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2010年4月25日 (日)

ムダは大事

たとえばブレーキを踏んだときに、いきなりブレーキが効き始めたらどうだろうか。おそらく乗っている全員が前のめりになるのではないかと思う。ブレーキには効き始める前に少し「遊び」がある。だからブレーキングの調節ができる。

この「遊び」をムダと考えればムダである。しかしムダというものはそんなに悪いものなのだろうか。もちろん事業仕訳の対象となるような税金のムダ遣いはやめてほしい。そうでないムダはそれほど目くじら立てるほどのムダではないのではないだろうか。

世の中のなんとなくギスギスした空気の源は、実はムダを許さない合理性なのではないか。合理的に考えるあまり理に合わないムダを全て排除しようとする。だが、果たしてそれでいいのだろうか。それで人生は豊かになるのだろうか。

ムダのない人生は、それほどいい人生なのだろうか。私は違うのではないかと思う。ムダと言えば生きていること自体がムダなのである。なまじ生きていることに意味があるなどと思うから、どう生きたらいいのかと悩んだりするのではないか。ムダだからこそ生きる意味がある。何かのためではなく、ムダであっても生きていることそのものに意味があるのだ。何かのためなどと目的や正当化するための理由を探さない方が、はるかに楽に生きられるのではないか。

ナンセンスを許容できない社会は息苦しい。意味性の呪縛から解き放たれて、これでいいのだとバカボンのパパみたいに無意味性を全肯定したほうが、よっぽどましな世の中になるような気がする。

落語を聴いているとなぜ気持ちが楽になるのか、はっきり分かった。立川談志師匠が言うように落語は「人間の業の肯定」なのである。愚かで一生懸命でわけも分からず生きているその生き方が、そのままそれでいいのだ。この大らかさを世の人びとが共有できれば、もっと生きやすい社会になるのではないだろうか。

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コメント

ムダだからこそ生きる意味がある。何かのためではなく、ムダであっても生きていることそのものに意味があるのだ。

まったくそのとおりですね。どうも最近ブルーな日々が続いておりまして、こんな文章を読むと救われます。
なんかに追われるように生きていくのは疲れますよね。脱力状態で、ノンビリ頑張りたいとおもいます。おやすみなさい。


【学び舎主人】
金田先生、コメントありがとうございます。

回り道をしたり、道草をくったり、子どもの頃は学校帰りに寄り道するのが好きでした。「結果」ではなく「過程」を楽しむ。もちろん「結果」が伴わなければ、現実には「評価」が得られないわけですが、ムダを極力排して「結果」のみに邁進する生き方より、余白のある生き方を選びたいと思います。

回り道も道草も、必要な学びの一部だと思うからです。

投稿: かねごん | 2010年4月26日 (月) 00時26分

読みながら うんうん ってうなずいてました。

一見ムダに思えるもののなかに大きなヒントが隠れてたり、
ムダなものにふれるからこそ効率がよいということがどういうことか体感できたりしますよね。

若い頃の苦労は買ってでもしろ というように(今はあまり使わないのかな)何かに役に立つときがくることもありますし(^^)

遊び心って言葉が大好きです。

正直、ムダがなかったら今の自分はなかったと思いますね♪


【学び舎主人】
なか先生、コメントありがとうございます。
今日は、日高火防際の前夜祭なのにあいにくの雨でしたね。東大通りにやってきた42歳厄年連のみなさんも、雨の中寒そうで、大変だなあと見ておりました。

教える仕事は効率よくという具合にはいかないので、ムダを排除せず辛抱強くやっていくのが良いのだろうなと思っております。

投稿: なか先生 | 2010年4月28日 (水) 18時44分

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