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2009年8月 7日 (金)

花火の記憶

昨日は奥州市水沢区の花火大会の日だった。去年ブログに「遠い花火」 という記事を書いてからもう一年になるのか、と教室の窓から花火を眺めながら思っていた。

一関市川崎地区の花火大会が経済情勢の厳しさを受けて今年は取りやめになったと聞く。奥州市水沢区も景気がいいわけではない。どうだろうと思っていたが、例年通り上がっている。去年より心なしか上がる数が多いような気さえする。景気がよくないときだからこそパアッと景気づけに、ということで多くなったのだろうか。少し早めに終わったようではあるが、雨にもあわずまずまずの花火大会だったのではなかろうか。

雲間隠れに満月が見え、その下に大輪の花火が開いていく様子は何とも不思議な眺めだった。晴天の夜、降るような星空に上がる花火を眺めるのもいいものだが、昨夜のような曇天の花火も風情があるものだ。

花火を一番最初に見た記憶はいつだったろう。おそらく小学校の一年生くらいのころではなかったか。秋田の母の実家をお盆で訪れたとき、横手の花火大会を見に行ったのだと思う。大工の棟梁だった母方の祖父が健在のころだ。私は初めて見る花火に興奮していた。大勢の人ごみの中、迷子にならないようしっかり手を握ってもらい、大きな音と空気を伝わる振動とともに大輪の花火が開くのを飽きずに眺めた。

歩き疲れた私を途中から祖父が背負ってくれた。祖父にとって私は初孫だった。もちろん外孫ではあるが、初孫であることで私は母方の祖父母からかわいがられた。祖父は口数の多い人ではなかった。それでも私や妹にはいろいろな話をしてくれた。今思い返すと、とても大事にしてもらったのだとよく分かる。

花火大会が終わって母の実家に戻るときも私は祖父に背負ってもらったままだった。たぶん途中で眠ってしまったのかもしれない。それでも花火の記憶は鮮明だ。夏休みの図画の宿題にも迷わず、横手の花火大会の絵を描いた。

それからいくつもの花火を見てきた。忘れがたい花火の一つは、産婦人科の窓越しに見た花火だ。私の住む北上市は8月に「みちのく芸能まつり」と銘打って毎年、郷土芸能の公演パレードを中心とした夏祭りを行っている。この祭りは三日間続くのだが、最終日に北上川で花火大会が行われる。子どものころから何度も見てきた花火だ。川面には無数の灯籠が流される。以前はお盆の時期に行われる花火大会だった。

その年の夏、身ごもった妻が流産のおそれがあるからと産科に入院することになった。私は以前勤めていた塾の夏期講習を終えて、妻のいる産婦人科へ向かった。ちょうど花火大会の日だった。病室で話をしていると花火の上がる大きな音がし始め、そうだ今日は花火大会だったと思い出した。帰りがけに2階の廊下の窓から、打ち上げられる花火を眺めた。暑い夏だった。窓を振るわせて大きな花火が夜空に開いていく。子どもが無事に生まれてきますように。ぼんやりと花火を眺めながら、それだけを祈っていた。妻は暑い夏の時期を産科で過ごし無事に退院できた。

頭上に大きな音とともに開く花火を見上げるのもいいし、遠くに上がるどこかの花火をぼんやりと眺めるのもいいものだ。生徒がみな帰ってしまった教室からぼんやりと花火を眺めていると、さまざまな思いが去来して感傷的な気分になる。花火を見るといつもどこか少し寂しくなってしまう。ああ、もうじきお盆になる。夏が少しずつ過ぎてゆく。花火が闇の中にすうっと消えていく様を見ながらそんな思いに包まれる。一年が過ぎ、季節は確実に動いている。

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