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2009年7月

2009年7月31日 (金)

夏期講習に入っています

中1・中2の夏期ゼミは29日から、中3の夏期特訓は31日から始めることにしていたが一部の中3生に講習期間中で来られない日があり、29日から早期の講習を受けてもらっている。1・2年は予定通り29日からスタートした。

今年は中1・中2の受講生の中に、基本の基本に戻って説明しなければならない生徒がいないので予定している演習量は十分にこなせそうな気配だ。むしろ不足気味の生徒も出そうな感じだから、補充プリントを増やす必要がありそうだ。

ただ、一見指導がラクに思えるときは要注意で、思わぬ落とし穴が待っていることがある。それぞれの生徒の考え方の「癖」はさまざまなのだから、一括りにしてしまうと個々の差異に目を向けなくなってしまう。できるだけ先入観や固定観念を持たないようにして、それぞれの生徒の頭の働かせ方やこちらの説明の受け取り方を、毎回無心に観察しなければならない。

一斉授業であろうが個別指導であろうが授業は「その時、その場」でしか成立しない「なまもの」なのだと思う。舞台に立つ役者と同じ感覚ではないかと思う。観客の反応を自分の演技にフィードバックさせ、観客を巻き込んである時間を作り上げる。これは授業も同じであろう。「三日やったらやめられない。四日目には冷たくなっている」というのは、五代目古今亭志ん生が噺のまくらで落語家という仕事に触れて言ったものだが、落語家も同じなんだろうな、たぶん。

そういえば志ん生は高座に上がるまでその日どの噺をやるか、まったく決めてなかったらしい。「えー、人というものはおかしなものでして…」とか言いながら寄席に来ている客の反応を見極めていく。今日は落語をよく分かっている客が多いなと思えば、いきなり大ネタを始める。あまり分からない客が多いなと思えば、前座噺のような分かりやすい短い噺でパッと切り上げて高座を降りる。だから音源がのこっている志ん生の噺には、同じ噺でも長短の差が激しいものがある。1時間近くかかるような大ネタでも、客の反応がよくなければ15分で切り上げてしまう。これは相当な技量がなければできない芸当だが、いい加減さの極致でもある。

話がすっかり落語にそれてしまった。何の話をしていたのか。そうそう授業の話だった。要するに授業は、そこにいる生徒と教える自分とのやりとりの中に成り立つものなので、一方通行では「生きた授業」にならないのだろうなと思う。"call and response"というライブコンサートみたいなやりとりがないと、教える方も教えられる方も盛り上がらない。といって「みんな、乗ってるかい?勉強、サイコー!」とかやるわけではない、当たり前の話だが。教えることによって教えられる、相互の刺激があって場と時間が形成されていく。双方向のやりとりが欠かせない。

というわけで、今日もそれぞれの生徒の刺激になるツボを何か一つでも見つけ、こちらも刺激をもらおうと思っている。

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2009年7月30日 (木)

父親と息子の会話・その2

アクセス解析をときどき見ていると面白い。「生ログ」というレポートメニューがココログにはあるのだが、このメニューが私には一番興味深い。どこからどんな検索ワードで入ってきたのか、検索元はgoogleかyahooか、あるいはリンク元はどこかなどなど見ていて飽きない。

その「生ログ」のレポートの検索ワードの中に「息子と話が出来る方法」というものがあった。この検索ワードで以前の記事「父親と息子の会話」を見つけて読んでくださった方がいたようだ。もしかすると息子さんと話がしたいのだが何を話していいかわからない、あるいはきっかけは何がいいのかと悩んでいらっしゃるお父さんなのだろうかと勝手に想像してしまった。

うちの息子は現在中学2年である。反抗期のはずだが、あまりそれらしい反抗期の傾向が見られない。これからなのだろうか。そもそも父親である私と接触する時間が1日の中で少なすぎるから、正面切ってのぶつかり合いが少ないというだけのことかもしれない。

父親としては失格のダメおやじだなあと思う。学校のことはほとんどカミさんにまかせているので、担任だった先生たちの名前を小学校の頃から順に挙げろと言われたらお手上げである。以前、公共広告機構のCMだったか、授業参観に行ったお父さんが「お子さんの趣味は?」と訊ねられてしどろもどろになるという印象的なものがあった。あれに近いなと思う。

部活に関してもそうだ。息子はソフトテニス部に入っているが、父母会の活動はカミさんに任せっきりである。息子とカミさんの毎日はテニスを中心に回っているので、私は圏外にいて傍観者の立場だ。ときどき試合結果や練習状況を聞くことはあるが、私に話しても部活のことはどうなるわけでもなし、と息子の方では思っているようだ。

だから、息子との話題は何かといえば、以前の記事で取り上げたように楽天を中心としたプロ野球の話題とお笑い芸人の話題、そしてゲームの話題くらいなものである。ごくまれに、本当に一年に一回か二回ほど本の話題。つい先日、夏目漱石の『坊っちゃん』』を読んでいるので「珍しいな」と声をかけると、「ちょっとね」という。たまたま読みたくなったのだそうだ。

