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2009年12月13日 (日)

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その12

(「架空対談」の全文はこちら
(前九年の役の概略は「架空対談をお楽しみいただくために」をご覧下さい)

学び舎:ずいぶんごぶさたしてしまいましたが、久々に経清さんと宗任さんをお迎えして前九年の役を振り返るシリーズをお送りしたいと思います。よろしくお願いします。
宗任 :忘れられちゃったのかと心配してたよ。8月以来4ヶ月ぶりだぜ。お前さんそんなに忙しいのかい?
学び舎:いえ、そんなに忙しいわけでは…。
宗任 :そんなら、もっと早く呼んでくれないと。こっちもさ年末になるといろいろとあるんだから。
学び舎:そうなんですか?
宗任 :おれなんか忘年会の幹事だし、経清ちゃんは年末調整の準備があるしさ。なにかと気ぜわしいじゃねえか。
経清 :宗任の言うことは気にしなくていいですよ。どうせこの男は忘年会をいくつも掛け持ちして忙しいだけですから。
学び舎:はあ。

宗任 :で、今日はいよいよ厨川柵の話かい?
学び舎:そうなります。
経清 :少し気が重いですね。
学び舎:やっぱり。
宗任 :そりゃそうだよ、経清ちゃんは厨川柵で頸を斬られちまったんだもんな。
経清 :それだけではない。安倍氏一族の敗北が決まってしまった決戦を振り返るのが気が重いのだ。
宗任 :じゃあ、いいよ。おれが話してやるよ、今日は。
学び舎:じゃあ、さっそく旧暦九月十五日の話からお聞きしていいですか?
宗任 :いいよ。
学び舎:国府軍が厨川柵に到着したのは酉の刻ということですから日没ごろですか?
宗任 :そうそう、そうだった。厨川柵と嫗戸(うばと)柵を包囲したのはそのあたりだったなあ。
経清 :これまでの戦闘で数を減らしているとはいえ、一万近い軍勢が囲んだのですから壮観でした。
学び舎:厨川柵は厳重な防御の態勢をとっていたようですが。
経清 :そうです。厨川柵から嫗戸柵まで直線距離で1㎞くらいのものでしたから、この二つの柵を合わせて国府軍に臨む態勢をとりました。うまい具合に西から北は沼地でしたし、東から南は北上川と雫石(しずくいし)川で守られていましたから、まずは天然の障壁があったのです。
宗任 :それでな、川と柵の間には空堀を作ってあったのよ。
学び舎:空堀?
宗任 :ああ。底に刀を逆さまに立ててある空堀だから、落ちたらまず助からねえ。運良く上にあがっても今度はまきびしが一面に撒いてある。その上、柵の上から弩(いしゆみ)で遠くから射かけられる。だからおいそれと柵には近づけねえってわけよ。
学び舎:なるほど。
宗任 :それでもかいくぐってきた奴には石をぶつけたり、柵下までたどり着いた奴には煮え湯を頭からかけて歓迎してやったけどな。
学び舎:なんだかアクション・ゲームみたいですね。
宗任 :スーパー貞任ブラザーズってか。(爆笑)
経清 :ともかく、準備だけはしっかりしてありました。

