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2010年4月26日 (月)

本屋はぶらつくに限る

昨日の記事の延長みたいな内容である。

本をさがそうと思ったときに、今ならアマゾン・コムなどのネット注文を第一に考える人が多いだろう。たしかにアマゾン・コムで検索するとたいがいの本が入手できる。アマゾンとは別に、ネットから注文して近くの書店で受け取る全国書店ネットワークの「e-hon」もよく利用する。書店受け取りにすると、1冊のみの少額の購入でも手数料・送料が全くかからない。メールで到着の通知が来たときに忘れずに取りに行くことで、書籍代のみで手に入る。

こういったネット利用の書籍購入は、かなり便利である。時間の短縮にもなるし、買いたい本がわかっている場合は、あるかどうか不明な書店の店頭でさがすより確実に入手できる。しかし、それでも、時間があるなら書店をぶらつくに限ると思う。

たとえばアマゾン・コムでお目当ての本を見つけたとする。たいがい「この本を購入した人は次の本も購入しています」という、購入履歴をもとにした関連書籍が紹介される。これはこれでありがたいことだ。ところが関連書籍は紹介されるが、まったく無関係な書籍がそこに表示されることがないため、「おやっ」と思うことがない。この「おやっ」という感じは、なんと言っても書店で書棚の間をぶらぶら、うろうろしているときに味わえる醍醐味である。

つまり、書店に行くと、目的の本とはまったく関係のない本のタイトルを目にして、「ほう、こんな本があったのか」または「あ、これ面白そう」と思うことが多いということである。目的合理性のみを追求していたのでは、こういうムダの効用とは無縁かもしれない。思うに本との遭遇は、人との遭遇に似たところがあり、偶然の要素を抜きにして考えることは難しい。

書店の中を散歩しているとでも言えばいいか。手ぶらで何の先入観もなく接した本がかなり面白かった、そういう経験はだれしもあるのではないだろうか。自分の中にこれまで気がつかなかった興味の分野があり、それが触発されることもある。

人間の脳はほんの数%しか使われていないそうだが、象徴的な話だと思う。海面下にある氷山の下部と同じように膨大な部分が見えるはたらきをしていない。言ってみれば、「余白」をたっぷりととった文書のようなものだ。「余白」のない文書は読みにくい。まさか「余白」を「ムダ」として排除する人はいないだろうと思うのだが。

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