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2009年9月25日 (金)

なぜ江戸が好きなのか?

昨日「読書メモ」で、杉浦日向子さんの本を紹介したが、杉浦さんが江戸を好きな理由は懐古趣味からではなかった。

では、私はなぜ江戸という都市と時代に惹かれるのだろう。江戸に興味を持ったのは昨日今日の話ではない。江戸文学を学んでみたいと思って文学部に進んだのだから、高校生の頃から江戸に興味を持っていたのだと思う。

立川志の輔さんがある噺のマクラで、「江戸ブームだそうですが、別にみんな着流しで歩きたいとか、おぅ、何言ってやがんでぇ、べらぼうめぇとか言いたくて江戸がブームになってるわけじゃないんですよね。何というか、江戸のゆっくりした時間の流れ方がいいなあと思う人が増えたからなんですかねぇ」と話していたことがある。確かに「朝方」と言えば昼前まで、「昼過ぎ」といえば午後中を指すようなゆるい時間の流れは、今みたいにせかせかしていない。

そのゆったりとした時間の流れがいいなあと確かに思う。でもそれだけだろうか。現代と江戸という時代が地続きだと感じるからなのではないか。奈良時代や平安時代、あるいはもっと遡って縄文時代でも弥生時代でもいい、古代へ遡るほど心性は共通するところがあるにしてもぼんやりとした霞の奥にいる人々のように感じられて、すんなりと感情移入するわけにはいかない。ものの受けとめ方や考え方の開きが大きすぎるからなのだろう。もちろん共通した普遍的なものはある。だから古典を読むという行為が可能なのであるし、そこから現代的な意義もくみ出すことができるのだと思う。しかし、やはり差や違いも大きい。

江戸という時代は歴史の教科書や年表に出ているように「江戸時代」という時代で終わりなのではない。それは「昭和時代」が昭和で終わってしまって、この平成の御代と全く関わりがないなどとだれも思わないのと同じである。明治という時代は江戸という時代と地続きなのであり、文明開化の世の中となって欧風化が進んでも人々の日常の感情生活は江戸時代のままだったのではないかという気がする。

作家の石川淳が『文學大概』という評論集の中で、尾崎紅葉等の硯友社の文学が江戸時代の為永春水の人情本に直結するものであることを説き起こし、その理由を簡略に挙げていた。まず単純に時代が近いこと。二つめに人情本が江戸最後の流行として勢力がものをいったこと。第三に明治の初期には為永春水の人情本に描かれた世界と、そこに使われることばがまだ死んでいなかったこと。最後に人情本作者の人生観と硯友社の作家たちのそれが似たようなものだったことを挙げている(「短編小説の構成」所載の内容から)。

急激な近代化を迎える前の日本の姿が江戸にはある。その近代化以前の姿が、単純にいいと言うのではない。現代の我々の感情生活の機微に何げなく顔をのぞかせるのは、この江戸の時代に生きていた人々のものの感じ方ではないのかという気がしてならない。相当変質してしまったものの、義理にしばられたり人情にほだされたり意気に感じたりという心性は今でも残っている。これは決して近代合理主義の心性ではない。祖父のそのまた祖父の膝の中にだっこされているような居心地のよさが感じられてならない。

私が江戸を好きな理由は、おそらくその辺りにあるように思う。

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