新しいお笑い芸人の情報は息子に聞くとよく分かる。パッと見て「誰、この連中?」と聞くと「○○○…」と即座に教えてくれる。これはありがたい。マメにお笑い番組をチェックしているので、息子はお笑い芸人の動向に詳しい。「最近○○を見かけないけど、出てるの?」「ええとね、エンタには出なくなったけど他のバラエティに出てるよ」「ほお。じゃあ、あのコンビ何ていうコンビ名だっけ?」「え、どのコンビ?」「ほら、あれだよ、あれ」「だから、どのコンビ?」といったようなやりとりが続く。

息子と話が出来る方法、と考えてみても私の場合は思いつかない。ほとんど何も構えないでダラダラと会話しているので、これでいいのだろうかと正直、私の方が不安である。息子とはそれなりに会話はできているが、コミュニケーションが取れていると言えるかどうか。肝心なときだけビシッと言えればいいのではないかとも思うが、自分の息子のこととなると完全に「紺屋の白袴」状態である。

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2009年7月29日 (水)

あれから40年

アポロ11号が月面着陸を果たしてから40年になるという。

1969年7月20日(日本時間では7月21日)、アームストロング船長とオルドリン飛行士の二人が人類として初めて月面に降り立った。私は小学生だった。たしか月着陸の瞬間は小学校の教室のテレビで見たように思う。日本時間の午前11時56分にアームストロング船長が月面に歴史的一歩を記し、有名なセリフを述べる。

これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。
That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.

あれから40年。国際宇宙ステーションに日本人飛行士、若田光一さんが長期滞在し7月末には地球に帰還するという。これもその頃には想像できなかったことの一つだろう。

アポロ11号の月面着陸後、人類が他の惑星を目指す動きはピークを超えてしまったように沈静化していく。一つには冷戦構造のなかでソ連との競争に勝ったという達成感。もう一つには、有人ロケットによる他の惑星探査にはあまりに時間がかかり、危険性が高く莫大な費用を要するという点。こういったことから惑星探査は無人探査機が主となり、有人の宇宙飛行はスペースシャトルが中心となっていく。

宇宙競争がよくも悪しくも冷戦のたまものだったとは。小学生だった私は、単純に人類が月に一歩を記したことに興奮していた。1970年の大阪万博には、たしか月から持ち帰られた石がアメリカ館に展示されたはず。それほど日本中が、いや世界中が沸き返っていたように思う。私たちの年代にSF好きが多いのはもしかするとアポロ計画、特にアポロ11号の月面着陸が大きく影響しているのかもしれない。

スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」は、木星探査に出かけた宇宙飛行士たちがHAL 9000という人工知能(コンピュータ)の叛乱によりボーマン船長を除いて殺害されてしまうという映画だった。生き残ったボーマンはHALの思考回路を停止するが、探査の真の目的が「モノリス」との遭遇だったことを知る。SF映画の古典的名作である。アーサー・C・クラークとの共作で、クラークは小説版の「2001年…」を書いている。

この「2001年…」に描かれたような木星探査の旅に現実味があったのも、アポロ計画が進行中だったからなのだろう。映画のアメリカでの公開は1968年4月6日である。アポロ11号の月着陸の1年前のことだ。この映画は、てっきり月着陸成功後に作られたものとばかり思っていた。しかも1970年代だろうと思っていたが、実はアポロ11号の前に制作されていたのか。

それにしても、あれからもう40年か。満月を見てももうあそこに人類が降り立ったのだと思うようなこともなくなった。40年経ったというニュースを見て、それほどの時間が過ぎてしまったのかという感慨の方が強い。

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2009年7月28日 (火)

目に見えないもの

『奇跡のリンゴ』の木村秋則さんが新しい本を出した。『すべては宇宙の采配』という本だ。『奇跡のリンゴ』は石川拓治著、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班が作った本なので、著者は木村さんではない。今回は木村さんの著作である。

木村秋則さんのことを知ったのは、今出てきたNHKの「プロフェッショナル」という茂木健一郎氏が司会しているテレビ番組でだった。仕事から帰り晩ご飯を食べながら何げなく見ていた番組だった。歯の欠けたどこかのおじいさんが雑草の生い茂る山のようなところへ分け入っていく。何だろうなあ、ここは。ぼんやり見ていると、実はそこが木村さんのリンゴ畑であることが分かった。絶対に不可能と言われたリンゴの無農薬栽培を成功させた人だという。

おじいさんだと思っていたが、そうではなかった。苦労されたために老けて見えただけだった。無農薬でリンゴを栽培できるようになるまでの過程は、すさまじい。極貧の中でよくあきらめなかったものだと感嘆した。成功するまで9年もかかっている。

私の母親の実家は秋田でリンゴ農家だった。母親にリンゴの無農薬栽培のことを話すと「絶対に無理だ」と即座に言う。農薬を散布しなければ虫にやられてしまう。出荷できるようなまともなリンゴは作れるはずがないという話だった。『奇跡のリンゴ』を渡すと目を丸くして驚いていた。

