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2011年4月26日 (火)

晴耕雨読の日々・その1

3.11の大地震の後、本棚の下にある収納スペースに詰め込んでいた文庫本が崩れて床にあふれた。本棚から落ちてきたハードカバーと一緒に半日かけて元に戻したのだが、4月上旬にあった大きな余震でふたたび文庫本が崩れ、二回目の積み直しとなった。

やれやれと思ったが、そのおかげで崩れた文庫本の中から探していた本を何冊かみつけ、しばらくぶりで埃を払い読み返すことが出来た。福島の原発事故後、広瀬隆氏の『眠れない話』(八月書館)をすぐに読み返していたが、文庫でも何冊かあったはずだと思い出した。たぶんチェルノブイリの原発事故をきっかけに読み始めたと思うので、二十年以上前のことになる。どこにしまったのだろうと思っていたが、崩れた文庫本の中に『東京に原発を!』(集英社文庫)と『新版 危険な話』(新潮文庫)を見つけ出した。

進行中の福島の原発事故について毎日流れるニュースを横目に、二冊を読み返してみる。『新版 危険な話』の第三章は「日本に大事故が起こる日」である。今は「日本に大事故が起きてしまった日」と読み替えなければならないが、その章の最終節は「事故の要因…地震と津波」となっている。これって初版はいつだったんだろう。後ろのページをめくると「この作品は1987年4月、八月書館より刊行された『危険な話』に大幅に加筆したものです」とあり、文庫の初版は平成元年(1989年)。

その当時、チェルノブイリの事故のような原発事故が実際に日本で起きる危険性を一番大きな声で叫んでいたのが、この広瀬隆氏だったと思う。原発事故の危険性を理解はしたものの、現実に日本で起きるのだろうかと私は思っていた。起きてほしくないという願望がこもっていたのだと思うし、自分が生きている間は大丈夫だろうという何の根拠もない楽観主義だった。しかし、それが現実になると、この『新版 危険な話』に書かれていた「事故の要因…地震と津波」は、まさに福島の事故の原因そのものではないかと思わずにはいられない。「想定外」という言葉がむなしく響く。

広瀬氏が指摘していた要因は、活断層の地滑りによる原子力発電所の破壊・津波の際の引き潮によって取水口から冷却水が取り込めなくなり出力異常上昇が起きるという事故・地震のために引き起こされる蒸気発生器の連続破壊・停電によって予備電源が壊れ緊急装置が働かなくなる可能性などなどであった。今回の福島の原発事故のように津波で電源喪失になるという可能性については、『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社)という2010年8月に出版された本の中で「ステーションブラックアウト」とのケースとして述べられているようだ。こちらの本は未読である。

推進派であれ、反対派であれ事故によって原発震災に遭う点では何ら変わるところがない。東電は終息の見込みを6~9カ月と発表したが、とてもそのような短期間で終わる事故ではないだろう。事故から25年経ったチェルノブイリの「石棺」からはいまだに高い放射線が出ているという。チェルノブイリ原発の周辺にあった村々は消えてしまった。福島原発の周辺の相当範囲が無人地帯になるだろうということは、考えたくないがおそらく可能性の高いことなのではないか。

やっかいなことに、原発は福島だけにあるのではない。日本列島のあちこちにあり、青森の六ヶ所村には使用済み核燃料の再処理工場がある。幸い今回の大地震で再処理工場は被害がなかったようだが、ここで重大な事故が起きれば、こんなブログなど書いていられない状態になるだろう。原発を止めてもそれで終わりではない。高レベル放射性廃棄物をどうやって最終処分するのかすら決まっていない。

最悪の場合どうなるのか。このことを「想定」しておくことは、いたずらに不安を煽ることや悲観主義におちいることとは別のことだ。「想定」するための材料の一つとして、広瀬氏の著作は今も有効なのではないかと思う。これ以上最悪のシナリオは考えられないだろうというところまで克明に述べられているからだ。

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