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2011年9月13日 (火)

再びくり返すのだろうか

1945年に、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏した。そうなるまで、大本営発表の情報によって作り出された「日本が負けるはずがない」という「空気」が世の中を支配していた。違うのではないかと薄々気づいていた人びとも、「非国民」と呼ばれたくないため黙っていた。

情報統制や情報操作といった高度なことをやらなくても、日本では「空気」が作られてしまえば、あとはどんどん同調圧力が高まっていく。それに異を唱える人間は「非国民」として糾弾され、ますます「空気」の支配が強くなる。

山本七平氏の『「空気」の研究』(文春文庫)は、すでに古典的名著の域に達してしまった感があるが、この本の中で分析された日本社会の傾向は、戦前も戦後もそして現代もちっとも変わっていないのではないか。

いつの間にか福島の原発事故は「収束に向かって」「行程表通り着実に前進」していることになっており、もはや福島原発が今どうなっているのか心配する人はいないかのように見える。テレビは、なでしこジャパンのロンドン五輪出場で盛り上がり、少し前までは島田紳助の芸能界引退で連日騒々しく、とてもレベル7の原発事故が起きている国とは思われないような、「平和な」光景ばかりだ。

新聞にしても同様だ。福島の原発がどうなっているのか、詳細な情報を正確に報じた記事などあるのだろうか。現在も福島第一原発からは放射能が大気中へも海洋中へも漏れていると思われるが、どれくらいの量になっているのか。食品の放射能汚染がどうなっているのかについても、牛肉やお茶以外の報道がなされていない。いや、なされているのかもしれないが、単発の事例を追うだけで食品の放射能汚染という全体を追う記事がない。

すでに福島では尿中から放射性セシウムが検出された子どもや大人が現れている。内部被曝が始まっているということだ。これだけ重大な健康被害をもたらし、福島の人びとに被曝をさせている東京電力に対し、東京地検が動き出さないのは何故なのだろう。業務上過失致傷で十分に起訴できると思うのだが。それなのに、新聞もテレビもまったく問題にしない。

それよりも本当に問題なのは、放射能による汚染を福島県とそこに住む人びとに限定し、囲い込んでしまおうとする動きだと思う。広河隆一氏の『チェルノブイリ報告』(岩波新書 1991年)の一節にもあったが、「ゾーン」と呼ばれるチェルノブイリ原発の30km圏内を汚染地域として区切ってしまうことで、30km圏内の一歩外が「安全圏」になってしまうという過ちが生み出されてしまった。

同じように福島県に放射能汚染を限定することは、大きな二つの問題を引き起こすと思う。

一つは、福島の人びとに対する差別、あるいは無関心が生まれるということ。福島の人は大変だなあ、と少しは思うとしても、しょせん「他人事」という感覚にしかならない。福島から避難してきた人びとを放射能汚染を持ち込んだ存在のように感じるまちがった見方が、深刻な差別を引き起こす。

もう一つは、今あげた事の裏返しなのだが、福島だけが危険地帯で自分たちは安全なところにいるという錯覚を生み出してしまうことだ。危険な汚染地域を福島に囲い込んで安心してしまうことで、自分たちも実は放射能汚染に曝されていることが見えなくなる。

レベル7の事故が起きたこの日本に住み、何も影響がなくて済むと思えるだろうか。海も山も膨大な量の放射能に汚染されているのに。福島から300kmや500kmも離れているから大丈夫と言えるだろうか。放射性プルームと呼ばれる雲のようなふわふわしたかたまりは、風に吹かれてどこまでも飛んでいき地形の関係でどこかに降下しその地域を汚染する。それはもしかしたら自分の家の庭先かもしれない。

食品のことを考えたら、日本中どこにいても「基準値以下」の放射能を含む食品を口にしている可能性は否定できない。その基準にしても、とんでもなく高い数値であるのに「基準値以下」というひと言で流通可能となり、安全を保証される。

一年後、あるいは数年後かもしれないが、太平洋地域の沿岸諸国から莫大な損害賠償を請求されて初めて目が醒めるといったようなことにならなければよいのだがと思う。

その時はおそらく、八月十五日の再現のように、この日本の社会全体を覆っていた「空気」が破られ、愕然とした思いを味わう人びとが大量に発生するのではないかと危惧する。

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