『奇跡のリンゴ』を読んでいる人は周りに多く、その話題になったときに一様に「あそこまであきらめなかったのはすごい」と言う。何がそこまで無農薬栽培に向かわせたのか。読後ずっと気になり続けた点だった。9年と一口に言うけれども、リンゴ栽培による収入はゼロなのだ。なぜそこまでしてリンゴを無農薬で作ろうと思ったのか。

今回、木村さん自身が書いた『すべては宇宙の采配』を読んでなるほどと思った。数々の不思議な体験がそれ以前から木村さんにはあったのだ。タイトルで引いてしまう人が相当数いると思う。逆に、タイトルで手に取る人も相当数あるかもしれない。内容的にも、この手の話はどうも受け付けないという人と、なるほどそういうこともあるかもしれないという人に分かれるだろう。

しかし、茂木健一郎氏が寄せた序文の中で述べているように、この本に述べられていることは木村さんにとっての真実なのであろうと思う。この茂木氏の序文と、木村さん自身が書いた「まえがき」をしっかり読んでから本文に取りかかることをおすすめする。木村さん自身は神や仏やいかなる特定宗教も信じていない。どちらかといえば木村さん自身が「教組」であるのだが。

合理的思考をぎりぎりまで追究してなお不明なものがあるということ。植物が地下に伸ばす根が地上に出ている茎や幹や枝の二倍以上の長さに渡るということ。人間も、目に見える姿の二倍以上も目に見えない部分に支えられているのではないかと木村さんは言う。氷山の話を思い出す。氷山も目に見えている水面上の部分より何倍も大きな氷塊が海面下に隠れている。氷山の本体はどちらなのかと考えたとき、海面下の見えない部分を無視することはできない。人間も、そうなのかもしれない。

『奇跡のリンゴ』を読まれた方はもちろん、読んでいない方にも是非一読してみてはどうかと薦めたい。『星の王子さま』の「本当に大事なものは目には見えないんだよ」というセリフが沁みるように思い出される本である。

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2009年7月27日 (月)

今日は朝から頭痛が…

今朝起きてから頭の左側一部が痛い。

日頃頭痛に悩まされることはほとんどないので、たまにこのような状態になると、どうにもやりきれない。頭痛といっても左側の一部で、頭皮と頭蓋骨の間ぐらいの位置であり、黙っている分にはなんともない。少し頭を振ったり、髪を掻き上げようとするとピキッ、ピキッという感じで痛みが走る。頭痛と言うより神経痛のような感じだ。

低気圧が近づいているのだろうか。それとも単なる夏カゼの引き始めか。何にしても不快な痛みである。リンクしているちびやまめさん は強力な頭痛持ちであるらしく、ときどきそのブログにも頭痛で七転八倒している状況が報告される。神経痛のような頭痛、または二日酔いのガンガンする頭痛(最近は「二日酔い」そのものをしなくなりましたが)くらいしか分からない私には想像を絶する苦しみのようである。

頭痛のメカニズムは不勉強で分からない。他の動物にも頭痛はあるのだろうか。たとえば頭痛で不機嫌な犬とか頭痛でのたうち回る猫というのは、いるのだろうか。

男性は一般に女性より「痛み」に弱いと言われている。女性は出産という最強の「痛み」に備えて「痛み」に対する耐性が男性よりもある、という説だ。本当かどうか分からないが、それなりに納得する。ちょっとした傷の痛みや歯痛などでギャアギャア騒ぐのはどうも男性の方らしい。

そういえば遠藤周作が手術で入院したとき、同じ病院に吉川英治が入院していて看護師さんたちに比較されてたいへんだったと面白おかしく書いていた。「同じ作家なのに吉川先生は一言も痛いとか言わないですよ。それにくらべてあなたは何ですか。」とベテランの看護師長に説教され、ふんだりけったりだとぼやく。

痛いものは痛い。痛みがいやな私は注射もきらいだし手術なんてとんでもないので、極力病院に行かないようにしている。医師のみなさんや看護師のみなさんには申し訳ないが、私にとって病院は世の中で一番居心地の悪い場所である。28日から治療入院されると聞いているとよ爺先生 には、さぞかし痛い思いをされるのではないかと同情申し上げる。

頭痛がするならこんな記事を書いている場合ではないだろう、とおしかりの言葉をいただきそうだが、書いているうちに神経痛のような頭痛が少し軽くなってきた。なんだ、ただ血の巡りが悪くなってるだけじゃないのか。となると、「頭痛にバファ○ン」ではなく「頭痛にブログ」か。ただし、あくまでも当方のみの特殊事情である。

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2009年7月26日 (日)

緑の海を渡る風

自宅から教室のある奥州市水沢区へ向かうとき、ほぼ毎日、同じ奥州市の江刺区を抜ける。

道の両側は水田が広がり、出穂期前のこの時期は一面緑の海だ。風が吹くと稲の葉がなびき、その通り道が波頭のようにサアッと動いていく。鮮やかな緑だ。まるで何面ものサッカー場があるようにも見える。

江刺区は米どころとして名高い。大正14年、東京深川精米市場に出品し最高位の格付けを獲得し、昭和5年に岩手県穀物検査所の許可を得て「金札」を付けて出荷したことから「江刺金札米」と呼ばれている。食味ランキング10年連続最高評価の「特A」をうけている江刺金札米の「ひとめぼれ」は、5キロで2,500円ほど。さすがに高級米だ。残念ながら、そのような高級米は食したことがない。

