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2009年7月17日 (金)

パラレルワールド

ときどき、今こうして暮らしている世界は、だれかの意識が創り出した世界なのではないのかと思うときがある。

自分の意識かもしれないし、他のだれかの意識かもしれないが、意識が変わっていくにつれて世界のありようも変わっていく。どこかで別の路線に移り変わっているのだが、電車に乗っていて別の軌道に入っても違和感がないのと同じように、継ぎ目も裂け目もなくなめらかに変わっていく。

変わる前の世界はそのままの軌道で進んでいくから、ちょっとずつ違った世界が平行して並ぶことになる。いわゆるパラレルワールドである。

何を馬鹿なことを、と思う。馬鹿も休み休み言ってくれとも思うが、現実の世界だってわれわれの意識が少しずつ影響を与えているはずだ。エコだ、エコだと誰もが口にするような時代になると誰が想像したか。携帯がないと生きていけない、などと口走る人間が出現すると考えた人間がいたか。インターネットでありとあらゆる情報を瞬時に入手できる世界が実現すると誰が本気で考えたか。いずれも「当たり前のこと」になってしまった世界にわれわれは生きている。

意識が変われば世界は変わる。制度だけ作っても意識が変わらなければ何も変わらない。意識が変われば言葉が変わる。言葉だけ変えても意識が変わらなければ何も伝わらない。坂口安吾は敬語の問題に触れて、「言葉だけいじってもだめだ。言葉の根っこにある精神が変わらない限り敬意は表れない。敬語だけ教えても身に付かない。敬意を払う心が生まれれば敬語は自然に身に付いていく」というようなことをどこかで書いていた。

どういう世界にわれわれは生きたいのか。その意識が次の世界を生み出していく。良くも悪くもなる。世の中金だと思う人が多くなれば、そのような世界になるだろうし、お金では計れないものがあると思う人が増えれば、それに応じた世界になるだろう。私が望むものは何だろう。お金?幸福?平和?

総選挙が近いという。特定の政党を支持するような内容を書くつもりはないが、どういう日本にこれから暮らしたいのか、選挙権のある人は意志を表示すべきだと思う。現在の政治に不満がある人は投票という行為によってそれを形にすべきだ。現在の政治に満足しているという人も投票によってそれを示すべきである。

一番よくないのは、棄権することだ。信頼できる政党や候補がないというのなら、棄権ではなく投票所に行って白票を投ずべきだ。棄権と白票は意味が違う。棄権するということはどういう選挙結果になってもそれに従いますよという意思表示になってしまう。白票は候補者全員に対する不信任の意思表示だ。まったく意味が違う。だから、政治に期待できないと思うなら棄権ではなく投票所に行き、白票を入れるべきだと思う。

投票所で一票を投ずるときのあの無力な感触をそのまま信じてしまってはいけないのだと思う。おれが一票入れても入れなくても結果は同じだよな、と誰もが思ってしまったらどうなるだろう。自分の一票は国の政治のありようを決めるにはあまりにも無力のような気がしてしまうが、それでも投票には行くべきだ。総選挙なのに投票率が50%台とか60%台なら、何のための総選挙なのかと思ってしまう。国民の意思を問う選挙なのだから、投票率80%以上なければ選挙結果は無効であるというくらいの制度にしてもいいのではないかと思うくらいだ。

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コメント

この人生なり、この世界が、誰かが描いた人工の世界じゃないだろうかと考えたことは僕もあります。
映画も現実の映像なのか、CGなのか認識できないものが増えました。
人間の感覚は実にあいまいなものです。政治もしかり教育もしかり、実体のない幻想のようなものだと思っている人も多いのではないでしょうか。

(学び舎主人)
コメントありがとうございます。
なんだか景気もよくないし、政治も期待できないしで八方ふさがりのような気分が広がっているなあと思い、書いてみました。とにかく意識でも行動でもいいので、日本にも「変化」がほしいと思う今日この頃です。

投稿: かねごん | 2009年7月17日 (金) 23時58分

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