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2009年12月19日 (土)

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その14

(「架空対談」の全文はこちら
(前九年の役の概略は「架空対談をお楽しみいただくために」をご覧下さい)

学び舎:藤原経清氏と安倍宗任氏をお招きしてお話をうかがって参りましたが、早いもので14回目となりました。今日は前回に引き続き、厨川柵決戦の三回目をお届けします。経清さん、宗任さんどうぞよろしくお願いします。
経清 :こちらこそ。
宗任 :今回も早いじゃねえか。おかげで絶好調だぜ。
経清 :お前にも調子が悪いときがあるのか?
宗任 :お、言ってくれるねえ。おれだって丸たん棒じゃあねえや。血も涙もある男ってえことよ。おっと「男」じゃなくて「漢(おとこ)」で頼むぜ、学び舎さんよ。
学び舎:はあ…。
経清 :気にせず話を進めましょう。

学び舎:分かりました。さて厨川柵を落とされた後、嫗戸(うばと)柵に籠もっての戦闘となったわけですが、経清さんが生け捕りになったのはその時ですか。
経清 :そうです。貞任殿と重任殿の軍勢とともに嫗戸柵から出て、国府軍と戦いました。乱軍の中で気がつくと周りを国府軍に取り囲まれ、ふがいなくも捕まってしまいました。
学び舎:頼義将軍は経清さんを語気強く責めていますが、そんなに憎まれていたんですか。
経清 :まあ、頼義将軍にしてみれば、私が「白符」を用いて官物の米を収奪したことが許せなかったんでしょう。
学び舎:「白符」っていうのは国府の朱印が押していない私的徴税書ですね。
経清 :そうです。正式の徴税書類には朱印があるので「赤符」と呼ばれていたのです。黄海の合戦後に我々の支配地域が磐井郡に伸びていくのをどうすることもできなかったという将軍の悔しさが、私に対する憎しみに凝縮されているのだと思います。
宗任 :あのさあ、なまくら刀でのこぎり引きにされてどうでした、なんて間抜けなこと聞くつもりじゃないだろうね。
学び舎:ドキッ。
宗任 :痛いに決まってんだろう、どう考えても。言語に絶する痛みってやつだぜ、おそらく。
経清 :お前にしては難しい言い回しだな。
宗任 :へへ、おれだってちったあ学があるってところを見せておかねえとな。

学び舎:貞任さんはどんなふうに捕らえられたんですか。
宗任 :兄貴はなんてたって体はでかいし、まともに近づいたらブンブン振り回される刀で斬られるだけだから、遠巻きにして長刀で刺しやがったみたいだ。大楯に載せて六人で担ぎ上げて頼義のおっさんの前に連れてったらしい。重任が斬られたのもその前後だと思う。
学び舎:貞任さんの息子さんの話も伝わってますが。
宗任 :ああ、千世坊のことだろ。さすが貞任兄貴の息子だとみんなが誉めてたよ。きれいな顔立ちでな、今ならジャニーズ事務所に入れたかもしれねえな。
経清 :わずか十三歳でしたが、鎧を身にまとい柵の外で勇敢に戦う姿には風格がありました。頼義将軍は哀れんで助けようとされたようですが、清原武則殿が「小さな義を思って大きな害を忘れてはいけません」と聞き入れなかったそうです。
宗任 :そういやあ、お前のとこの清衡はどうした?
経清 :まだ七つでしたから戦には出ませんでした。
宗任 :そうか、そのくらいだったのか。
学び舎:あのぉ。貞任さんは厨川柵で亡くなったとき、お幾つだったんですか?一説では三十四歳とも四十四歳とも言われてますが。
宗任 :それが実はよくわからねえんだよ。だから、おれが幾つだったのかも分からない。
経清 :息子さんの千世童子が十三歳ですから三十四でも四十四でもおかしくはないでしょうけども、貞任殿の年齢については決め手がありません。
宗任 :年齢不詳なのはお前も同じだよな。
経清 :確かに。

学び舎:宗任さんは嫗戸(うばと)柵から負傷して脱出されたようですが、実際はどうだったんですか。
宗任 :負傷ったって、蚊に食われたようなもんさ。逃げのびるには西から北の沼地しか場所がなかった。その頃は乱戦になっていて味方の軍勢がどれくらい残っているのか分からねえし、弟たちもバラバラだった。則任だけは近くに引っぱっていたんだがな。柵を脱出してから行方が分からなくなっちまったのさ。
学び舎:安倍為元さんとか、宗任さんの弟の家任さんは比較的早い時期に投降したみたいですね。
宗任 :そうらしいな。おれたちは出羽へ逃げ込んで再起を図ろうかと本気で考えたんだが、そこに行くまでの食い物も何も手許にありゃしねえ。配下の連中と相談して投降するしかないかということで話がまとまったんだよ。
学び舎:則任さんは出家してから投降されたんですね。
宗任 :前回話したように、則任は自分の妻子が淵に身を投げてからふぬけたようになってしまった。ほんとは寺に籠もったまま菩提を弔う気でいたと思うが、おそらく寺の坊主に投降するように言われたんだろう。
学び舎:正任さんや良昭さんは出羽でどうしてたんでしょう。
経清 :私はすでに頸を斬られてましたのでお目にかかってはいませんが、なんでも良昭殿は出羽国守の源齊頼(ただより)殿に捕らえられたそうです。正任殿も清原頼遠殿の許に隠れて北の俘囚と連絡を取ろうとしていたようですが、結局ご兄弟が投降されたことを耳にして出てきたようです。
宗任 :貞任兄貴の目論んだ通り出羽に残党が結集できれば、もうひと戦できたんだがな。おれたちに運がなかったってことよ。

学び舎:では、前九年の役終結後のお話は次回にお聞きしたいと思います。どうもありがとうございました。

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コメント

ついに厨川柵決戦も終了となりましたね。お疲れ様でした。
生き残りの兄弟たちの事についても興味深いところです。


【学び舎主人】
ご愛読いただきありがとうございます _ ( . _ . ) _
架空対談のこのシリーズもあと2回ほどです。生き残りの兄弟の件も少し出てきますので、お楽しみに。

投稿: ちびやまめ | 2009年12月19日 (土) 15時46分

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