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2011年9月 2日 (金)

微妙な違い

「がんばろう、日本」「がんばろう、東北」「がんばろう、岩手」。いったい何回このフレーズを耳にしたり、目にしたことだろう。前を走る車のステッカーにも同じ標語。そのたびに何だかちがうんだけどな、と思ってしまう。

がんばらなくていいんじゃないのか。そうでなくても、みんながんばってきたのではないか。これ以上何をがんばれというのか。家族や友人を失った沿岸部の被災者に、がんばれという言葉ほどデリカシーを欠いたものはないのではないか。原発震災で故郷に戻れなくなるかもしれない人に、がんばれという言葉をかけられるのか。

そんなモヤモヤが震災以来、自分のどこかにくすぶっていた。ある日、とあるコンビニの前に車を停めて入り口付近をぼんやりと見たときに目に入ってきた標語がある。「元気になろう 日本」おそらく専門のコピーライターが書いた標語だと思うけれど、「がんばろう、○○」よりずっといい。

思うに「がんばろう」という標語にはどこか押しつけがましさを感じてしまうからではないか。がんばっていないわけではないのに「がんばろう」と言われると、がんばっているんだけどもっとがんばれっていうこと?と訊ね返したくなる。

それに比べると「元気になろう」という標語には、元気がない人びとに寄り添うような、どこか控えめな感じがある。「がんばろう」とどこが違うのかうまく説明できていないかもしれないが、微妙に違う。

励まそうという気持ちは根本の所では一緒だと思う。しかし、「がんばろう」には、今がんばっていないと言っているような、あるいはがんばっている姿が目に見えていないような感じがどこかに漂う。「元気になろう」という言い方には、「今元気がないよね、みんな。うつむいている人が多いかもしれないけど、顔を上げて元気を出そうよ」という感触がある。

もともと、誰かに向かって「がんばれ」という言葉をかけるのが好きじゃなかった。試験前日の生徒にも「がんばれ」という言葉をかけなくなって久しい。「がんばれ」と言ってしまうと、その瞬間に「がんばっていないから」が余白を埋めてしまう。だから、実際にがんばっている人に、あるいはがんばっているかもしれない人に安易にかけるべき言葉ではないと感じる。

試験直前の生徒には「いつも通りの力を出してきなさい」とか「大丈夫。自分の力を信じなさい」という言葉をかけることの方が多い。やはり、「がんばれ」とか「がんばろう」という言葉は、がんばっていないことが明らかな人に向かってかけるべき言葉ではないかという気がする。

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