« ときどき必要なもの | トップページ | 国語の力 »

2010年7月21日 (水)

眠りと夢・その10

眠っているときに夢を見ている時間は、相当短いらしいと聞いたことがある。聞いた話なので、真偽のほどは分からない。めくるめく展開の長い夢を見たとしても、実際に見ている時間はそれほどでもないかもしれないというのは面白い。時間の長さが主観的なものに左右されるという例の一つになるのだろう。よく言われるように、楽しい時間は短く、苦しい時間は長いというあれである。

一晩のなかで見る夢も実は、いくつかあるらしいのだが、目が醒めた時点で忘れているものが多いので夢を見たということすら覚えていないということはよくある。寝ている人を傍から見ていて、寝言やらニヤニヤ笑いやら、しかめ面やらをするので何か夢を見ているのだろうなと思っても、寝ていた当人が目を覚ましてから訊ねてみると何も覚えていないことが多かったりする。

上方落語の「天狗裁き」もそういう噺である。

ある男が長屋で昼寝をしている。おカミさんが見ていると、ニヤニヤ笑ったかと思うと眉にしわを寄せて難しい顔になったりとまことに忙しい。うんうんうなされたかと思うとまたニヤニヤしたりしているので、おカミさんはよほど面白い夢を見ているにちがいないと思い込む。

目が醒めた男に、どんな夢を見ていたのかと訊ねるが、亭主のほうは全く覚えていない。夢など見ていないと答えると、女房のほうは、わたしに話せないような夢を見ていたから教えないんでしょうとやきもちを焼く。教えるも教えないも、見ていない夢の話はできないと男はくり返すが女房は納得せず、大声の夫婦喧嘩になってしまう。

そこへ隣の徳さんという男がやってきて事情を尋ねる。まあまあそうカッカせずにと女房を制して、徳さんは亭主のほうに「カミさんに話せないような夢でも友だちのわしには話せるやろ」と水を向ける。ところが夢を見た覚えがない亭主は話せない。業を煮やした徳さんは、お前とは絶交やと騒ぐ。

この騒ぎを聞きつけたのが家主の幸兵衛さん。「仲裁は時の氏神」というくらいだから、まずはわしの言うことを聞いて、喧嘩はやめなさいと両者を分ける。徳さんが帰ってしまうと家主は、「で、どないな夢をみたんや」と男に訊ねる。しかし見ていない夢を話すことはできないので、男は見ていないと伝える。わしは家主やぞ、町役人や、それに逆らうとはふとどきな。というわけで御奉行所へ訴えられてしまう。

御奉行さんは家主の話を聞いて、ばからしい訴えであると却下する。お裁きを下した後に、「ああ、これこれ。その方はしばし残れ」と男だけ御白州に残す。何だろうと思ったら「この奉行にだけ、どのような夢であったか語れ」というご命令。見ていない夢は語れませんと男が答えると、御奉行さんは「ええい、強情なやつじゃ。かくなる上は語ると言うまで木につるしておけ」と下役に命じる。

木につり下げられてうんうんうなっているとバサバサッと音がして、誰かが男を助けて連れ去る。誰だろうと思うと鞍馬山の大天狗であった。「公正な裁きをせねばならぬ町奉行が町人を苦しめるとは不届き千万。この鞍馬山の大天狗が助けてやったのじゃ。して、なにゆえつるされておった」この問いかけに事情を話すと、「ほう、そうか。で、どんな夢だったのじゃ。わしにだけ語れ」という展開となる。サゲは伏せておくものの、雪だるま式に話が大きくなっていくさまは、まるで筒井康隆の小説である。

江戸前の落語に出てくる夢の噺には、こういうタイプのナンセンスなものは少ないのではないか。江戸の落語ではストーリー性が勝ってしまうのかもしれないが、上方落語のようなナンセンスな笑いも楽しいものである。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

|

« ときどき必要なもの | トップページ | 国語の力 »

落語」カテゴリの記事

眠りと夢」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 眠りと夢・その10:

« ときどき必要なもの | トップページ | 国語の力 »