学び舎:国府軍が到着したときに柵の楼の上から挑発していますね。
経清 :あれは、この男の発案です。
宗任 :へっへっへ。どうせ戦を始めるなら景気よく始めてえじゃねえか。まずは軽く大口を叩いてからってことでね、声のでかい野郎に挑発さして、それから下働きのかあちゃん達に上がってもらい頼義将軍を歓迎する歌を歌わせたのさ。
学び舎:どんな歌だったんですか?
宗任 :え?言ってもいいの?お前さんのとこ塾のブログだろ、まずいと思うよ、これは。
学び舎:下ネタ満載の歌詞ってことですか?
経清 :ええ、詳しいことは訊かない方がいいですよ。この男なら平気で言いかねませんから。
宗任 :またそうやっておれを悪者にしようとしやがって。あれだって結構受けたんだからな。味方からは、やんやの拍手喝采だったろうが。
経清 :まあ、その点は認めるよ。
宗任 :だろ、だろ。やっぱりおれの作詞能力がものを言ったというわけだ。
学び舎:え?宗任さんが歌詞をつけたんですか?
宗任 :そうよ。まあ日ごろから、かあちゃん達と無駄口をきいていたのも役に立ったということさ。みんな「やだよ、こんな歌は」とか言いながら、しっかり化粧して楼上に集まってくれたしな。
経清 :そういうところが、この男の不思議なところです。なんだかんだ言っても宗任のために動いてくれる人間が大勢いました。
宗任 :お、珍しいじゃないの。誉めてくれるわけ。
経清 :私だって、お前の力は認めているのだ。すこし調子に乗りすぎるところがあるのが玉に瑕だがな。

学び舎:国府側の本格的な攻撃は翌九月十六日の夜明けごろからですが、一日中攻撃しているのに国府側に数百人の戦死者が出るだけで、安倍氏の方は無傷ですね。
経清 :ええ。国府軍はまとまった人数で柵下に攻め寄ることができませんでしたから、こちらはほとんど被害を出していません。
学び舎:さきほど宗任さんの話の中に弩(いしゆみ)が出てきましたが、そんなものがあったんですね。
宗任 :ああ。まあ、今の人にはボウガンと言ったほうが分かりやすいだろうな。柵に備え付けてあったのはもちろん大型の弩で、数人がかりでなけりゃ引けない代物だったよ。そんなものがなぜ安倍氏のところにあったのかって?胆沢城には蝦夷討伐戦の頃からの名残で、大型の弩がしこたまあったのよ。それをそのまま頂いたというだけのことさ。
学び舎:なるほど、そうですか。
宗任 :ただ、弩は遠くまで飛ばせるものの狙いがな…。とにかく乱発すりゃあどれかは当たるってなもんで、やたら数だけは多く放ったはずさ。
経清 :まとまった人数を近づけないという目的は十分に果たしていましたね。
学び舎:では、厨川柵の決戦は長くなると思いますので、今回はここまでにしたいと思います。
宗任 :すぐまた呼んでくれるんだろうね?
学び舎:ええ、間を置かずにお願いします。お忙しい時期とは思いますが。
経清 :では、また近々。
宗任 :じゃあな。

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コメント

架空対談いつも楽しく読ませて頂いております。面白くて、そして変にリアルで思わず引き込まれてしまいます。
それと三者面談の記事、考えさせられましたね。言葉は本当に大切なものだと思います。いや一番大事かも知れません。肝に命じます。


【学び舎主人】
金田先生、コメントありがとうございます。
楽屋話となりますが、架空対談だけはいつも教室で下書きをしております。授業が終わってしんと静まり返った教室で一人架空対談を書いていると、「気配」を感じることがあります。
私は金田先生みたいに霊感が強くないので、見えたりはしないのですが教室のあちこちで物音がします。ポルターガイストじゃないかって?いやあ、よく分かりませんが、特に「宗任さん」の科白を書いているときに一番「気配」を感じます。
おれはこんなふざけた男じゃねえぞ、と怒鳴り込んできそうでこわいなあと思いながら、でもなあたぶん経清さんが止めてくれるだろうからなと妙に冷静に考えたりもします(笑)。
実際の宗任さんはどういう人だったのかよく分かりません。しかし、安倍氏の一族の中でおそらく最後まで生き残って九州で生涯を終えた宗任さんは、生命力が旺盛で、人を引きつける魅力に溢れた人だったろうと想像しています。
リアルさが出ているとすれば、宗任さんたちが後押ししてくれているおかげだろうと思います。架空対談のシリーズも年内に完結する予定で、すぐに「その13」「その14」をアップしますのでお楽しみに。

投稿: かねごん | 2009年12月15日 (火) 00時42分

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