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2009年12月 7日 (月)

やはり、そうなんだ

今朝何げなくTBSの「はなまるマーケット」を見ていたら、バイオリニストの宮本笑里さんが出ていて、インタビューの中で話していた練習時間のことが印象に残った。

毎日どれくらいの時間練習されているんですか、という質問に「最低でも4時間ですね」と答え、学生で一番練習時間が長かったころの最長記録は16時間くらいだという。プロの音楽家は毎日最低でも数時間の練習を欠かさないという話をどこかで耳にしたことがあるのだが、やはりそうなのだ。練習をサボると指が動かなくなるという話も記憶にあるが、宮本さんも同じらしい。「1日でも練習を休むと指が動かなくなるし、腕の感覚が違ってくる」のだそうだ。

以前記事にしたジャズ・ピアニストのハンク・ジョーンズも御年90歳を超えて、なお毎日4時間の練習を欠かさないという。そのくらいやらないと現役の音楽家として、つまりプロとしては演奏できないということなのだろう。

素人から見ると、何もそこまでしなくてもと思うのだが、「プロとして」やっていこうと思ったらどういう仕事でも実は同じなのかもしれない。毎日続けることでしか維持できない感覚というものが確かにあると思う。アマチュアとプロを分けるものはその微妙な差を切実なものに感じるかどうかの違いなのだろう。要するにそれでご飯を食べている人は、評価が直接ご飯に結びついているので、まあいいかというわけにはいかないということだ。

宮本笑里さんのお父さんはオーボエ奏者の宮本文昭さん。お父さんから、音楽家になれとは言われなかったらしい。ただ、中学生の時にバイオリニストになろうと決めて練習を始めてからは厳しかったそうだ。特に「音」の違いについては徹底的に厳しく指摘されたようだ。あまりの厳しさに泣き出してしまったこともあったそうだが、いま振り返るとあれくらいの厳しさは当然だと思うと笑里さんは語る。「プロ」の演奏家としてどうしても譲れないことだから、「音」については厳しかったのだろう。

すべての人に厳しさが必要なわけではないが、本当にその道を目指す人にはどうしても「厳しさ」が求められる。先ほどのアマチュアとプロの差ということだが、その道で食べていくということはあるレベル以上の技術とお金が取れる「芸」がなければならない。プロとして要求される水準の技術。それは演奏家であれ画家であれ、家具職人であれ料理人であれみな同じことだろう。ある水準を超えていなければ「プロ」とは認めてもらえない。つまり報酬がもらえない。そして単に技術がある水準を超えているだけでは不十分だ。技術の水準をクリアした上で、さらに「芸の魅力」がなければ手にとってもらえない。演奏家ならば「音」に画家ならば「色」や「構図」に、家具職人なら「機能」や「仕上がり」に料理人ならば「味」に美しさがなければ報酬は得られない。

何事によらず報酬を得るレベルに達するということは、簡単なことではない。そこに至るまでは技術を獲得するための「厳しさ」が、到達してからはレベルを維持しさらに高みを目指す「厳しさ」が絶えずつきまとう。当たり前の話ではあるのだが、この道でというものが見つかったら何であれ一生懸命(本来のかたちの「一所懸命」のほうがピッタリくるかもしれない)やるしかないということなのだろう。

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