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2010年5月27日 (木)

村上春樹をめぐる冒険・その2

一体村上春樹の読者層というのは、どれくらいの年齢が上限となるのだろう。つまり前回取り上げた、村上作品の底流に存在するある種の「喪失感」に共鳴し、「自分のこと」として村上作品を追いかける読者層の中でという話なのだが。

ベストセラーであるからという理由で、あるいは話題のためだけに読んではみたものの、村上作品の次回作が待ち遠しいという「病みつき」になる読者層は、年齢的にどのあたりまでなのだろう。

想像に過ぎないのだが、おそらく村上春樹の同年代より上にはならないのではないだろうか。それより上の世代には、村上作品の中に感じられる「喪失感」が痛切な響きをもって迫ってこないのではないかと想像する。もちろん年齢や過ごしてきた時代に関係なく、そうしたものに敏感に共鳴する読者もいるだろう。だが、感受性が形成される時期に過ごした時代の空気や影響は大きい。

団塊の世代以降の人びとの中にある漠然とした感触が、村上作品の中にある「喪失感」に共振するのではないか。それは社会を語る文脈における「物語」の喪失であり、個人の魂を救済する「物語」の喪失ではないかと思う。

社会全体を方向付ける思想や主義という「大きな物語」が信ずるに足るものでなくなり、個人を支える「小さな物語」も見つけ出しにくい時代。そういうものはすでに失われているのであり、自分の足場を支えるものが何もなくふわふわと漂っている。個人がどこまでも自由に解き放たれているように見えて、足許が確実なものではない漠然とした不安感。そのような感触を成長する過程の中で意識してきた世代が、自分のなじんできた世界に通じる何かを村上作品の中に見出すのではないか。

すでに失われてしまった物語の代わりに、それぞれが埋めていくしかない個人的な物語の形として村上作品があるようにも思う。小説を読むという経験を通して擬似的に個人の物語を獲得していく過程をなぞっていく。村上春樹の小説を読み終えたときに感じるカタルシスというのは、この擬似的な物語獲得経験によるものではないだろうか。

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