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2012年8月15日 (水)

お盆休みの本棚から・村上春樹『風の歌を聴け』続き

昨日は70年安保闘争期の世相がさりげなく入っているという話で終わってしまったが、もう少し続けたい。「僕」が友人の「鼠」を誘って山の手にあるホテルのプールに出かけた場面にも、さりげなく出てくる。プールで泳いだ後デッキ・チェアに並んで座り、冷たいコーラを飲みながら二人の会話が続く。

「大学には戻らない?」
「止めたんだ。戻りようもないさ」
鼠はサングラスの奥から、まだ泳ぎ続けている女の子を目で追っていた。
「何故止めた?」
「さあね、うんざりしたからだろう?でもね、俺は俺なりに頑張ったよ。自分でも信じられないくらいにさ。自分と同じくらいに他人のことも考えたし、おかげでお巡りにも殴られた。だけどさ、時が来ればみんな自分の持ち場に結局は戻っていく。俺だけは戻る場所がなかったんだ。椅子取りゲームみたいなもんだよ」
「これから何をする?」
鼠はタオルで足を拭きながらしばらく考えた。
「小説を書こうと思うんだ。どう思う」
「もちろん書けばいいさ」
   (村上春樹『風の歌を聴け』より)

「僕」だけでなく「鼠」もデモに参加して「お巡りに殴られた」のだ。以前読んだときには気にもとめなかった。映画「マイバックページ」でも描かれたように、70年安保闘争が全共闘の敗北に終わった後、新左翼諸派は過激な闘争路線へ舵を切る。その一方で、多くの学生が大学へ戻っていく。「僕」は夏休みが終わるところで東京の大学へ戻ろうとしている。「鼠」は戻る場所がないんだと言って大学を止める。黙っていても自分と向き合わずにはいられなかった時代、自分は何ものなのだという問いを内側へ向けざるを得なかった時代。そういう時代の空気がこの小説にも流れていたのだ。

さて、その他にもいくつか引っかかったところがある。まず、「僕」のガールフレンドになった左手の小指がない女の子のこと。彼女には双子の妹がいるという。双子の姉妹といえば『1973年のピンボール』ではないか。そうか、『風の歌を聴け』にすでに出てきていたのか。「鼠」だけではなかったのだ。

そして「井戸」。村上春樹といえば「井戸」は重要なキーワードである。これもこの小説に登場する。デレク・ハートフィールドという架空のアメリカ人作家については昨日の記事でも触れたが、そのハートフィールドの作品の一つに『火星の井戸』という短編があるとして概要が紹介される。火星の地表に無数に掘られた底なしの井戸に潜った青年の話だという。井戸は時の歪みに沿って掘られていて、井戸の横穴から別の井戸をよじのぼり再び地上に出た青年は、約15億年の歳月を通過してしまっていたという話になっている。

この後の作品に繰り返し繰り返し出てくる「井戸」の原型が、デビュー作にあったとは。なんともうかつなことだが、すっかり記憶から抜け落ちていた。

それから昨日の記事に引用した部分に出ていた、「僕」が大学の実験で二カ月の間に大小36匹の猫を殺したという箇所。「猫を殺す」から連想されるのは『海辺のカフカ』である。もしかすると、『海辺のカフカ』の重要なモチーフは、すでにデビュー作の『風の歌を聴け』の頃から村上春樹の中にあったのかもしれない。

あと一つだけ。これは作品そのものとは直接関係がないかもしれない。「鼠」の父親が金持ちになった経歴を紹介した箇所にこんな一節があった。

 25年前、ニューギニアのジャングルには虫よけ軟膏を塗りたくった日本兵の死体が山をなし、今ではどの家庭の便所にもそれと同じマークのついたトイレ用パイプ磨きが転がっている。
 そんなわけで鼠の父親は金持ちになった。
  (同上)

つまり、1970年から25年前は戦争中だったということ。これには軽いめまいのような感触を覚えた。1970年といえば大阪万博の年。70年安保改定への反対闘争が一方にある中、国民の目をそらすものだとする批判や反対運動もあったらしい。それもあるが、25年といえば鮮明な記憶を持つ人びとも多かったはずだ。この歳になって読むと、「え、25年しか経っていなかったのか」と新鮮な驚きを感じる。私が生まれた1959年は敗戦から14年しか経っていない。ほんの一昔前には戦争中だったのだ。

というわけで、よく知っているつもりの『風の歌を聴け』について何も知らなかったことに気付かされた今回であった。

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