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2012年9月 7日 (金)

『羊をめぐる冒険』を読む・1

何年ぶり、いや何十年ぶりに読み返したことになるのだろう。おそらく二回目ではなく三回目のはずだが、これほど細部を忘れ果てているとは。

それにしても第一章が分からない。他の章は一番少ない第二章でさえ1と2という二つの節を持っているのに、第一章「1970/11/25」は「水曜の午後のピクニック」という一節で全てである。ここに登場する女の子は、『風の歌を聴け』の中で触れられる二番目のガールフレンドにどことなく重なる。新宿騒乱とおぼしき夜に出逢ったあの女の子である。

その女の子が交通事故で亡くなったことを「僕」の友人が電話で教えてくれるところから小説は始まる。だが、この作品までの前二作と同様、ここが本編の始まりとは思えない。落語で言えばマクラである。この女の子の葬式からアパートに戻ると、残りの荷物を取りに来た離婚した妻が「僕」を待っていて、その妻とのやり取りの中に第一章の女の子の話が出てくる。

だから、第一章のエピソードは先にも述べたように本編を始動するためのマクラみたいなものかとも思った。けれども何かが引っかかる。それは、第一章に出てくる三島由紀夫の話かもしれない。

第一章の終末近く、一九七〇年十一月二十五日の午後として描かれた部分だ。

 我々は林を抜けるとICUのキャンパスまで歩き、いつものようにラウンジに座ってホットドッグをかじった。午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度もくり返し映し出されていた。ヴォリュームが故障していたせいで、音声は殆ど聞き取れなかったが、どちらにしてもそれは我々にとってはどうでもいいことだった。我々はホットドッグを食べてしまうと、もう一杯ずつコーヒーを飲んだ。一人の学生が椅子に乗ってヴォリュームのつまみをしばらくいじっていたが、あきらめて椅子から下りるとどこかに消えた。  (「村上春樹全作品2」p21)

ご存知の方も多いと思うけれども、例の三島由紀夫の割腹自殺の日である。このエピソードがどうしても第一章には欠かせなかったのではないかという気がする。それは単純に時代背景を印象づける材料として使われているのではない。この部分はさりげなく書かれているが、大事な箇所だと思う。

まず、テレビのヴォリュームが故障していて音声が殆ど聞こえないところ。三島由紀夫のクーデター決起の呼びかけが自衛隊員らに届かなかったように、その声は「僕」たちにも届かない。さらに「僕」たちにとってはそもそも「どうでもいいことだった」ということ。文化の防衛を唱えた三島の声が届かず、「僕」と女の子はICUのラウンジでホットドッグをかじりコーヒーを飲んでいる。

七〇年安保反対闘争の一方で、日常の生活はどんどんアメリカナイズされていく。アメリカは嫌いだけどアメリカの物質文明は好きという矛盾みたいなものが集約されて表現されているようにも感じる。

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