この「金札米」の産地も減反政策の影響を受けているのか、ところどころ豆の植えられたところや水を張っただけのところがあり、緑の海が虫食いになっている。遠くまで一面緑の海だったところが、そのように虫食い状態であるのを目にすると果たしてこれはいいことなのかと思ってしまう。

私は農家ではないので、減反政策の意図を正確につかんでいるわけではないが、唯一高い自給率を維持している米をわざわざ作るなというのはよく分からない。農家を保護するためであるという名目なのかもしれないが、米剰りで米価が安定しないことを心配するのであればそれこそ助成金を出すとか調整のしかたはあるように思うのだが。

それにしても本当にこの緑の海は美しい。稲の葉先の高さがほぼそろっているので、まるで芝生のようだ。草取りの手間をかけ、粟やヒエがまじらないようにしているからこんなふうにそろっているのだろう。

もうじき出穂期を迎える。十分な日照があるといいのだが。実り豊かな黄金色の海に変貌するころ、季節はすっかり秋になる。

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2009年7月25日 (土)

花巻といえば

昨日の高校野球岩手県大会は、花巻東が盛岡一に2-1で逆転勝ちし甲子園への出場権を手にした。選抜の時と同じように、花巻東には旋風を巻き起こしてほしいと思う。

ところで岩手以外の人にとって「花巻」と聞くと何を思い浮かべるのだろう。

やはり宮沢賢治だろうか。それとも花巻温泉。地元に住んでいるとどちらも近すぎてうまく距離が取れない。大学生のころ、岩手の出身だと告げると「じゃあ宮沢賢治や石川啄木のことは詳しいよね?」と必ず訊ねられた。詳しいも何も、こちらはきちんと読んだことがなく、いつもしどろもどろになりながら言葉を濁していた。

全国には驚くほど熱心な宮沢賢治のファンがいることも、そのころ初めて知った。さすがにこれはマズイとあわてて文庫本の宮沢賢治童話集を買ってきて読み始めた。読み進めるうちに、ああ、これは知っている話だというものが多かった。小学校、中学校を通じて賢治の作品に接する機会が実は多くあったのだ。

それは国語の時間だけに限らず、たとえば中学の美術の先生は、賢治の童話を題材にわれわれに絵を描かせたりした。小学校の遠足で花巻へ行き、昔の小さな記念館で手帳の頁に鉛筆で書かれた「雨ニモマケズ」の直筆原稿を見学したりもした。現在は花巻郊外の胡四王山(こしおうざん)に立派な賢治記念館ができており、その直筆原稿もそちらに収められているはずだ。

賢治童話の中から一つ挙げなさいと言われたら、大概の人は「銀河鉄道の夜」と言うかもしれない。確かに「銀河鉄道の夜」の透明な悲しみのようなものは忘れがたい印象を残す。賢治=「銀河鉄道の夜」と誰もが反射的に連想しても不思議はない。しかし、私は一つだけと言われたら、ためらうことなく「グスコーブドリの伝記」にする。

二十歳になったばかりのころ、私は家庭教師のアルバイトで、ある小学生の姉弟を教えていた。大学の先輩から紹介され、週に二回ほど授業をした。といっても上のお姉ちゃんは小学5年生で弟は小学3年生だったから、教科を教えるのは半分くらいで後の半分は遊び相手のようなものだった。忙しく商売をしている家で、夕食後も両親は仕事場に行ってしまう。そうすると子どもたちだけになるので、その相手をしながら勉強も見てくれればいいという話だった。ガリガリ勉強させてくれということではなかったので、ノンビリと話を聞いたりゲームにつき合ったりしながら勉強もするという感じだった。

姉弟のうち弟の方は、週に何回か絵の教室にも通っていた。少し内気な子だった。それでもだんだん慣れてくると自分の描いた絵を何枚か見せてくれた。いい絵だった。五月の鯉のぼりを描いたものだが、鯉のぼりの大きな頭部や吹き流しが画面を埋め尽くすかのように前景に描かれ、その鯉のぼりの合間から家々の屋根がのぞいて見える。とても力強く、元気な絵だった。繊細な感じのする男の子だったのだが、その絵を見たら、ああこの子は大丈夫だなと妙な納得の仕方をした。

ある時、お姉ちゃんの授業が終わり弟の番になったとき、少し疲れているように見えた。絵だけでなくいくつか他の習い事もあるようで忙しかったのかもしれない。勉強の雰囲気ではないなと思った私は、たまたまカバンに入れていた宮沢賢治童話集の文庫本を取り出した。「今日はね、お話の時間にしよう」そう告げて、私は朗読し始めた。その時読んだのが一番好きな「グスコーブドリの伝記」だった。小学生向けにリライトしたものではなかったから少し難しいかもしれないと思ったが、構わずに読み聞かせた。話が進むにつれて、男の子がどんどん童話の世界に引き込まれて聞いているのが分かった。

