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2012年9月 2日 (日)

凡庸な日曜日

午前中、いくらか仕事を片付けようと思い、教室へ向かう。

青々とした空には夏の雲が浮かんでいる。運転席側も助手席側も窓を全開にして車を走らせると、吹き抜けてゆく風はすでに秋の風だ。

車のスピーカーからは The Waste Land の一節を朗読する男性の低い声が、大聖堂の中で聖典を読み上げる司祭の声みたいに聞こえてくる。運転席側から助手席側へ吹き抜けてゆく風のためとぎれとぎれにしか聞こえてこないが、不意に次の一節が耳に飛び込んでくる。

Shall I at least set my lands in order?
London Bridge is falling down falling down falling down

一瞬どこへ向かっているんだったか忘れそうになる。あらゆるしがらみや諸々の関係性から解き放たれて、「ここではない何処か」へ逃げ出したくなる。そんな衝動が一瞬だけ幻のように浮かびすぐに消える。「ここではない何処か」などは無い。何処へ行っても「ここと同じ」なのだと気が付いたのは、いつのことだったか。

「ここではない何処か」が存在しないように、「本当の自分」なんてものはどこにもありはしない。唯一あるとすればそれは他者の中に映った自分の姿であり、それが「本当の」自分であろう。「自分探し」が不毛だと思うのはそのためだ。等身大の自分、等身大の日常、耐え難く思われるほど凡庸な毎日。これらこそがリアルな自分の姿であり、自分の存在している場なのだ。

カーステレオから次の朗読が聞こえてくる。今度は若い女性の声だ。かなり早口に淡々とエリオットの長詩が読み上げられていく。流れ作業で目の前の割当て分を次から次へとこなしている姿が浮かんでくるような読み方だ。

I think we are in rats' alley
Where the dead men lost their bones.

あるいは伸びてきた前歯を削るために堅い木の柱か何かをかじり続けるネズミみたいな読み方とでも言えばよいか。できる限り思い入れや感情の抑揚は取り払いました、というドライすぎる朗読は、なんだかパンク・ロックを思わせる。

フロントガラスの向こうに広がる空と雲は、今日もこれから暑くなりますよと告げている。教室にたどり着いたら、いつものように何枚かピアノトリオのCDをかけながら仕事やら雑用やらに取りかかることになるだろう。切りのよいところで終わりにしたら、いつものように床を掃除し、古くなったブラインドを窓に降ろし家路につくだろう。

まちがっても「ここではない何処か」へ行こうなどとは思わない。私の凡庸な日曜日は、こんなふうにして過ぎていく。

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