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2010年8月23日 (月)

落語の中の犬と猫・その4

どうも猫には魔性があると思われていたせいか、落語の中でも怪談や悪さをする噺という形で猫が登場してくるものがある。

今回は三代目桂米朝師匠が演じた「猫の忠信(ただのぶ)」。江戸前の落語では聴いたことがないので、もしかすると上方落語のネタなのかもしれない。

義太夫を習っている素人連中が「義経千本桜」を通しでやろうという話になる。次郎吉という男が世話係で、誰がどの場を語るか伝えに歩くが、古株の人間から何でわしがこないな所を演らなあかんのや、もっとええとこ寄こせとどつかれる。

そないなこと言われても、とブツブツ言いながら義太夫の女師匠お静の家の前を通りかかる。お静に岡惚れしている次郎吉は、お静はん、どないしとるやろうかとこっそり家の中をのぞき込む。すると中で師匠のお静が誰かと並んで昼日中から酒を飲んでいる。だ、だれじゃ、一体。次郎吉がカッカしながらよく見れば、友人の常吉である。うらやましくもあり悔しくもなった次郎吉は、常吉の女房に教えてやろうと思い立つ。

常吉の女房は近所でも評判のやきもち焼きである。次郎吉から、義太夫の師匠と常吉がいい仲になっていると聞かされて女房は頭に血がのぼる。「それで次郎さん、いつうちの人がお静さんと一緒のところを見たん」つい今しがた師匠の家にいるところを見たと次郎吉が言うと、女房は笑い出す。「何を言うてまんの。うちの人は先い前から隣りの部屋で昼寝してまんがな」

隣の部屋からその常吉が現れ、次郎吉はびっくりする。そやかて、わし、この目で確かに見たんやで。首をかしげる次郎吉と女房が義太夫の師匠の所に来てみると、さっきと同じように常吉とお静が並んで酒をくみ交わしている。うちの人いつの間に来たんやろ、と女房はカッとなるが、次郎吉と一緒に戻ってみると家には常吉が変わらず煙管を吹かしている。

そうか、よく分かった、と常吉が立ち上がり次郎吉に入れ知恵をする。ええか、中に入って酒を勧められたら盃を受けや。で、御返盃いうときに相手が手を伸ばしてきたら、その手を引っつかんで手の先を見るのやぞ。先が五本かそれとも丸いか大声を上げい。

言われた通り次郎吉が中に入り、返盃のときにニセ常吉の腕をぐっと押さえて先を見ると丸かった。「丸い手や」という次郎吉の声を合図に本物の常吉が踏み込んでニセモノを締め上げる。

実は猫が常吉に化けていたのであった。わけを訊いてみると、去る昔、天鼠がはびこったとき高貴な人に飼われている猫の生皮を張った三味線を天に向かって鳴らせば天鼠が退散するという話になった。その時、院に飼われていた両親が生皮をはがれて三味線になり、その三味線が流れ流れてこの義太夫の師匠の所に巡ってきたのだという。両親恋しさに常吉に化けて通ってきていたという噺である。

前回の「猫定」もそうだが長い噺である。米朝師匠のゆったりした声で演じられると聴いていて実に心地よくなる。猫がわけを話すところからは声の調子やテンポが変わり、締め上げられて申し開きしている猫の緊張感が伝わってくる。サゲは冒頭の「義経千本桜」に引っかけたものとなっており、しゃれた終わり方だ。

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