グスコーブドリはイーハトーブのカルボナード火山を噴火させるために最後まで火山に踏みとどまる。そして自分の命と引き替えに噴火を成功させ冷害から人々を救う。そこには悲愴感も勇敢さもない。淡々とごくあたりまえのことのように踏みとどまることを決意するブドリがいる。究極の自己犠牲の姿かもしれないと私はぼんやり考えていた。読み終えると、男の子はほおと小さく息を吐いた。私は何も解説しなかった。感想も聞かなかった。それでも確実に何かが伝わったという感触が残った。

その後2年ほど経って、私の事情で家庭教師を後輩に代わってもらうことになった。最後の授業の日、お姉ちゃんはさばさばしたものだった。弟は3階にある自宅から下の駐車場まで降りてきて、自転車で帰る私を見送ってくれた。残念そうにいつまでも立ち尽くしていた。あれから一度も会ったことはないが、今でも鮮明に覚えている。

自分の為すべきことをせよ。「グスコーブドリの伝記」を読むといつもそんなふうに思う。自分に与えられている役割は何か。自分の為すべきことは何か。誰かにものを教えた最初の経験と切り離し難く結びついている童話であり、原点を見失いそうなときに思い出す作品でもある。

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2009年7月24日 (金)

いよいよ岩手県大会決勝

夏の高校野球岩手県大会もいよいよ決勝となった。優勝候補の花巻東と古豪の盛岡一の対戦である。

昨日の準決勝は、第1試合の花巻東対盛岡中央が14-3、8回コールドで花巻東の勝利。続く第2試合は盛岡一対盛大付属で盛岡一が1-0で勝ち、決勝進出を決めた。

第1試合の花巻東対盛岡中央の試合を途中までテレビで見て教室に向かった。車の中で続きを聞いていたが、8回の花巻東の攻撃はすごかった。打者一巡で打線が大爆発した。花巻東先発の菊池君もまずまずの投球だったのではないか。

8回コールド、14-3という結果だけ見ると花巻東が楽勝したように見えるかもしれない。しかし、5回までは取られたら取り返すのシーソーゲームで締まった試合展開だった。前半だけ見ると盛岡中央にも十分勝機はあったと思う。

試合後の佐々木監督と川村主将のインタビューが印象的だった。まず佐々木監督は、打線爆発ですねと言われて「うちは攻撃のチームと思われていますが、守りのチームです」との一言。確かに準決勝の花巻東はエラーゼロである。特に内野手の好守備が光っていた。菊池君だけ大きく取り上げられる機会が多いが、バックの固い守備があるからこそ投球の良さが目立つ、そういうチームである。

川村主将のインタビューはすがすがしかった。8回コールドという結果で今日の打線に点数をつけるとすると百点満点で何点ですか、というインタビューに「結果的にはコールドですが、盛岡中央はそうそう簡単に点数を取れる相手ではないということは対戦前から分かっていましたから、取れるときに取っておこうと攻撃の手をゆるめませんでした」とあえて点数など口にしなかった。菊池君の投球について聞かれたときも同様に点数をはっきりとつけなかった。敗れた盛岡中央の選手に対する配慮に満ちた発言だったし、川村主将の誠実な姿勢に好感を持った。

勝てばそれでいい、何が何でも勝つことが最優先だというような指導では川村主将のような受け答えはできないだろう。佐々木監督のきちんとした指導の成果なのだと思う。点数化して自己評価を聞き出そうとするインタビュアーの姿勢にかえって紋切り型を感じてしまった。点数化しなくてもいいじゃないか。それよりも振り返ってどの場面が一番よかったと思いますかとか、8回に打線が集中できたのはなぜだと思いますかとか聞いてくれた方がよほど気が効いていただろう。インタビュアーより年下の川村主将の方が「大人」であるように感じられたのは、私だけだろうか。

日本的な「野球道」的見方だと言われるかもしれないが、勝ってなおおごり高ぶることのない者こそ本当の強者なのだと思う。本当に強い人やチームは虚勢を張る必要がない。ごく当たり前の感覚をちゃんと持ち続けることができる。

準決勝のもう一試合は見なかったが、古豪の盛岡一が1-0という接戦をものにした。投手戦だったのだろう。盛岡一はときどきノーシードながら準決勝や決勝まで残り、伝統校の底力を見せてくれる。今日の決勝は花巻東相手にどこまで実力を発揮できるか楽しみである。

天気予報では盛岡地方は「曇りのち雨、午後の降水確率50%」である。雨で試合が流れたり試合途中で雨が降ったりせず、いい空模様の下で試合できるといいのだが。

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2009年7月23日 (木)

この国の行く末

とよ爺先生のブログ に「少子化研究」(各タイトルはこちら )というシリーズがある。このシリーズに載っている図表を見ていくと、この国はこれから数十年でとんでもない状態になると想像される。

高齢者の人口が50%を超える自治体が9割以上となり、おそらく年金や医療制度は破綻するだろう。どうみても今の状態が改善されない限り、この国の行く末は明るくない。

出生率の推移を表したグラフを見ながらふと考えた。親が第1次ベビーブーム世代である第2次ベビーブームの世代(具体的には1970年代半ば頃に生まれた人たち)が家庭を持ち子どもを育てていれば1990年代の後半あたりに第3次ベビーブームが起きていたはずである。ところが現実には漸減傾向が続いていき、今も増加に転じる気配がない。

