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2010年1月18日 (月)

思い込みの壁

医療系の学校への進学を考えて今月の初めから受験が始まった高校生がいる。以前の記事で紹介したことのある女の子である。17日まではセンター試験を受け、今日一日置いて明日19日は次の試験場所へ移動し20日に試験がある。

彼女はこれまで他県で試験を受けたり、一人で宿に泊まって交通機関を利用して移動したりという経験がなく、それも一つのストレスになっているようだ。思えば高校生の頃の私もそうだった。自分の家でのんきに暮らしているときは想像もしていなかったような緊張を強いられる。自分であれこれやらなくても親に頼んでおけば何とかなったのとはわけが違う。だから、受験そのものも精神的に重圧を感じるものだったが、それ以外のこまごました要素の方がもっと重荷になっていた気がする。

先日の話のときもそうだったが、彼女はすぐネガティブな思考に傾きやすい。「全部だめだったら、どうしよう」とまた口にするので、「全部受かったらどうしよう、とは考えないの?」と切り返す。「先生、なんでそんなにポジティブに考えられるんですか?全部受かるなんてあり得ないじゃないですか」「でもな、ポジティブに考えた方が楽しいだろ」「そりゃ楽しいですけど、学生のときもそんなふうにポジティブに考えられました?」意外な反撃が来た。

そういえば私も高校生の頃はこんなふうにポジティブには考えられなかった。「たしかに高校生の頃はこんなふうには考えられなかったような気がするなあ。でもな、だから余計に今はポジティブに考えることが大事だとみんなに話しているわけだ」「ですよねえ。そんなポジティブにすぐなれませんよ」「あの頃ポジティブに考えることができていたら人生また違っていただろうな」「あ、でもそれじゃ今、塾の先生やってないじゃないですか」「そういうこともあり得るな、たしかに」

とまあ、話が脱線しそうだったのでそこでやめておいたが、物事を前向きにとらえた方が楽しいし、その方がよいということは分かっていながら、実際にはなかなかそのようには考えられないようだ。自分の視点をずらすということがいかに難しいことなのかと実感する。すべての物事は自分の受け止め方一つで、肯定的なものにも否定的なものにもなる。その物事を自分がどう見るのかにかかっている。英語の"little"と"a little"の区別みたいなものだ。ペットボトルに少し飲み物が残っている。このとなりに買ってきたばかりのものを並べれば、最初にあったペットボトルは「ほとんどない」となるが、空っぽのものを横に置いた場合は「少しある」ということになる。"little"と"a little"の違いは主観的なものにすぎない。絶対量として決まっているわけではないのだ。

人の幸、不幸あるいは運、不運というものにしても同じではないのか。生きていく中で起きる出来事はさまざまある。その一つ一つに最初から意味がついているわけではない。意味をつけているのは自分の意識なのだ。大変な出来事に遭遇するとあわててしまうし、自分はついていないとか、なんて不幸なんだろうと思ってしまったりする。しかし、そのような大変な出来事でさえ、そこから何かしらのことを学ぶことができる。そういう学びの契機が与えられたのだと主体的に受け止めた方が、息をつきやすくならないだろうか。

人はなかなか自分の見方や物事のとらえ方から自由になれない。どうしても自分のフィルターを通してしかつかむことができないのなら、いっそフィルターを明るいもの、楽しくなるもの、前向きな気持ちになるものにしてしまった方がいいように思う。その方が元気が出る。八方ふさがりでもう駄目だと思う前に、今こういう状況にあるのも何かを学びとれということなのだろうと考えてみることはできないものか。

思い込みの壁を崩すのは言うほど簡単ではないのかもしれない。しかし、こういう考え方もできるしこんなとらえ方もある、と視界を広げるような話を生徒に与えられたらいいなと考えている。

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