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2011年7月14日 (木)

負の遺産

自分が生きている内に解決しないかもしれない問題について人はどう考えるだろうか。

1 自分が死んだ後の話だから、あとは野となれ山となれで、どうでもいい
2 自分は生きていないだろうが、自分の子どもや孫が何とかしてくれるのではないか
3 自分は生きていないだろうが、子どもや孫にだけ押しつけるのも何だから、少しでもできることをしておこう

事故を起こした福島第一原子力発電所から、メルトダウンした核燃料を取り出せるようになるのは早く見積もっても三十年から四十年先だという。その頃私は生きていないかもしれない。百歳まで生きるつもりでいれば話は別だが、おそらく平均寿命くらいまでがいいところだろう。

そうすると私が生きている間にはきちんと解決しない問題だから、1番の考えのようにあとは野となれでも私自身は困らない。しかし、それは問題の先送りでしかない。結局迷惑するのは子どもや孫の世代ということになる。

たとえば、原子力発電という考え方そのものが、問題先送りの最たるものではなかったか。使用済み核燃料をどうするのか。高レベル放射性廃棄物の最終処分をどうするのか。何も決まっていないのに、とりあえずやりましょうということで原子力発電所があちこちに出来上がってしまった。

「児孫に美田を残さず」という故事成語がある。あまりに恵まれた環境や財産を残すと、子どもや孫はそれ以上頑張ろうという気を起こさなくなる場合もあるから、実り豊かな美田は残さない方がいいという考え方なのだろう。かといって苦労ばかりを背負わせる負の遺産を残すのもどうか。

これからの世代が厳しい環境ゆえに本当に生命力のある雑草のようなたくましさを身につけて、山積する難問を見事に解決してくれるかもしれない。それとも、あまりにも甚大な問題を前に途方に暮れてしまうのだろうか。

いずれにしても、私たちの世代では解決までたどり着けないのは確実のようだから、子どもたちに期待するしかない。今の私たちにできることがあるとすれば、まず、原子力発電を容認しこんなふうに放射能汚染を引き起こしてごめんなさい、と子どもたちに謝ることだろう。君たちに被曝のリスクを負わせてしまって申し訳ないと頭を下げることだろう。

その上で、次代を担い私たちが解決できなかった問題に決着をつけてくれるかもしれない子どもたちを、必死になって守ることではないだろうか。

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