なぜ第3次ベビーブームが起きなかったのだろう。不思議に思い、少し調べてみた。この第2次ベビーブーム世代が就職時期を迎えるころ、ちょうど日本はバブルが崩壊しいわゆる「失われた10年」の時代に入る。大卒の「就職氷河期」と呼ばれ、非正規雇用の仕事を選ばざるを得ない状況だった。このため本来であれば正規雇用によって身につけることが出来るはずのスキルを習得する機会を奪われてしまい、非正規雇用の仕事を続けて行くしかない状態が生まれた。「ロストジェネレーション」と呼ばれるゆえんである。

この年代が不安定な雇用状態に置かれているため、結婚できず子どもも増えないという少子化の傾向に拍車をかけることになったのではないだろうか。実は、平成初期生まれの世代が「第二次氷河期世代」と呼ばれるかもしれないという。このままの経済情勢が続くと確かにその恐れはある。そうなると、さらに少子化は深刻化すると予想される。少子化だけではない。将来への希望が失われていくという大きな問題が生まれる。

結局のところ、安心して家庭を築くための基盤が失われているということなのだろう。正規雇用を増やしたり、子どもを持つ家庭を経済的に支援したり、保育サービスを充実させたりという国の施策が求められるところだ。老後や先行きに不安しか見えない社会では、家庭を持ち子どもを育てていこうという気持ちにならない。構造改革の行き着く先は、自己責任の名のもとに社会格差が増大する社会の肯定であり、一部の富裕層と大多数の貧困層を生み出すだけのように見えてしょうがない。

特定の政党を応援するつもりはないが、今回の総選挙で各党が「少子化問題」をどれだけ深刻にとらえ対策を考えているか、論点の一つになってもらいたいと思う。また、社会保障の問題を含めどういう国のあり方をめざそうとしているのか、有権者に明確に伝えて信を問うという姿勢を示してほしいものだ。有権者もまた、自分たちがどういう社会を選びたいのか意志をはっきりと表すべきだと思う。

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2009年7月22日 (水)

ブログの効果

3月16日から毎日更新することを目標にして、早四ヶ月が過ぎた。

相変わらずアクセス数はチョボチョボのマイナーブログであるが、夏休み時期になり例年にない動きが教室に出てきて少しとまどっている。

一つは高校教室の問い合わせが増えたこと。体験入学に来てもらい、夏休み中に集中して古典を受けている生徒やこれから古典を受けようとする生徒もいる。昨年度は古典受講の高校生はいなかった。久しぶりに古典の準備でうきうきしている。何だろう、これは。

もう一つは遠隔地からの問い合わせ。昨日問い合わせがあり、話を聞きに来ていただいたのは衣川の中2生と保護者の方だった。え、なぜ衣川?近くに他の塾もあるはずだが…。

大験セミナーの金田先生から勧められた当初は月に3本くらいしか書かないときがあったりで、ブログを更新することに熱心ではなかった。それが変わったのは、特別意気込んで毎日更新しようと思ったからではなく、毎日記事を書くことで何か変わるものがあるかもしれないと思うようになったからだった。

四月から七月までは問い合わせも少なく、正直どうしようかと思っていた。それが急激に変化が出始めた。体験入学のミニアンケートに「何によって当塾を知りましたか」の項目を入れてあるのだが、「ホームページ」が圧倒的に多い。ブログだろう、とつっこみが入ると思うが、「塾案内」の頁はhtmlのウェブページなので大目に見ていただきたい。とりあえず、「インターネット経由で」という認知のされ方が増えてきたようだ。

前述の金田先生から「ブログを毎日書くようになってから問い合わせが増えまして」という話を、ずいぶん以前にうかがった。当時私は月数本の超マイペース更新だったので、当然のことながらネット経由の問い合わせもほとんどなく、本当にネットの効果があるのだろうかと半信半疑でいたように思う。しかし、四ヶ月更新し続けて、このところの急激な変化を思うと、やはり続けていくことには意味があるのだと素直に納得する。

ブログを書くことを勧めてくれた大験セミナーの金田先生、ありがとうございます。あらためて感謝いたします。

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2009年7月21日 (火)

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その10

(「架空対談」の全文はこちら
(前九年の役の概略は「架空対談をお楽しみいただくために」をご覧下さい)

学び舎:「前九年の役」を振り返るこの対談も10回を迎えました。今日も経清さん、宗任さんのお二人をお招きしております。
宗任 :久しぶりなんだけど、今日は出番あるんだよね?
学び舎:ええ。たぶん。
宗任 :せっかく来たのにさ、あんまりしゃべるところがないとつまんないんだよね。
経清 :お前の方で頼み込んで出してもらったんだろ。
宗任 :だけどさぁ、飽きるんだよなぁ…、話が長いと。
学び舎:ま、今日は衣川関の攻防ですし、宗任さんにも語っていただきますので…。
宗任 :じゃ、ひとつパアッといきますか。
経清 :飲み会を始めるんじゃあるまいし、衣川関が陥落する話でパアッとできるか。

