« 只野真葛という女性 | トップページ | 今年のセンター試験 »

2012年1月18日 (水)

珠玉の話芸

久々に書く落語ネタの記事である。

このところ、思い出したように三代目古今亭志ん朝さんの噺を聴いている。授業が終わった教室で聴き、自宅に帰って遅い夕食を摂りながら聴き、しみじみ上手いなあと感じ入る。

噺のマクラで志ん朝さんは、「名人なんてものは、なかなかいるものではありません。アタクシなどが考えます名人てぇものは、もっとずっと高いところにあるものでして…」とよく話していたことがある。おそらく、父親である五代目古今亭志ん生師匠や六代目三遊亭圓生師匠などが、具体的な「名人」のイメージとして頭に浮かんでいたのだろう。

そうは言うものの、やはり三代目古今亭志ん朝さんは「名人」である。志ん生師匠とは間の取り方がまったく違うけれども、実に心地よい間がある。この「心地よさ」というものが志ん朝さんの演じた落語のキーワードであるような気がする。

間もそうだが、何と言っても声の質感がたまらない。艶のある、耳に心地よくひびく声のトーン。この声の質感は志ん生師匠や圓生師匠でさえ太刀打ちできないのではないだろうか。延々聴いていたくなる声である。そこはかとなく感じさせる品のよさも魅力だ。聞き手に媚びない、しゃんと背筋が伸びた姿勢がそこにはあるのだと思う。古典落語を伝承しているという自負もまた強かったのではなかろうか。

つい昨日聴いていた「三軒長屋」や「愛宕山」など、目の前に鮮やかに情景が浮かび、江戸時代の人びとの息づかいまで聞こえてきそうな見事な口演である。それでいて後を引かない。耳の底にこびりついて離れないというしつこさがない。噺が続いている間、もっとこの声を聴いていたいなあと思うのに、噺が終わるとあっさりとそれが消えていく。このあたりも三代目古今亭志ん朝さんのすごいところではないか。

存命であれば、七十三歳なのだそうだ。まだまだ現役で高座に上がっていたであろうと思われる年齢である。どれほど奥深い江戸落語の世界を見せてくれていただろう。そう思うと早すぎる死であったと残念でならない。

だが、数多く残されている噺はどれも磨き込まれた珠玉の逸品である。まったく落語を聴いたことがない方は、ぜひ三代目古今亭志ん朝さんの落語を聴いてみるとよいと思う。落語の面白さ、落語という話芸のすばらしさが存分に味わえるはずである。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

|

« 只野真葛という女性 | トップページ | 今年のセンター試験 »

落語」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 珠玉の話芸:

« 只野真葛という女性 | トップページ | 今年のセンター試験 »