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2011年4月25日 (月)

「方丈記」に見る元暦の大地震

福原遷都から壇ノ浦で平家が滅亡する同じ時期のことを鴨長明の『方丈記』は記している。大風や火事や飢饉、疫病といった災厄によって多くの人々が亡くなった様が書かれているのだが、中に元暦二年(1185)七月九日に起きた大地震の様子がある。1185年の七月といえば、すでに壇ノ浦で平家が滅んだ後のことだ。

又、同じころかとよ。おびただしく大地震振ること侍き。そのさま世の常ならず。山はくづれて河をうづみ、海はかたぶきて陸地をひたせり。土さけて水涌き出で、巌われて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にただよひ、道ゆく馬は足の立ち処をまどわす。都のほとりには、在々所々、堂舎・塔廟ひとつとして全からず。或はくづれ、或は倒れぬ。塵・灰立ちのぼりて、さかりなる煙の如し。地のうごき家のやぶるる音、雷にことならず。家の内に居れば、忽に拉(ひし)げなんとす。はしり出づれば、地破れ裂く。翼なければ空をも飛ぶべからず。龍ならばや雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍しか。

まるで3.11の東日本大震災の時の情景をみるかのようだ。これに続けて

かくおびただしく振る事は、暫しにて止みにしかども、その余波、暫しは絶えず。世の常驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四五度、二三度、若(もし)は一日まぜ、二三日に一度など、おほかたその余波三月ばかりや侍りけむ。四大種のなかに水・火・風はつねに害をなせど、大地にいたりては殊なる変をなさず。昔、斉衡のころとか、大地震振りて、東大寺の仏のみぐし落ちなど、いみじき事どもはべりけれど、なほこのたびには及かずとぞ。

「斉衡のころとか、大地震振りて東大寺の…」というのは、「新日本古典文学大系」の注によると「文徳天皇の斉衡二年(855)五月二十三日、東大寺大仏の頭が落ちた。その頃、五月十日、十一日、六月二十一日、二十五日と、地震が頻発している(文徳実録)」を指しているのだそうだ。

余震が続いている様子は、現代と一向に変わらないように見える。同じように、一ヶ月以上経過しているのに、強い余震が連日のようにあちらこちらで発生している現在だが、『方丈記』の記載を見ると「余波三月ばかりや侍りけむ」とあるように、なかなかすぐに収まる性質のものではないようだ。

この元暦の大地震を記述した最後に鴨長明は次のような一文を書いている。

すなはちは、人皆あぢきなき事を述べて、いささか心の濁りも薄らぐと、見えしかど、月日かさなり年経にしのちは、事はにかけて言ひ出づる人だになし。

その当座は、人々は皆、甲斐のない空しさを述べあって、煩悩や執着といった心の濁りも、少し減少するかと見えたが、月日や年を経た後は、事の端にかけて、言い出す人さえいない。このような人々の心理の変わり方も、また現代に似ているような気がする。「非日常」もいずれ「日常」化していくということは、昔から変わりがないようだ。

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コメント

ここのところの記事と言い、この方丈記の記事と言い、先生のイ
ンテリジェンスに本当に脱帽します。
特にこの方丈記の記事を読んだあとに、自分の記事を読むと、恥
ずかしいばかりです。
金田先生が学び舎先生のことを「凄い人だ」と褒めていますが、
本当に記事を読むと底力を感じます。
お世辞じゃありませんよ。

そちらも復興し、落ち着いたら是非お会いして、いろいろなことを
学ばせていただきたいと思っています。


【学び舎主人】
とよ爺先生、コメントありがとうございます。

あまり買いかぶられても困ります。こちらは震災後、閑古鳥状態で時間だけはあるものですから、あれこれ昔読んだものをひっくり返しなどしているだけのことです。
ともかく、もう少し本業の方が回復してくれないと、本当に干上がりそうです。

投稿: とよ爺 | 2011年4月27日 (水) 01時01分

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