ものと情報に囲まれて・その2
立川志の輔さんが、落語のまくらでこんな話をしていたことがある。
便利なものに囲まれて自由に使えるようになった時間が増えたはずなのに、あーあ、今日もすることが無くて暇だなあ、なんて言うのを聞いたことがないでしょ。みんな忙しい忙しいって言ってますよね。ご飯だって炊飯ジャーが炊いてくれてるんでしょ?私の実家は富山で、母親は釜でご飯を炊いていました。洗濯だって洗濯板に石鹸を使いごしごしと手で洗っていたんです。朝から晩まで母親は忙しく家族のために立ち働いていたわけですが、ひと言も「忙しい」なんて言わなかった。いや私の母親だけじゃないでしょう。みんなそれぞれが自分の手で何かを「やって」いた。
それにくらべると、機械が何でもやってくれて便利になったけれど、現代の我々には充実感を感じられることがないんじゃないか。志の輔さんはそう言う。便利さに慣れてしまうとそれが当たり前になり、感謝することもなくなってしまう。
確かにそうなのだ。便利なものに慣れていくとそれが無かった頃のことなど想像すら出来なくなる。何かの拍子に、当たり前の環境でなくなって初めてありがたさに気がつく。たとえば、今の日本ではなかなか想像しにくいことだが、数日間から数週間の停電状態になったらどうなるのだろう。家電製品が一切使えない。もちろんそういう事態は災害時くらいしか想定できないので、避難所など発電装置による電気のある場所に行くことになるのだろう。おそらく一斉に携帯の充電を始めるんだろうなと思うといささかゲンナリする。
みんな、楽で便利な暮らしに慣れきってしまったのだ。それが悪いとは言わない。私だって毎日便利なもののお世話になり、楽な毎日を過ごさせてもらっている。子どもの頃に想像していた21世紀の未来世界とはかけ離れているけれど、それでもあの頃とくらべたら、とんでもないくらい進んでしまった世界に生きているなと思う。
しかも、さらにもっと多くをと望む人の方が望まない人より多いのではないか。所有の上に所有を重ねていく。足し算ばかりで引き算がない。だから、本当に必要なのかどうか分からないものや情報ばかりたまっていく。不要なのかもしれないものや情報に圧迫されながら、もっともっと新しいものと情報が欲しいと思ってしまう。
引き算をしていって、本当に必要なものだけに絞っていったら、どれだけ身軽にシンプルに生きられるだろうか。想像はしてみるものの、便利さに慣れてしまった楽をしたい自分は引き算することを頑強に拒みそうだ。
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