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2011年8月 3日 (水)

効率優先の果てにあるのは・その1

同じく物事を進めるなら効率よく進めた方がよい。確かにその通りだ。非効率的なやり方で延々といつまでも終わらないのではたまったものではない。

効率的に進められるのが求められるのは、第一に時間の節約になり、第二に労力の節約になり、第三にそれらによって無駄を省くことができるからだろう。つまり、時間や労力を節約し無駄を省くことが善であるという価値観に裏打ちされていると言ってもよいのだろう。

しかし、本当にそれは「善」なのか。善であるとすれば一体誰にとって善なのか。

この効率を優先する考え方は、高度に発達した資本主義社会の、特に工業化された近代社会の要請なのではないか。同じ製品を作り出すにあたって、できるだけ時間も労力も原材料も無駄にしないで作業を進めるにはどうしたらよいか。究極的に行き着くところは機械による自動化作業となる。

一定の品質で大量に速く生産し市場へ出す。流通や小売の段階でも効率化が徹底される。一番分かりやすい形が、全国どこにでもあるコンビニの商品管理であろう。POSシステムにより、不足する在庫、つまり売れ筋商品は即座に補充される。逆に売れ行きの悪い商品は入れ替えの対象となる。こうして徹底的に無駄が省かれる。

このように効率化が社会の隅々まで進んだ国に暮らしていると、効率的であることが当たり前で、非効率なものには我慢ができないという性向が人々の中に現れてくる。待たされるのはいやだし、迅速な対応がなされないとイライラする人もいるだろう。

しかし効率化は果たして全面的に「善」だと言えるのだろうか。非効率なものは本当にダメなものなのだろうか。

幾つかの例が思い浮かぶ。たとえばコンピュータで制御され自動化された機械ではどうしても処理できない作業を、小さな町工場の熟練した職人さんが手作業で引き受けていたりする。千分の何ミリとかいう単位の精度は職人さんの技能に裏付けられた感覚で維持されている。

コンビニの例で言えば、買い占めが起きたわけでもないのに、震災直後皆がちょっとずつ多目に買っておこうと思っただけで、たちまち品切れ続出となってしまった。無駄な在庫を極力省いているために、ほんの少し需要が増えただけで、供給不足が起きてしまったということである。

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