« 江戸的スローライフのすすめ・その36 | トップページ | 女性作家が嫌いなわけではないのだが »

2013年1月11日 (金)

江戸的スローライフのすすめ・その37

さらに『らくだ』の続きだが、大家が持ってきた酒を兄貴分は飲み始める。くず屋にも飲めと勧める。ところがこのくず屋、酒癖が悪く、酔いが回ると兄貴分の男にさんざんからんで毒づくようになる。立場がすっかり入れ替わってしまうおかしさがたまらない。

たしか志ん生師匠の演じたものでは、煮しめを肴に飲んでいたくず屋が、こんなもんで酒が飲めるか。魚屋に行ってマグロでも買ってこいと「らくだ」の兄貴分の男に命じる。四の五のぬかしたら、死人にカンカンノウを踊らせると言ってやれ。これでサゲになる。

同じ志ん生の別席の噺では、さらに続きがある。おそらくはこちらが本来の形だろう。

さんざん飲んで深夜になってから二人で焼き場に「らくだ」を運ぶことになる。菜漬の樽に納まった「らくだ」を酔っ払ったくず屋と兄貴分でフラフラしながらかついでいく。

ところが焼き場に着くとホトケさんがいない。フラフラ来る途中、どこかで樽をぶつけてタガがゆるみ底が抜けてしまったのだ。こいつはうっかりしてた、と元来た道を引き返してみると、道端に物乞いの男が寝ている。くず屋と兄貴分は「らくだ」の死骸だと思い込んで樽に押し込み焼き場へ運ぶ。

いざ火が焚かれ始めると、眠りこけていた物乞いの男も目を覚まして驚く。実はこの男、夢の中で酒にありつき燗をして待っているところであった。というわけで、「ああ冷やでもよかった」という物乞いのセリフでサゲになる。

志ん生師匠が演じた後の方の噺は、一時間近くかかるものだったはずだ。前半のカンカンノウと後半のくず屋の豹変ぶりがおかしくて笑える噺である。

さて、『らくだ』の噺では通夜の時に、大家に酒と煮しめを用意させている。長屋の月番が触れて回るというあたりも、なるほどと思う。葬儀屋さんに一括して任せてしまう現代と違い、通夜から葬儀まで互助的な形で行われていたようだ。今でも地方によってはそのようなしきたりの残っている所も多いと思う。私が住む所でも自宅で通夜を行う場合は、近所が手伝いに集まる。

ホトケさんの早桶を二人でかつぐという噺は、他にも出てくる。実際にかつぐのは『猫怪談』という噺で、死んだ父親を与太郎ともう一人でかついでいくと、『らくだ』の噺とおなじようにタガがゆるんで途中で桶がこわれてしまう。タガを直せる早桶屋を呼びに相方が行ってしまった後、与太郎一人で番をしていると、猫が悪さをして桶の中の父親を立ち上がらせたりするという怪談噺。

もう一つは『長屋の花見』で、お茶の入った酒樽をかついだ二人が、おめぇとおれとでよくかつぐことになるなあ。この間も海苔屋の婆さんが死んだときにかついだよな。二度あることは三度と言うから、次は大家さんの時じゃねぇか、というやり取りに出てくる。

身近なところで死に触れる機会も多かったのだろうし、一人では大変だったであろう弔いのあれこれを、長屋の連中が助け合いで受け持ってくれたのだと思う。死に接する機会が減ってしまった現代から見ると、濃い人間関係がそこにはあるように思える。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

|

« 江戸的スローライフのすすめ・その36 | トップページ | 女性作家が嫌いなわけではないのだが »

江戸的スローライフのすすめ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 江戸的スローライフのすすめ・その37:

« 江戸的スローライフのすすめ・その36 | トップページ | 女性作家が嫌いなわけではないのだが »