学び舎:ええ、お腹立ちはごもっともですが、さっそく本題に移りたいと思います。貞任さんの八千を越える軍勢が六千五百の国府軍に破られて後退し、さらに清原武則さんの夜襲で火をかけられ潰走した、ということでしたよね?
経清 :そうです。
宗任 :それで、しょうがないから衣川関まで逃げ込んだのよ。
学び舎:当時の衣川関は「一人の人間が険しいところで防御すれば一万人の人間といっても進むことが出来ないような関」と言われてますが、これは本当にそうだったんですか?
宗任 :そんなわけあるはずないだろ、どう考えても。ハッタリかましていただけ。まあ、道が狭まった場所であることは確かだけどな。いいかい、一人で防げるんだったら誰も苦労しねえだろ。
経清 :まあ、付近の木を切り倒して道を封鎖してましたし、衣川を渡渉する地点は岸を崩しておきましたから清原勢にはすぐには衣川関を破られないだろうと考えていたのです。

学び舎:ところが破られてしまった。そもそも国府軍はどう攻めてきたのですか?
経清 :まず、清原武則殿の息子である武貞殿が関の正面を攻撃し、武則殿自身は北上川寄りの衣川下流、武則殿の甥の橘頼貞殿が衣川上流を攻めるという布陣でした。
宗任 :あのさぁ、橘頼貞ってさ、どっちだっけ?
経清 :どっちとは?
宗任 :兄貴の方か、それとも弟の方かってことだよ。
経清 :貞頼殿が兄で、頼貞殿が弟だ。
宗任 :まったく、紛らわしい兄弟だぜ。いつも頭がこんがらがるのよ、こいつらの名前を聞くと。
経清 :お前の頭が単純すぎるんじゃないのか。
宗任 :おっ、言ってくれるじゃない。この宗任さんに喧嘩を売ろうってぇの?
学び舎:まあまあ、予定調和的口論はこの辺で納めていただいて、一つ疑問に思っていることを聞いてもいいですか。
経清 :どうぞ。
宗任 :業近柵のことなら、おれだぜ。

学び舎:業近(なりちか)さんのことは後で伺うとして、衣川関って衣川の南岸にあったんですか?
経清 :そうです。
学び舎:とすると、衣川を背に衣川関から上流方面と下流方面に展開して清原勢と対峙したわけですね。
宗任 :だから、川向こうの業近柵から火の手が上がったときに動揺しちまったのさ。
学び舎:川の水かさが、雨の影響か増えてますが。
経清 :それもあってこちらの防衛線の引き方は割合楽だったのです。水量が多くなっているため、川幅があり深い地点は渡河が容易ではないから攻め込まれない。したがって我々安倍側は、渡河点になり得る地点を守りきればよいと考えていました。万一破られても岸は崩してありますので、すぐに渡河は出来ず足止めをくわせることが出来るという判断でした。
宗任 :しゃくにさわるのはあの久清って奴だ。猿のような野郎だったぜ。
経清 :清原武則殿は下流域を攻めていたのですが、配下にいた久清という者に策を授けて向こう岸に渡らせました。久清は川面を覆うように伸びていた木の枝をそれこそ猿のように伝って渡り、体に葛をまとって迷彩し縄を掛けて三十名ほどの兵士を渡らせました。
学び舎:それってなんだかレンジャー部隊の話みたいですね。
経清 :川をすぐに越えられるという点は予想していませんでしたからね、これは衝撃が大きかった。
宗任 :ま、しょうがないわな。今さらああだこうだ言っても、元には戻らねえわけだし。

学び舎:あのぉ、業近(なりちか)さんのこと伺ってもいいですか。
宗任 :いいよ。業近はおれがガキの頃から見守ってくれていた。親父代わりみたいな存在でな。「大藤内」って呼ばれてることからも一目置かれているのが分かるだろ?安倍勢の中じゃ、重鎮の一人だよ。「腹心」とか言われてもいるけれど、おれにとっては「相談役」みたいな感じだった。とにかく、業近に任せておけば何も心配はいらないと思っていた。
経清 :安倍頼時殿が亡くなられてから、藤原業近殿の存在は頼りになる大きな存在でした。もちろん貞任殿には求心力がありましたが、業近殿の長年の経験に裏打ちされた判断は傾聴に値するものでした。
宗任 :まあ、親父と一緒に安倍の勢力を大きくしてきた古参の武将だからな。業近の柵が簡単に焼け落ちるなんて誰も思わなかったのさ。あり得ない、どう考えても。

