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2011年1月 6日 (木)

好きな詩人たち・その2

田村隆一の詩に出会ったのはいつだったろう。高校三年の夏だったか。どの詩を読んだのか思い出せないが、それから思潮社の現代詩文庫で『田村隆一詩集』を読んだとき、いくつかの詩が強い印象を残した。

一番印象深かったのは、何と言っても「帰途」という詩である。あまりの格好良さに一度で魅せられてしまった。おそらく田村隆一の詩の中で最も人気のある作品ではなかろうか。

    帰 途                 田村隆一

  言葉なんかおぼえるんじゃなかった
  言葉のない世界
  意味が意味にならない世界に生きてたら
  どんなによかったか

  あなたが美しい言葉に復讐されても
  そいつは ぼくとは無関係だ
  きみが静かな意味に血を流したところで
  そいつも無関係だ

  あなたのやさしい眼のなかにある涙
  きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
  ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
  ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

  あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
  きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
  ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

  言葉なんかおぼえるんじゃなかった
  日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
  ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
  ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

この詩には、詩人の潔い決意のようなものが感じられ、言葉による表現に関わろうと志す人間なら誰もが惹きつけられるのではないかと思う。しかし同時に、あまりにも広く愛される詩であるがゆえに、この詩が田村隆一を代表する作品であると受け取られてしまう危険もあるように思う。確かにこの詩は愛すべき美しい作品である。が、田村隆一の真髄はこの詩にではなく、たとえば「四千の日と夜」や「立棺」といった作品の中にこそ求められるべきではないかと思う。

「帰途」は美しい詩である。けれども、この詩に漂ういくばくかのセンチメンタリズムは、田村隆一の詩の世界の本流ではない。この詩人の旺盛な批評精神と辛辣な視線は、猛禽類のそれにも似て甘さのかけらも見せないが、それでいて読む者の精神をぐらぐらと揺さぶる圧倒的な世界を提示してくれる。

ジャズに喩えて言えば、『バラッズ』のジョン・コルトレーンはこの上なく優しく美しい音を聴かせてくれる。けれども、やはり『ジャイアント・ステップス』や『ブルートレイン』や『アセンション』といったアルバムの激しい演奏の中にこそコルトレーンの本質的な部分があることに似ている。誰かに勧めるときの入口として適した部分は、どちらかというとそのアーティストの世界の周縁部になるのかもしれない。

特に晩年の作品に多かったが、こうした面とは別に、田村隆一は飄々とした諧謔味のある詩も作っている。都会に生まれ育った都市生活者としての明るさや軽みというものは、生来のものなのだろう。落語の世界にも通じる「江戸っ子」の粋な姿と重なる、どこか軽やかで陽気な感じのする作品も多かったように思う。

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