宰治、サリンジャー、カミュ、セリーヌ、丸山健二、中上健次、村上春樹。塾の講師となってからは司馬遼太郎や北方謙三が加わったが、集中的に読んだのは男性作家の作品ばかりだ。

もちろん女性作家の小説も読んだ。しかし、いずれも散発的に読んだだけで、今回の桜庭一樹のように集中して読んだわけではない。外国の作家にしてもそうだ。ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』がかなり面白かったので、そのうち他の作品も読みたいと思っているが、そういうケースがこれまで少なかった。

いくつかまとめて読んだことがあるのは、倉橋由美子と金井美恵子くらいで、それもずいぶん昔の話だ。結婚してからはカミさんが干刈あがたを読んでいたので、何冊か読んだ。しかしそれ以外の作家は、本当に単発でしか読んでいない。綿矢りさや金原ひとみの作品も芥川賞を受賞したものしか読んだことがない。

女性の書き手でよく読むのは、書評である。群ようこ、米原万里、斎藤美奈子など、私があてにしてきた書評家はみな女性である。男性では唯一丸谷才一くらい。なぜなのか理由はよく分からないが、彼女たちの書評が抜群に面白かった。

小説となると、女性作家が描く心理描写や感覚的表現がぴったりと来ないからなのかもしれない。男性を描写した部分は、特にそうである。桜庭一樹にしても少年や男性の描写は今一つピンとこないが、少女や女性の描写は秀逸だと思う。とりわけ、元気のいい少女の描写は光っている。

そうしてみると、長年『源氏物語』を読破できずにいる理由がやっと分かってきたような気がする。作者の紫式部が女性だからではないか。どうも女性特有の繊細な感覚的表現やものごとのとらえ方、感じ方がしっくりこないためではないか。そうです、女心が分からない野暮な男というわけです、ハイ。

そう言って結局『源氏物語』を読まない口実にしてしまいそうだが、今年はなんとか読破したいと思っている。せめて現代語訳だけでも。というわけで、年が明けてから谷崎潤一郎訳の『源氏物語』を読み始めている。これは男性作家が現代語訳したものだから、もしかしたらうまく読み切れるかもしれない…、と淡い期待を抱いている。

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