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2013年1月 8日 (火)

門松は冥土の旅の…

松の内が明けないうちに身近なところで不幸が続けてあった。親戚とご近所であるが、正月早々葬礼に出るとは思わなかった。

   門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

これはたしか一休宗純禅師が詠んだと言われているものだが、なんだかこの歌の通りだなあとしみじみ思う。一休禅師は、人々が正月で浮かれている都大路を、ドクロのついた杖をつきつつ歩いたという。人々の頭から冷水をかけるような歌であるが、一面の真理であり、避けられない死を思えというメッセージは痛烈だ。

親戚の葬儀のときに、八十歳を過ぎた故人の同級生が弔辞を読んだ。ゆっくりとした調子で、しかしながら、要点を押さえたエピソードで故人の人柄をしのばせる、ほのぼのとしてすばらしい弔辞だった。巧まざるユーモアもあり、こういう弔辞をお手本にしたいものだと思った。さすが亀の甲より年の功である。

それにしても、自分の知っている人間が一人また一人といなくなっていくのは、なんだか寂しいものである。気が付くと自分一人という日が来るのかもしれない。あるいは逆に私の方が先におさらばするかもしれない。後先いずれか分からないが「死期はついでを待たず」である。

生きているうちに、やりたいことはやっておき言いたいことは言っておいた方がいいのかもしれない。あ、それではだめか。やり残しや言い残しがいっぱいあって、この世に未練たらたらの方が生に執着する気持ちが強くなって長生きできるかもしれない。まあ、平均寿命まで生きられたらそれでいいかと思ってはいるのだが。

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