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2012年8月29日 (水)

『1973年のピンボール』を読む・5(最終回)

さて、ピンボールは何の比喩になっているのだろう。比喩ではなくて象徴と言った方がよいのか。

「僕」がピンボールマシン「スペースシップ」に再会した部分の対話がヒントになるかもしれない。物語の終盤部である。

 彼女はニッコリ微笑んだまま、しばらく宙に目をやった。なんだか不思議ね、何もかもが本当に起こったことじゃないみたい。
 いや、本当に起こったことさ。ただ消えてしまったんだ。
 辛い?
 いや、と僕は首を振った。無から生じたものがもとの場所に戻った。それだけのことさ。
 僕たちはもう一度黙り込んだ。僕たちが共有しているものは、ずっと昔に死んでしまった時間の断片にすぎなかった。それでもその暖かい想いの幾らかは、古い光のように僕の心の中を今も彷徨いつづけていた。そして死が僕を捉え、再び無の坩堝に放り込むまでの束の間の時を、僕はその光とともに歩むだろう。(「村上春樹全作品1」p241-242)

「ただ消えてしまった」「ずっと昔に死んでしまった」時間、既に取り戻すことのできない、永遠に失われてしまった時間の象徴なのかもしれない。

少なくともこの部分の「僕」と「スペースシップ」の再会は、「僕」と「直子」の再会を思わせるし、黄泉の国でのイザナギとイザナミの再会を連想させる。ピンボールマシンの「スペースシップ」は死者たちの時間に所属している。

この直後の部分には次のような一節がある。

 もう行った方がいいわ、と彼女が言った。
 確かに冷気は耐え難いほどに強まっていた。僕は身震いして煙草を踏み消した。
 会いに来てくれてありがとう、と彼女は言った。もう会えないかもしれないけど元気でね。
 ありがとう、と僕は言う。さようなら。
 僕はピンボールの列を抜けて階段を上り、レバー・スイッチを切った。まるで空気が抜けるようにピンボールの電気が消え、完全な沈黙と眠りが辺りを被った。再び倉庫を横切り、階段を上り、電灯のスイッチを切って扉を後手に閉めるまでの長い時間、僕は後を振り向かなかった。一度も振り向かなかった。(「村上春樹全作品1」p242)

スイッチが切られた後の倉庫は完全に死の世界である。ピンボールマシンは墓石にしか見えてこない。そういえば、この部分から進んだ所に「鼠」が街を出ることをジェイに話した後、霊園の林の中で暗い空と海と街の夜景を車のフロント・ガラス越しに眺め続ける場面がある。これは「僕」の場面の変奏なのではないか。

つまり「僕」と「鼠」の物語が交わることはなくても二人ともそれぞれ「ずっと昔に死んでしまった」時間、失われてしまった時間を胸の奥底にしまい込んで、新たな時間へ歩き出そうとしている。

一九七三年の九月に始まり十一月に終わるこの物語が、胸をしめつけるような切なさを呼び起こすのは、「ずっと昔に死んでしまった」失われてしまった時間に訣別しなければ、人は前に進めないのだということを「僕」と「鼠」という二つの形で示してくれるからなのではないか。そして、その切なさには特定の時代の刻印はない。いや、刻印がないわけではないのだが、その時代を越えた普遍性を持つものだと言えるように思う。

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