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2011年9月11日 (日)

広河隆一『福島 原発と人びと』を読む・その5

今回は最終回となるが、第7章と第8章を見てみたい。

広河氏は第7章で、チェルノブイリから何を学ぶかというテーマを掲げている。広河氏が書いた『チェルノブイリ報告』(岩波新書 1991年)を以前に読んだとき、真っ先に浮かんだのが福島との類似だった。チェルノブイリの昨日は福島の明日になるのではないかという暗い確信が読み進むにつれて強くなったのを覚えている。

チェルノブイリと福島をくらべることは誰しも思い浮かぶことだろうと思われるのだが、福島の事故当初ははそれが「不安をあおる」行為とみなされた、と広河氏は述べる。

しかし、膨大な放射能が放出されレベル7の事故であることが明らかになっても、政府は長瀧重信長崎大学名誉教授らに、チェルノブイリ事故ではあまり被害がでなかったというキャンペーンを行わせたと広河氏は書いている。

たとえば、チェルノブイリの周辺住民への健康には影響が認められず、例外は小児の甲状腺ガンだが、汚染された牛乳を無制限に飲用した子どもがそうなった、などという内容の文章を首相官邸ホームページに出していたそうだが、広河氏によると、IAEAやWHOなどがつくるチェルノブイリフォーラムは2005年に「チェルノブイリ事故にともなう放射線被曝による最終的な死者数は約4,000人」と推定しているそうだ。しかもこの数字は被災国から反発を受け、翌年には約9,000人に改められたらしい。

NGOや研究者によっては死亡者数は93,000~985,000人にのぼると推定しているものもあるという。IAEAもWHOも、日本の政府も事故の影響を小さく小さく見せようという意図が透けて見えるようだ。

同じ第7章では、広河氏が1991年に開設し、翌年に「チェルノブイリ子ども基金」と改名された救援活動についても触れられている。ベラルーシやウクライナで出会った子どもたちのことが紹介され、あわせて旧ソ連では妊婦や子どもの健康に気をつかってなされた避難が、日本の場合にはされなかったと指摘する。

それは、「安全です」と言っているのに20km圏外の住民を避難させるわけにはいかないという事情があったからだという。そのような避難指示を出すこと自体、自己矛盾になってしまうから政府にはできなかった。結局、妊婦と子どもの先行避難を打ち出したのは、一部の自治体だけだった、と広河氏は述べる。

だいぶ前に、ビデオニュース・ドットコムに広河隆一氏が出演したとき、「放射能防護服と言われるものは世界に存在していないんですよ」ということを話していた。その時にも驚いたが、第7章の最後に防護服の件が出てくる。

広河氏はチェルノブイリ消防署のテリャトニコフ消防隊長(この方はインタビューの二十年後に放射線障害のため亡くなっている)にインタビューし、また事故が起これば部下に消火に駆けつけるよう命令できるかと訊ねた。それに対しテリャトニコフ隊長は、できないと答える。

…「でもあの当時は放射能防護服がなかったのが問題だったのではありませんか。今では世界中から最新の防護服が届いているから、大丈夫なのではありませんか」と私は言った。彼は笑って答えた。「放射能防護服といわれるものは世界中にまだ一着も存在していないのです。今あるのは放射性物質を体内に取り込んだり、体に付着するのを防ぐことはできますが、ガンマ線や中性子線などはまったく防ぐことはできません」
 私は、帰国後に原発が多くある若狭湾に行き、そこで一番大きな敦賀消防署に行った。「もし原発で火災が起こったらどうするのですか」と私は訊ねた。署長は最新型の防護服を見せてくれた。「これを着たら安全に消火できるのですか」と尋ねると、「いえ、だめです。これでは放射線を防げません」と彼は答えた。「被曝すると分かっていて消火に行くのですか」と私は聞いた。「仕方ないですね。一般の人はそれが私たちの仕事だと信じていますから」と彼は言った。
(広河隆一『福島 原発と人びと』岩波新書 2011年 p173-174)

鉛などが入った防護服も現れ始めたそうだが、ガンマ線を10分の1にするためには2.5センチの厚さの鉛の板が必要だという。とても動ける重さではないだろう。広河氏によると、今福島の作業員が着用している白い服は、正確な言い方では「放射線防護服」ではなく、放射性物質が付着したときに脱いで捨てるための衣類なのだという。結局、放射線を防ぐ手段はなく、作業時間を短くし交替で行くしかないという点は、チェルノブイリ以来何も変わっていないのだそうだ。

最終章である第8章には、「これからのこと」というタイトルが付けられている。章の最初の部分で広河氏は、事故が実際に起きたときの準備を自分たちが何もしてこなかったことを悔やむ。

 測定器の準備やモニタリングシステム、汚染の通報、避難、除染、そのあとの体内被曝検査、連絡方法、妊婦と子どものケア、ヨウ素剤配布の体制、食品汚染の検査…。これらのすべてを私たちは「やってもらえるもの」という受け身で対処してきた。原発推進を打ち出す政府・自治体、そして電力会社、さらにその影響下にあるメディアにゆだねてきた。私たちはいったい何をしていたのだろうか。私たちは自分たちの首を絞めてきたのだ。
(上掲同書 p185)

広河氏は、チェルノブイリ事故のあとベルリンに開設された「市民放射能食品検査所」のことを紹介し、日本でも「市民放射能測定所」が、さまざまな募金をもとに7月17日に福島市に開設され、今後さらに複数の都市に設置されようとしていることを記している。

放射能から身を守るということは、原子力産業を推進する人びとや放射能は安全だという人びとから自分たちを守り、そうした人びとや機関によって封じられた事実とデータへのアクセスの権利を得る手段を手に入れることだという。そして政府や警察に避難するなと言われ、屋内待避を呼びかけられても、制止を振り切って遠くへ避難することだと広河氏は述べる。

ひとたび事故が起これば、さまざまなジレンマに出会うだろう。最良と最悪のどちらかの選択というものはない。最悪か、少しの悪か、どちらかを選ばなければならない場合がほとんどだろう。
(上掲同書 p190)

この広河氏の言葉が意味するものは重い。

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