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2011年3月30日 (水)

関東大震災と古今亭志ん生

今回の東日本大地震の死者は既に一万人を超えた。行方不明の方も数多い。津波にのみ込まれてしまった方がそれだけ多かったということなのだろう。関東大震災に次ぐ死者の多さだという。

関東大震災では広い範囲で火災が起こり、地震そのものよりも火災で亡くなった方が多いと聞く。地震そのものよりもそれに付随して起きるさまざまな事象の方が甚大な被害をもたらすということは、今回の津波の被害を見てもよく分かる。福島の原子力発電所の事故を見てもそう思う。もっとも福島の原発事故の方は「人災」という感が強いのだが。

さて、関東大震災を経験した五代目古今亭志ん生師匠が、その時の体験を噺のマクラで話していたのを聞いたことがある。志ん生師匠は関東大震災が起きるとすぐ酒屋に行ったそうだ。なにゆえか。地震で酒が呑めなくなると思ったのだそうだ。で、酒屋に行くと一升の酒を店先で呑み、それからもう一升詰めてもらって店を出たらしい。ところが急に酔いが回ってきて、地震でフラフラしているのか酔っ払ってフラフラしているのか、なんだかよく分からなくなってしまったそうだ。

いかにも志ん生師匠らしいエピソードだという気がする。もちろん、噺のマクラにしているくらいだから事実そのままではないだろう。脚色が施されてもいるのであろうし、震災直後の大変さは今も昔も変わりないと思うのだが、落語に出てくる与太郎の振る舞いに似てなんだか頬が緩んでしまう。

志ん生師匠は、その後第二次大戦中満州へ行く慰問団に六代目三遊亭圓生師匠と共に加わり、引き上げる直前で帰れなくなってしまった経験もある。この時は満州に残された人々の前で落語を演じたそうだ。そしてまた酒である。こんな大変な目に遭うんじゃ、生きて日本に帰れないだろうから、いっそのこと強い酒でも呑んで死んでしまおう。そう思って浴びるほど呑んだけれども死ななかったんですなあ、とノンビリした口調で語る。

本当は、とてつもなく大変な毎日だったにちがいない。しかし、振り返ったときに志ん生師匠は苦労話にはしない。これは六代目圓生師匠も同様だ。敗戦後、苦労して引き上げてきた話はほとんど話のマクラでしたことがない。どんなことがあっても、どうにかして生き延びてきた。そういう感慨はあっても、苦労したなあとか大変だったなあという気持ちは時間と共に薄れていったのかもしれない。

震災を生き延びた私たちは、そんなふうに何があってもどうにかして生き延びていかなければならないのだと思う。

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