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2011年9月10日 (土)

広河隆一『福島 原発と人びと』を読む・その4

今日は第5章・第6章の内容を取り上げたい。

まず第5章を読んでおやっと思わされたのは、林業の被害についての話である。牛を飼っている畜産農家や米を作っている農家の放射能被害は、あれこれ取り上げられることがあったが、林業については耳にしたことがなかった。

同じ第一次産業の中でも、林業についてはよく知らない人が多いのではないだろうか。仕事のイメージがしにくい所があるからかもしれない。

福島の原発事故によって、双葉地方森林組合が管理する山林のうち警戒区域内の18,000~20,000ヘクタールが放置されたままになっていると広河氏は述べる。農業や漁業と違い、五十年や百年単位で木を育てている林業は、被害金額が算出しにくく損害補償も少ないらしい。それ以上に山が荒廃する心配があるという。

いわき市のある林業家の言葉を読んで納得した。山は間伐することで表土が流れないよう保水機能が保たれるのだそうだ。特に幼木の林は手を入れないと雑草に負けたり、枯れることもあるという。

広河氏は、このいわき市の林業家の言葉として次のように記している。

「曾祖父が植林をして、祖父、父を経て、私に受け継がれました。私のものというより私が一定期間預かっていると思っています。木を育てるというより、世代でつなぎながら、一緒に育っているという感じです。木を伐ってお金にしようと考えるだけなら、一〇〇年の木は育てられない。だから、いずれ孫や曾孫の代に、家を新築するとか、結婚式にまとまったお金が必要だという時に、自分が植えた木を伐ってお金に換え、その代わり恩恵にあずかったものは必ず元どおり植えて返すものだと考えてきました」
(広河隆一『福島 原発と人びと』岩波新書 2011年 p105)

この言葉は、東大アイソトープ研究所所長の児玉龍彦氏が駒場で行った緊急提言の中の言葉と重なる。児玉氏も、日本の国土というのは、祖父や父の世代から私たちが引き継ぎ、子や孫の世代へ送り渡していくものだと語っていた。私たちは一時的にそれを預かっているにすぎないのだ、と。

広河氏は、第5章で他にもさまざまな被害が出ていることを挙げているが、最後に取り上げられている例が印象に残る。それは、いわき市に住むある方が東京のお台場で献血しようと思って拒否された話である。

その方は、若い男性が必死に献血の呼びかけをしている姿が気の毒になり、RHマイナス型の血液だから献血しようと思ったらしい。ところが福島のいわき市から来たので、多少放射能を浴びているかもしれないと口にした途端、献血を断られたという。いわき市は安全宣言が出ているのになぜだめなのか訊ねると、医師が現れ「遺伝子に傷がついている可能性があるのでお断りします」と言われたそうだ。

その後、この方は厚労省に問い合わせるのだが、作業員で100ミリシーベルトを超える被曝をしている人は輸血ができないという指導があやまって伝わっていたとのこと。放射能は不当な差別も生み出している、と広河氏は指摘する。

第6章では、子どもと学校のことが取り上げられる。

福島市のある母親は、中学生・小学生・保育園児の三人の子どもたちにマスクをさせているが、子どもたちは帰ってくるときにははずしてしまっているという。

中学校では校庭での部活に親の同意書を求めており、中学生の長女は仲間はずれになるのを恐れて、絶対に同意書を書いてと念を押すという。一人だけ屋内練習はいやだとうことのようだ。

郡山市の話として広河氏が紹介しているケースは考えさせられる。

ある高校で父兄に校庭使用に関する説明会があり、一人の親が「本当に大丈夫ですか」と質問すると、別の親がその質問をさえぎり「そんなに心配だったら学校をやめるべきだし、ここにいるからには、学校の方針を受け入れて、そんな質問をすべきではない」と発言し、その発言に周りから拍手が起きたという。

いわゆる「同調圧力」である。子どもを通わせている限り文句を言うなという空気が支配的であれば、同調圧力がかかることは十分に考えられる。

さらに広河氏が紹介する事例がある。それは避難すると非難されるケースがあるのだという。たとえばある学校職員が休暇届を出して、自分の子どもを避難させると言ったところ、周囲から「お前本当に逃げるのか」とか「この卑怯者」と罵声を浴びせられたという。

避難することを巡って住民同士の仲が悪くなったり、分断されたり、家族の中でも意見が違ったり亀裂が多く生まれている、と広河氏は述べる。そういえばビデオニュース・ドットコムで福島の様子を定期的にレポートしている福島在住のジャーナリスト、藍原寛子さんが、福島では、原発事故以来、避難するかどうかといったことを巡って夫婦の間で意見がくい違い、そこから離婚にまで到る「原発離婚」が増えていると話していたのを思い出す。

地域社会が分断され、亀裂が入っているのだろうということは、人と会ったときの会話にも現れているという。洗濯物をどこに干しているのか訊いて、家の中で干していると聞けば、その人は放射能に注意していると思われるので原発の話ができるのだそうだ。

戦時中の話ではない。今、現実に福島でこういう会話が一種の「踏み絵」になっていることをやりきれなく感じる。避難すると非難されるというのも、戦時中の「非国民」扱いみたいな感じがしてすっきりしない。しかし、そういう対立や分断を生み出したのが原発事故なのだと考えると、失われてしまったものの大きさは計り知れないのではないか。人びとの心を再び結び直すのには相当の時間がかかるのではないだろうか。第6章を読んで強くそう思った。

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