« 石川淳雑感・その2 | トップページ | 一月も終わる »

2010年1月30日 (土)

石川淳雑感・その3

塾で教える仕事に就いた初めのころ、運転免許は持っていたものの車を持っていなかった。バス会社で整備士をしていた母方の叔父が、それならおれが世話をしてやると中古を一台さがしてくれた。その車に乗るまでは電車を使って教室に通う毎日だった。片道三十分ほどの時間電車に揺られるのだが、混み合う時間ではないのでゆっくり座って本を読むことができた。

その頃に読んだのが、岩波文庫に入っていた『至福千年』である。江戸名所巡りのような背景設定のもと時代は幕末に設定されている。キリスト教の千年王国運動にも通じるような革命を目論む一群の人間たちや、それを阻もうとする勢力との緊張関係がアクション映画のようにテンポよく展開していく。

石川淳が千年王国運動に関心を持っていたのは、ノーマン・コーンの『千年王国の追求』を書評で取り上げていたので知っていたのだが、こういう形で自分の作品の骨格に使っているとは思わなかった。

加えて狂言まわしの役割を与えられた俳諧師が登場し、連句の付け合わせをするのだが、これもまた石川淳お得意の世界である。俳諧連歌という形式が蕉風をもって確立した文学運動であることを「俳諧初心」の中で説き、自らも丸谷才一らと歌仙を巻いた石川ならではの工夫である。和漢洋に通じた人だから書けた小説だとも言える。

この小説だけでなく、石川淳の小説に単純な善玉や悪玉という人物や集団は登場しない。流動し変化しつづける人間と集団があるばかりで、善悪の彼岸で物語が展開している。ここに勧善懲悪やモラルを求めるのはお門違いとなるだろう。モラルは物語世界を持続していこうとする作者の努力の中にしかないのであり、それは社会通念としてのモラルではない。虚構でしか描き出せない精神の運動の軌跡を定着するために必要なスタンスのことである。

『至福千年』に描かれているのは、失敗に終わる革命運動とそれに群がる有象無象の人間たちの動きである。「歴史を構成するものは人間の群運動である。またそれに付帯し、それから派生する現象である」と「歴史と文学」の中で石川淳は言う。この言葉通りの小説と言っていいのではないだろうか。個々の人間の運動が相互に影響し合い一つの大きな運動が歴史を作っていく。この歴史認識そのままの作品である。

『狂風記』にしても、ほかの長編にしても石川淳の長編で試みられたのは「あり得る世界」の記述なのだろう。虚構世界を実験室として、さまざまな運動の思考実験が繰り広げられたのではないか。石川淳の小説を論じることの困難さはこの思考実験の過程と結果をすべて把握し、意義付けなければならないところにあるような気がする。ある意味で高度に観念的な作品群だと言える。しかし、おそらくその観念性を正面に取り上げても論じる者が恥をかくだけのようにも思う。石川淳の作品は江戸の戯作者たちの精神にも通じる「やつし」や「見立て」のレトリックにあふれているからだ。

大真面目に論じるとなると、野暮を承知で徹底して分析するしか方法がないのかもしれない。その一点が、なかなか気が重くなるところでもある。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

|

« 石川淳雑感・その2 | トップページ | 一月も終わる »

読書」カテゴリの記事

コメント

今回の石川淳雑感シリーズを楽しく読ませて頂きました。この手の文学の世界観を評する小林先生の文章は惚れ惚れしますね。
僕が初めて石川淳の文章に触れたのは、安部公房の作品集『壁』に寄せられた彼の序文だったと記憶しています。
その後興味を持って新潮文庫の「焼け跡のイエス」を読んだ記憶があります。「処女懐胎」や「最期の晩餐」のようなキリスト文学があるかと思うと、古事記の現代語訳を出したり、多彩な文学者ですよね。
暇ができたら僕もじっくり読んでみたいと思います。


【学び舎主人】
金田先生、コメントありがとうございます。

この方は無頼派の中で最後まで生き残った長寿な方でしたから、おっしゃるように作品は多彩です。コメントの中で出てきた安部公房や三島由紀夫など多くの作家が石川淳との交流から刺激を受けているようです。

おそらくもっと我々に近い年代に生を受けていたら、パンク・ロックかフリー・ジャズをやっていたのではないかと思えるほど、日本的な枯淡の境地とか感傷性からほど遠い人だと思います。

投稿: かねごん | 2010年2月 1日 (月) 00時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 石川淳雑感・その3:

« 石川淳雑感・その2 | トップページ | 一月も終わる »