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2009年9月24日 (木)

読書メモ・9月(2009)

平行して読んでいる本がなかなか読み終わらず、今月の読書メモに残しておく本もごくわずかである。

  1. 「三国志 八」吉川英治、講談社吉川英治歴史時代文庫、1989年
  2. 「魂(ソウル)のゆくえ」ピーター・バラカン、アルテスパブリッシング、2008年
  3. 「うつくしく、やさしく、おろかなり--私の惚れた「江戸」--」杉浦日向子、筑摩書房、2006年

1の「三国志 八」は先月の末に読み終わっていたのだが、しばらく読書メモを書いていなかったので9月のメモにあわせて取り上げることにした。去年の暮れ方に読み始めたので、ほぼひと月に一冊のペースで読み返してきたことになる。

五丈原の戦いから諸葛亮孔明の死を迎え、吉川三国志は終章となる。「篇外余録」と題された章で作者が説明しているように、原書の「三国志演義」では孔明の死後も三国のその後が語られ、晋が三国を統一するまでの治乱興亡がつぶさに描かれているらしい。しかし、作者の吉川英治は孔明の死をもって筆をおくべきだと考えた。

ひと口にいえば、三国志は曹操に始まって孔明に終わる二大英傑の成敗争奪の跡を叙したものというもさしつかえない。(「三国志 八」篇外余録「諸葛菜」)

この一文に、的確に吉川英治の三国志認識が示されていると思う。あらためてその通りだと頷く。曹操と対峙しているのは劉備ではなく孔明という軍師なのだ。一方で今回読み返して面白かったのは、孔明と司馬仲達の対決だった。先の先を読みあうさまは、まるで将棋や囲碁の名人同士の対局みたいで、知謀の限りを尽くすという言葉通りの対戦になっている。以前に読んだときにはあまり注目しなかったのだが、こういう大作は何度読んでもその都度新しい魅力が見つかるものだ。

2の「魂(ソウル)のゆくえ」は、1989年に新潮文庫の一冊として出版されたソウル・ミュージックの入門書に手を入れ、ディスク・ガイドをすっかり作りなおした改訂増補の新版である。

作者のピーター・バラカン氏をご存じの方は多いと思うのだが、何と紹介すればよいのか。本のカバー見返しには「フリーのブロードキャスター」とある。あ、そうなのか。ずっと音楽評論家だと思っていた。NHK-FMで土曜の朝、バラカン氏が担当する「ウィークエンド・サンシャイン」という番組が放送されている。時々しか聴くことがないのだが、取り上げている音楽の種類が豊富で他の音楽番組ではほぼ流れないだろうと思われるような「ワールド・ミュージック」が紹介される。特にアフリカのアーティストのアルバムなどは面白いものが多く、たまたま放送を聴いたときはラッキーだったと思うことが多い。

この本では年代順にソウル・ミュージックを取り上げ、それぞれの時代の特色と背景を丁寧に説明している。タイトルだけ見てもそれだけでソウルの歴史が分かる。「ゴスペルの話から始めよう」「R&Bからソウルへ」「モータウン」「サザン・ソウル」「ニュー・オーリンズのR&B」「七○年代のソウルのスーパースターたち」「フィラデルフィア・ソウル」「ファンク、ロックとソウル」「ディスコ・ブームとソウルの死」「ヒップ・ホップの時代」

実際に聴いたことがある時代は「フィラデルフィア・ソウル」の辺りからだが、それ以外の時代もなんだかんだと耳にしたことのある名前が登場してくる。熱心なソウルファンではないのだが、そういえば七○年代の後半はディスコがブームだったなあと思い出した。若い読者にも昔聴いていたという読者にも、この本ですべてこと足りるのではないかと思う一冊だ。

3は杉浦さんが亡くなって一年後に出されたエッセイ集である。出版の経緯は、筑摩書房編集部の松田哲夫氏による「あとがき」に詳しい。

杉浦さんの江戸についてのエッセイが魅力的なのは、「江戸時代はよかったなあ」的な発想がまったくないからだ。「神田八丁堀」という冒頭のエッセイで次のように語る。

 「江戸に住みたかったろう」と人は問う。
 日夜江戸に淫し、のべつまわらぬ舌で江戸を語る(騙る)身にあっては、ソウ尋ねられるのが日常だ。けれど自分は今が良い。昨日でも明日でもない、今日この日の、ここが良い。どこへも行きたくない。現在たまたまいる場所が、いつでもどこよりも良い。(8頁)

また『半七捕物帳』の岡本綺堂にふれた文では 

 私がなぜ江戸に魅せられてやまぬのかを、人に語るのはむずかしい。惚れた男が、相馬の金さんのようなやつだった場合、親きょうだいに、かれをなんと説明したら良いのか。それと同じ気持ちだ。
 いい若いもんで、ぶらぶら暇をもて余している。とくに仕事はない。たまに友達と、ゆすりたかりをする。ちょくちょく呑んで暴れるけれど、喧嘩は弱い。でもかあいい。なによりだれよりかけがえないのだよ。
 私が惚れた「江戸」も、有り体に言えば、そういうやつだ。(15頁)

と自分が江戸に惹かれる理由を述べる。懐古趣味ではなく、江戸を今に生きるという感覚がいいなと思う。この本は三部に分かれていて、「壱」では江戸の粋と遊び、「弐」では江戸のくらし、「参」では江戸の食事情についてのエッセイが並ぶ。どのエッセイも興味深いのだが、特に第三部の食についての話を読むと、江戸の長屋のくらしは生活臭に縁遠かったんだなあと目を開かれる。江戸時代の長屋住まいは都心のワンルーム賃貸のようなもので、居住者の中に妻帯者が少なく、江戸は単身者の都だったというような一節に、あ、そういえば落語の「野晒し」でも長屋は男所帯ばかりだったなあと思い出す。

固い時代考証の話よりも、杉浦さんのエッセイの方がよく分かる。そう言ってしまっては身もフタもないのかもしれない。しかし、そのやわらかい筆遣いで捉えられた江戸の姿は実に魅力的である。

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