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2009年8月16日 (日)

古典の底力・その14

前回取り上げた『大鏡』は、帝や藤原氏をめぐるさまざまなエピソードが満載で面白い。

たとえば、語り手である二人の老人、大宅世継(おおやけのよつぎ)と夏山繁樹(なつやまのしげき)はともに百歳を超えるスーパー爺さんたちなのだが、夏山繁樹は養父に七条辺りで実母から買い取られたという話をする。なぜそうなったかというと、繁樹の父親が四十歳のとき五月に生まれたためだという。これは「四十二のふたつ子」という俗信によるらしい。父親が四十二歳の時に二歳になる男児は、父子の歳を加えると四四、つまり死に通じるため嫌われたということのようだ。また五月に生まれた子は成長して父母を害すると信じられていたようである。この五月生まれ云々については漢籍の典拠があるらしいのだが、未確認。

夏山繁樹の場合は、この二つが重なっているため実母は災厄が降りかからないうちに手放そうと思ったのだろう。それにしても七条辺りで養父に買い取られたというのもすごい設定だ。

帝のエピソードでは、朱雀帝が菅原道真の怨霊を恐れ、三歳まで格子を上げず、昼も灯をともして御帳の内で養育されたというのが興味深い。道真公は今では学問の神様として有名だが、最初は祟りなす怨霊を鎮めるために天神様として神様に祀りあげられた。この朱雀帝のエピソードなどを見るといかに藤原氏が道真の祟りを恐れていたかうかがえる。また、この帝の在位中に平将門・藤原純友の乱があり、乱平定の報賽に天慶五年(942)石清水八幡宮の臨時の祭が始まったという。

『蜻蛉日記』の作者、右大将道綱母のもとに通った藤原兼家を外祖父にもつ三条帝のエピソードにも不思議な話がある。三条帝は上皇になってから(実際は譲位する前から)目が見えなくなったらしく、その原因を桓算供奉(かんざんぐぶ)という僧侶が物の怪となって目を見えなくさせているからだという話が出ている。目の病だったのであろうが、物の怪の存在がリアルに感じられる時代だったからこのようなエピソードが残ったのだろう。

さてさきほど朱雀帝の話が出たが、朱雀帝の外祖父が藤原基経であり、その息子たちに「三平」と呼ばれる時平、仲平、忠平がいる。

この三人の息子のうち、左大臣時平が讒言によって右大臣菅原道真を大宰府に左遷し、後に祟られることになる。その道真の神霊が雷となって清涼殿に落ちかかったとき、時平が太刀を抜き放って「次位のものが秩序を乱してはならぬ」と一喝すると、雷となった道真の霊がおとなしく退散したという話も出ている。怨霊となってからも位階序列を乱さない道真の妙な律儀さが印象的な話である。

時平には笑い出すと止まらなくなる癖があったようだ。太政官の主典(さかん)である「史」(書記官)が時平に文書を差し出すとき、屈んだ拍子に放屁して時平を笑わせるという話がある。どうも時平という人はよく分からない人物だ。実際の人物はどのような人だったのか興味深い。

「三平」の中のもう一人、忠平のエピソードを紹介しようと思ったが、例によって長くなりそうなので、次回の「古典の底力」にて。

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