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2009年12月27日 (日)

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その16(最終回)

(「架空対談」の全文はこちら
(前九年の役の概略は「架空対談をお楽しみいただくために」をご覧下さい)

学び舎:いよいよこの架空対談も最終回を迎えることになりました。経清さんにも宗任さんにも大変お世話になりましたが、最後の対談ですのでよろしくお願いします。
経清 :こちらこそ。
宗任 :あのさぁ、ホントにこれでおしまい?なんだか寂しいなあ。次から「宗任氏に学ぶ処世術講座」とか「宗任氏直伝・人はこう動かせ」なんて特集組まない?ギャラは安くてもいいからさ。
学び舎:いやあ、今のところその手の企画は無いものですから…。
宗任 :じゃあ、今日でお別れ?なんか寂しいよなあ。
経清 :みなそれぞれに事情があることだし、「人生即離別」サヨナラだけが人生だ、とも言うではないか、宗任。
宗任 :そりゃ分かるけどさ。分かった、分かったよ。最終回くらいきちんとまとめろってことだろ?
経清 :そういうことだ。

学び舎:では、さっそく本題に入ります。宗任さんたちは頼義将軍の許に帰降してからずいぶん陸奥国で待機させられてますね。
宗任 :そうなんだよ。早いとこ連れていって京見物でもさせてくれりゃあいいものを、いつまでもこっちに居座ってやがった。
学び舎:貞任さんたちの首級が入京してから一年以上経ってやっと上洛ということですが。
経清 :どうも太政官からの命令書である官符が出なかったみたいですね。それでしびれを切らして頼義将軍が報告書を出し、降人を引き連れて上るという話になったようです。
学び舎:京まで連れて行かれた安倍氏の一族はどなただったんですか?
宗任 :ええと。まずおれだろ。それから正任と家任と則任。あ、則任は坊主になってたから良増ってえ名前だったけどな。それから良昭叔父は先に出羽守の源齊頼(ただより)に捕まって、おれたちとは別に京へ送られたなあ。
学び舎:あのぉ、資料によって連れて行かれた顔ぶれが違ってるんですけど…、これはどういうことなんでしょう。
宗任 :おれに聞かれても分かるわけねえじゃねえか。だいたい後から書いた連中がよく分からねえもんだから、適当に書いたんだろ。
経清 :そうかもしれぬが、お前がさっき名前をあげた五人は確実に降人として連れていかれたのではないのか?
宗任 :まあ、それはそうだ。
学び舎:宗任さんとたちと一緒についていった人たちもいたようですが。
宗任 :ああ、身内の中で一緒に行きたいと願い出た連中だ。身の回りの世話もあるし、正任なんか大所帯でゾロゾロと連れていきやがった。

学び舎:それで、京についてから洛中には入れなかったようですね。
宗任 :すぐに頼義のおっさんの任地に引っぱっていかれた。
経清 :頼義殿の任地といえば伊予ではないか?
宗任 :そうそう。瀬戸内海を船で伊予まで渡り、しばらくはそこにいた。ところが、一緒に行った連中の中で陸奥へ帰りたいと言い出す奴が出てきて、それが頼義将軍の耳に入っちまった。それで、今度は大宰府まで移送されることになった。良昭叔父は観世音寺の預かりとなり、おれたちもそれぞれ分散して暮らすことになった。
学び舎:宗任さんは九州に渡ってから出家されたんですか?
宗任 :おれが?坊主に?ホントになるわけねえだろ、馬鹿馬鹿しい。
学び舎:でも、『今昔物語集』に出ている説話では九州にいた「宗任法師」が語ったことになってますよ。
宗任 :あのねえ、説話なんてものはどうにでもなるものなんだから、話半分に聞いとかないとだめだよ。
学び舎:はあ、そういうものでしょうか。
経清 :この男のことだから、たぶん年を取ってから「法師」を自称していたんでしょう。僧侶のまねごとなんかして善男善女からお布施を巻き上げていたんだと思いますよ。
宗任 :そういえば、そんなだったかも。

