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2012年11月22日 (木)

坂口安吾・ふたたび

坂口安吾について、ずいぶん以前に記事にしたことがある(こちら) 。ブログを書き始めてからあまり時間が経っていない頃の記事で、「です・ます」調の文体で書いているが、坂口安吾の魅力だとして書いたところについては今読み返してもあまり変わらない。

自分の精神的な「背骨」を形作ってくれたものはいろいろあるけれども、坂口安吾の存在はその中でもかなり大きいと感じる。二十代に入ったばかりのころ、友人も少なく一人の時間が多かった私は、繭の中でひっそりと時を送るように自分の孤独と向き合っていた。来る日も来る日も本を読むこと以外何もしない時期もあった。その中で深く影響を受けたのが、坂口安吾だった。八方破れで滅茶苦茶なのだけれども、どこまでも深く広がる青空のような大きさがあり、気持ちが開かれた。

『青春論』 の中で安吾自身が書いている。

我が青春は淪落だ、と僕は言った。然して、淪落とは、右のごときものである。即ち、現実の中に奇蹟を追うこと、これである。(坂口安吾『青春論』の「二 淪落に就て」より

「現実の中に奇蹟を追うこと」。まったくこれである。決して超現実的なものではない、われわれの現実や生活と共にある奇蹟。それを追い求める気持ちは、思えば坂口安吾の影響であった。しかし、奇蹟などというものはそうゴロゴロと現実の中に転がっているものではない。だから、それは絶えざる失望の連続でもある。安吾も先の引用に続けて次のように言っている。

この世界は永遠に家庭とは相容れぬ。破滅か、然らずんば――鳴呼、然し、破滅以外の何物が有り得るか!何物が有り得ても、恐らく満ち足りることが有り得ないのだ。(同上より)

どこまで行っても老成しない、いつまでも青くさい思いを捨てきれない。要するに愚か者である。けれども、それがまた自分の求めるものであるは確かだ。

孤独な魂は孤独な魂に共鳴する。坂口安吾の抱え込んでいる孤独の深さにおそれおののきながらも強く惹かれたのは、たぶんそのためだと思う。

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