« 朝三暮四・その3 | トップページ | いつもと同じような風景だが »

2011年5月27日 (金)

センス・オブ・ギルティ

28日(土)に、妻夫木聡さんと松山ケンイチさんが60年代の青年を演じた映画「マイ・バック・ページ」が公開となる。原作は川本三郎氏の同名の自伝的エッセイである。もともとは河出書房新社から出ていたものだが、平凡社から復刊されているようだ。

1968年から72年にかけて、全共闘運動が一気に高まり失速し代わって新左翼運動がより過激な様相を帯びて登場する。そのような時代背景の中、川本氏は週刊誌の記者として、新左翼の活動家を名乗る青年と取材を通じて知り合う。ところが所属しているというセクトの事情に通じた人間に確認しても、そういう男はいないという。疑いを持ちつつも、その青年がCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルというアメリカのバンド)が好きだと言い、川本氏の部屋にあったギターを借りて「雨を見たかい(Have you ever seen the rain?)」を歌う姿に奇妙な信頼感を覚える。

その後も青年の虚実を垣間見ながら、川本氏はその活動家の青年に人間的興味を深くする。もしかすると、この男は新左翼を騙っているだけでニセモノなのではないか。そう思い始めた頃、青年が朝霞駐屯地に忍び込み巡回中の自衛官を殺害するという事件を起こす。川本氏は、その後青年と接触し取材する。その時に自衛官の腕章を預かるのだが、これを処分したことで後に証拠隠滅罪に問われ、川本氏は朝日新聞社を懲戒免職となる。

「取材源の秘匿」というジャーナリストのモラルを守るため、川本氏は警察に通報せず名前すら出さない。しかし逮捕された青年は川本氏を組織の仲間だとして名前を出す。自らも逮捕されることになった川本氏は「証拠隠滅罪」という容疑事実を否認しようとするが、結局検事に対して容疑を認めてしまう。さらにそれ以上の容疑をかけられないために、「取材上知り得た情報」も明かしてしまう。ジャーナリストとしてのモラルを自ら捨ててしまったという負い目が重くのしかかる。さらに証拠品の腕章を預かってもらった友人である記者の名前まで出してしまったという後悔に苛まれる。

「マイ・バック・ページ」という自伝的エッセイは、思い出したくなかった過去に向き合い、自分を偽ることなく振り返った川本氏の苦しさが行間から伝わってくる文章である。自己正当化を図ることなく自分の中の弱さに向き合うことがいかに困難を伴うものであるか、自分を偽らず誠実に向き合おうすればするほど苦しい作業になっていくのではないかと想像する。

全共闘運動や新左翼運動が盛んだったころ、私は小学生高学年から中学生になったばかりという年代だった。だから、一回り上の世代が何を考えて行動していたのかよく分からなかったし、今も分かっているわけではない。しかし、「自己否定」や「自己批判」という言葉に表されるように、自分が立っているところはどこなのかが問われた運動だったのではないかと思う。

自分は取材する側という安全な立場で、機動隊と衝突する学生デモ隊を取材していることに川本氏は苦痛を感じ始める。アメリカ人のジャーナリストにその「心の痛み」を英語でどう表現していいか分からないと伝えると、それは英語では「センス・オブ・ギルティ」と言うのだと教えてもらう。自分は何者なのだ、という問いを引き受けずにはいられなかった時代だったのだと言ってしまえば簡単なのかもしれない。しかし、この「センス・オブ・ギルティ」を抱えながら、ジャーナリストであろうとした一人の青年の挫折と敗北の物語は心にしみる。

タイトルの「マイ・バック・ページ」は「あとがき」で川本氏も触れているように、ボブ・ディランの曲のタイトル「My back pages」から来ている。ボブ・ディランの原曲もザ・バーズのカバーもそれぞれにいいし、キース・ジャレットがアルバム「Somewhere before」に収録した演奏もいい。それらと同じくらい、今回の映画で歌われている真心ブラザーズ&奥田民生のカバー(こちら) もいいと思う。「あのころの僕より今の方がずっと若いさ」というリフレーンが耳に残る。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

|

« 朝三暮四・その3 | トップページ | いつもと同じような風景だが »

読書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: センス・オブ・ギルティ:

« 朝三暮四・その3 | トップページ | いつもと同じような風景だが »