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2009年8月24日 (月)

『坊っちゃん』を読み返す・その1

先日、息子の読書感想文を手伝うバカ親になってしまったという記事(こちら)を書いた。

息子の策略にまんまと乗ってしまった私が愚かだった。このままではくやしいので、『坊っちゃん』を読み返して気がついたことを記事にしようと思う。

坊っちゃんが校長や赤シャツ、野だいこに対して反発するのは、『坊っちゃん』の設定の必然性から来ているのではないか。息子には「坊っちゃんは本音と建て前を使いわける赤シャツや野だいこのような連中が嫌いなんだよ」と説明しておいたが、そう話しているうちにもしかして漱石の人物配置に関係があるのではないかと気がついた。

坊っちゃんは、話の始めの方で「旗本」の出で、清和源氏多田満仲の後裔であると告げている。維新で転変や没落を味わった「士族」しかも「旗本」の家柄なのである。

坊っちゃんの盟友とも言うべき数学教師の山嵐はどうか。会津出身であることが終盤で示される。会津藩といえば戊辰戦争で旧幕府側の中心である。維新後も新政府から派遣された県令の支配を受け、それに反抗して福島事件が起きたりした土地柄である。

では赤シャツに婚約者のマドンナを奪われてしまった英語教師のうらなり君はどうか。彼は地元松山の人である。伊予松山藩は親藩であり、長州征伐の際も先鋒となった藩であった。そのため維新を迎える幕末の鳥羽伏見の戦いでは「朝敵」とされてしまう。ところが松山藩は新政府軍に対し、武力による抵抗をすることなくおとなしく白旗をかかげる。

一方、校長の狸や教頭の赤シャツは出自こそ示されていないものの、旧制中学の管理職であることから明らかに新政府側の薩長土肥出身者であろうと推測される。

野だいこは東京出身で「江戸っ子」と自称しているが、坊っちゃんのような「旗本」「御家人」の出であるとは書かれていない。画学の教師である点から推測しても、どこかの藩の江戸留守居役クラスの家柄で、維新後も東京に住み続けた家庭の出身ではなかろうか。

だから、旧伊予松山藩の地でくり広げられるこの『坊っちゃん』という話には、旧幕府側だった人間と新政府側の人間との対立という、戊辰戦争の再現みたいな人物設定がなされているのだろうと思う。伊予松山の人であるうらなり君が無抵抗でおとなしいのも当然のことなのだ。

しかし、漱石が描きたかったのはそういった単純な対立の構図ばかりではなかっただろうと思う。

ポイントは、うらなり君の許を去って赤シャツになびいてしまったマドンナにあると思う。『坊っちゃん』の話を思い浮かべるときマドンナは必ず誰のイメージにも出てくる登場人物であろう。だが、小説の中でのマドンナは会話の中によく出てくるだけで、直接描写は一箇所しかない。

これは今回読み返して驚いたことの一つだった。遥か昔、NHKで『坊っちゃん』をドラマ化したとき、マドンナは頻繁に登場した。その時の印象が強かったためか、マドンナの登場場面が多いはずだと思い込んでいた。だが、実際は温泉に向かう汽車を坊っちゃんとうらなり君が駅で待っている場面に登場するだけだ。その場面でさえ「色の白い、ハイカラ頭の、脊(せい)の高い美人」「おれは美人の形容などができる男でないから何にもいえないがまったく美人に相違ない。何だか水晶の珠(たま)を香水で暖(あつ)ためて、掌(てのひら)へ握ってみたような心持ちがした」と描写されるだけで、実にそっけない。

しまった、またまた長くなりそうだ。今日はここまで。

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