学び舎:最後にどうしても疑問に思っていることが一つだけありますので、お二人にお聞きしていいでしょうか。
経清 :何でしょう。
宗任 :今どんなお気持ちですか、なんて馬鹿なこと聞くつもりじゃねえだろうな。
学び舎:いえ、違います。お二人の御子孫の話です。
宗任 :子孫?何のこった、そりゃ。
学び舎:実は前九年の役の後に起きた後三年の役を通じて、最後に残ったのは経清さんの息子さんの藤原清衡さんでした。
宗任 :ああ、そうなんだってな。喜ばしい限りじゃねえか。
学び舎:それで、その清衡さんの息子の奥州藤原氏二代目、藤原基衡さんの奥さんというのが宗任さんの娘さんだということなんですが。
宗任 :はあ?何でおれの娘が経清ちゃんの孫と一緒になんなきゃいけないわけ?
経清 :それはこっちの科白だ。
学び舎:ともかく資料ではそうなっているんですが、年齢的にありうる話なのか、ずっと疑問なんですよ。
経清 :おそらく宗任が伊予か九州で設けた娘が何かの事情で陸奥へ送られて養育されたか何かしたのではないですか。
宗任 :たぶんな。おれにもよく分からねえな、その話は。
学び舎:そうですか。もしかしたら基衡さんじゃなくて清衡さんの奥さんのことなのではないかとも思ったのですが、どの資料を見ても基衡さんになっているので気になっていました。
宗任 :でもよ、そうすると経清ちゃんとは孫や娘の代になっても親戚ってえわけかい?
学び舎:そうなりますね。
経清 :つくづく腐れ縁ではないかとあきらめています。
宗任 :お、言ってくれるじゃないの。

学び舎:まあまあ、最後ですから仲良くお願いします。16回という長きに渡り対談においでいただき、本当にありがとうございます。
経清 :こちらこそ。
宗任 :おれ、途中からだから16回は出てないよ。もっと延ばしてくれねえかなあ。
学び舎:申し訳ありませんが、今日が対談の最終回です。
宗任 :そうなのかい?まあ、しょうがねえか。
学び舎:経清さんのご子息の清衡さんが平泉に中尊寺を建立されるときの供養願文に、心動かされる一文がありますので、お終いにそれをご紹介しておきます。
宗任 :ほお。あの小さかった清衡がなあ。何て言ってんだ?
学び舎:二階建ての鐘楼を造り、巨大な鐘を据える目的を述べたところですが、こうです。「一音響いて至るところの艱難(かんなん)を消し、平等に喜びを授ける。かつての戦乱(前九年の役、後三年の役)における死者は官軍・夷狄を問わず、鳥獣魚介の域を越えて精魂皆去り、塵になり果てている。鐘音と共にすべての恨みを消し去り、浄土に皆の霊を導かんと願う。」ここには、清衡さんの深い祈りが込められているように思います。
経清 :恩讐の彼方に、というところですか。あいつも苦労を重ねたのだなと思います、親馬鹿ですが。
宗任 :「鐘音と共にすべての恨みを消し去り、浄土に皆の霊を導かんと願う」にはグッとくるじゃねえか。戦がおわっちまえば、頼義のおっさんもそんなに憎らしいわけじゃなかったしな。ま、お互い行きがかり上やむを得なかったってこった。
学び舎:平泉を世界遺産に推すのなら、この清衡さんの敵味方を越えて平等に供養しようという平和への願いを前面に出したらどうなのかと思います。恒久平和を願う気持ちは普遍性があるという気がするんですけど…。
宗任 :そうかも知れねえな。

学び舎:それでは経清さん、宗任さん、長きに渡り、本当にありがとうございました。
経清 :では、いつかまた。
宗任 :呼んでくれたらギャラが安くてもすぐ来るからさ、またよろしくたのむぜ。
学び舎:また機会がありましたらお願いします。それでは。

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