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2010年9月26日 (日)

やっと半分

奥州市の水沢図書館から、ディケンズの『荒涼館』を七月下旬に借り出して読み始めたのだが、二ヶ月でやっと半分まで来た。夏期講習が始まる直前に読み始めたからということもあって、なかなか読み進める時間を見つけられなかった。

図書館の貸出期間は二週間なので、すでに四回以上借り直したことになる。幸い他に誰も予約を入れたりする人がいないので、毎回すんなりと借り直しができる。

話の筋は面白い。次から次へとさまざまな人物が登場し、無関係なようにちらばっていた出来事がいくつか束になり、それがまた拡散し、少しずつ全体像がつかめてくる。背景となっている十九世紀のロンドンの街並みや階級社会が古めかしく見えるといえば確かにそうなのだが、その古めかしさを忘れさせるような語り口の面白さがある。

日本で言えば江戸時代後期ころのロンドンが舞台で、大法官裁判所で延々と続いているある訴訟事件の話から始まる。ところが、この訴訟事件の全体がさっぱり分からない。遺産相続を巡る親族どうしの訴訟なのだろうとは推測できるが、作者による詳細な説明がないまま物語が進行していく。

この訴訟事件だけでなく、主要な登場人物の一人であるエスタ・サマソンの出生の秘密も別の主題となっていて、こちらも容易に底が割れない。伏線があちこちに張りめぐらされているのでおぼろげに展開は予測できるのだが、読者はその時々の状況までしか分からない。しかし解き明かされていない謎めいた部分が徐々に姿を現してくる様は、上質なミステリが持っている感触にある意味で似ている。後半の展開が楽しみである。

それにしても、三段組で580頁弱の本文は長い。なかなか頁が進まない。こういう読書は久々である。読み飛ばそうと思っても簡単にいかない分量だ。小学生のころ、図書室にあった『西遊記』の分厚い本(これは二段組だった)を、借り出さないで毎日少しずつかじるように読んだときの感触を思い出す。

あとどれくらいで読み切ることができるのだろう。少なくとも十月一杯はかかるように思う。この『荒涼館』を読み終えたら、ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』を読んで、その次にプルーストの『失われた時を求めて』に挑戦しようかと考えている。しかし、おそらく来年のことになるだろう。

今年のおおまかな予定では『源氏物語』の読破に向けて、瀬戸内寂聴さんの訳した現代語訳を読もうとしていたのだが、こちらは第二巻で止まっている。思ったように事は運ばないものだ。古典も平安期の日記や物語類を読もうと思いながら、手つかずである。今年の後半に入ってから読み始めたディケンズの『荒涼館』をまずは読み切ろうと思っている。

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