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2010年10月31日 (日)

読書週間なのに・その2

読書週間中なので、せっかくだからもう少し読書ネタを続けようと思う。

人それぞれ何度か繰り返して読む本をお持ちなのではないかと思うが、私の場合は、吉川英治の『三国志』と司馬遼太郎の『竜馬がゆく』がそれにあたる。何か節目となるときに、それぞれのストーリーの中に何かを探し求めるようにして読んできた。典型的な歴史オタク的選択だなあと我ながらあきれるが、好きなものは仕方ない。

吉川英治の『三国志』は、膨大な数の武将が登場するけれども、結局のところ諸葛孔明と曹操の対決が三国志の中心主題なのだと前回読んだときに感じた。この二人のぶつかり合いが中心軸となって時代が動いていく。とは言うものの、やはりそれ以外にも魅力的な武将が数多く登場するので話が単調にならないのであろう。

最初に読んだのがいつ頃か覚えていないが、三十代に入ってからだったかもしれない。四十代にも読み、五十代に入ってすぐに再読しやっぱり三国志は面白いなとあらためて感じた。

もっと三国志にのめり込んでいる方は、『三国志演義』や正史の『三国志』に手を伸ばすのだろうが、そのうちにと思ったまま読まないでいる。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』も同じように、十年くらいの間隔を置いて読み返している本の一つだ。大河ドラマの「龍馬伝」もおもしろいが、この『竜馬がゆく』を読んだときの昂揚感は何とも言い表しがたいものがあった。

あくまでも司馬遼太郎が描き出した龍馬像でしかないのだが、おそらく多くの方の中にある龍馬のイメージは、これまではこの『竜馬がゆく』によって作り上げられたものではないだろうか。大河ドラマ「龍馬伝」の福山雅治さん演じる龍馬像もとても魅力的である。同性の目から見ても格好いい龍馬像だと思う。テレビの方は、龍馬暗殺に向かってどんどん残り時間が少なくなっていく。分かっていることではあるが、この悲劇的なクライマックスは見たいような見たくないような複雑な気分である。

坂本龍馬という人が存在しなくても、おそらく日本は開国し近代化を目指しただろうとは思う。もしかすると薩長同盟が成立せず、幕府=フランス連合対薩摩=イギリス連合という内戦状態から、全く違った形の近代化を迎えた可能性もあったのかもしれない。あるいは坂本龍馬ではなく、他の誰かが薩長同盟を構想し実現したかもしれない。

しかし、それでも坂本龍馬という一個の個性ゆえに可能だった事柄があったのだと思う。人を心の底から動かすものは、理屈や理性を越えた何かであり、それは誰でも持っているとは言いにくい。龍馬やチェ・ゲバラのような希有な存在だから人が惹きつけられ、動いたのではないか。

『竜馬がゆく』そのものからは大きく話がズレてしまった。長い話だけに読もうと思ったときに一気に集中して読むことを求められ、おいそれと手を出せないでいるが、いつかまた再読してみたいと思っている。

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