学び舎:それは宗任さんや経清さんだけでなく、安倍方の将兵に共通の意識だったんでしょうね。それで業近柵が焼失したときにあれだけ動揺が走り、衝撃が大きかったというのも分かるような気がします。ところで、衣川関からどうやって鳥海(とのみ)柵目指して逃げたんですか?
経清 :衣川の渡河点は分かってましたが、増水していることに加えて岸を崩していましたので、遙か上流へ迂回し川幅の狭い地点へ退却しながら衣川を越えました。
学び舎:では、犠牲もそれなりに大きかったんじゃないですか。
経清 :平孝忠殿、金師道(こんのもろみち)殿、安倍時任殿、安倍貞行殿、金依方(こんのよりかた)殿などが衣川関陥落前後からその後の大麻生野(おおあそうの)柵、瀬原(せばら)柵陥落までの合戦の中で亡くなられました。特に衣川関からの退却時も犠牲は大きかったと言えます。
宗任 :全軍の中で殿軍(しんがり)を務める部隊が犠牲を出して、仲間を逃がしてくれたんだ。最後まで踏みとどまってくれた連中をおれは忘れない。
経清 :我々が逃げ延びることが出来たのは、いつもそうした味方の捨て身の戦いがあったからです。
宗任 :一度負け始めると変なもんだよな、負け癖がついちまう。清原の連中が参戦した当初は負ける気がしなかったんだけどな。悪い方に考えちまうからなんだろう、たぶん。
経清 :そういう意味で宗任と私の責任は大きいと言えます。
宗任 :だからさっきも言ったろ。今さらああだこうだ言っても、元には戻らねえんだよ。

学び舎:それでは次回は鳥海柵を無傷のまま明け渡した真相についてお聞きしたいと思いますので、またお二人によろしくお願いします。
経清 :こちらこそ。
宗任 :今日は少ししんみりしちまったな。次はパアッと派手にいきますか。

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2009年7月20日 (月)

江戸的スローライフのすすめ・その13

前回、左甚五郎が主人公の「三井の大黒」と「ねずみ」の噺を取り上げたが、「ねずみ」の噺のように、精魂込めて彫られたものや描かれたものが生きているように動き出すという噺は他にもある。

すぐに思いつくのは「抜け雀」だ。一文無しで小田原の宿屋に泊まった若い絵師が、宿代の代わりに屏風に雀を五羽描く。翌朝、宿屋の主が部屋の戸を開けて朝日が射すと、屏風の雀が抜け出して隣の屋根まで飛んでいく。しばらくエサをついばんで舞い戻りまたもとのように屏風に納まる。驚いた主は屏風から雀が抜け出したと騒ぎだし、それが評判となって大久保加賀守が千両で買い上げるという話になる。ところが主は宿代の形(かた)に預かっているものだから売れないと断る。

ある時、品のいい老絵師が訪れてきて抜け出す雀の屏風を見せてほしいと言う。雀が飛び出して戻ってくる様子をじっと見ていた老絵師は、この雀はじきに落ちるとつぶやく。え、落ちるって、死ぬってことですかい?と主はあわてる。うむ、止まり木が描いていないからいずれ疲れて死んでしまう。どうすりゃあいいんでしょう?わしが止まり木を描いてやってもいいぞ。と言うと老絵師は鳥かごと止まり木を描く。

それ以降抜け出した雀はかごに入って止まり木にとまるようになり、またまた評判が高くなる。大久保加賀守は二千両出そうと主に買い取りを申し出るが、主は預かりものであることを理由にまた断る。そうこうしているところへ立派になった若い絵師が訪ねてくる。主から事情を聞いてあわてて屏風に描かれた鳥かごを見ると自分の父親の筆であったという噺。

狩野派の絵師の噺ではなかったかとかすかに記憶している。落語ではないが、描かれた鶴が壁から抜け出して舞うというのは、李白の詩にも出てくる「黄鶴楼」の話だ。長江に臨んだ眺めのよい高楼に酒を飲みに来る老人が、酒代の代わりに黄色い鶴を壁に描く。その描かれた黄鶴が手をたたくと壁から抜け出て舞ったという伝説から「黄鶴楼」の名が付いた。確かその爺さんは仙人だったんじゃなかったか。

宿代と酒代の違いはあるが、どちらも払いの代わりに描いた鳥が抜け出すという点では同じ趣向である。「抜け雀」の若い絵師が酒好きである点も「黄鶴楼」の爺さんと似ている。「抜け雀」では若い絵師は宿屋の二階で毎日三升ほどの酒を飲んでいるばかりで、どこにも出かけない。飲み代や泊まり賃の代わりに絵を描いていくというのは、なんだか洒落てていいなあ。もっとも、「抜け雀」も「黄鶴楼」もどちらも評判になるような絵だったからよいが、これが箸にも棒にもの絵だったら描かれても迷惑なだけだろう、たぶん。

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2009年7月19日 (日)

紙の辞書?電子辞書?

今日の朝日新聞朝刊の「きょういく特報部2009」に同じタイトルの大きな記事が載っていた。

6月21日の同新聞の投稿コーナー「聞いて聞かせて」で、悩む2人の母親の意見が掲載されると100通近い反響が寄せられたとして、「電子派」「紙派」「両立派」の意見が紹介されている。

「電子派」は43人で、電子辞書のスピードや多機能性、持ち運びの便利さを挙げているようだ。英語論文を読むには効率的に読むために電子辞書が必要という大学生や、学校から「必ず用意して」と言われたという兵庫県の公立高校生の母親の意見があるかと思えば、同じ兵庫県の別の公立校では「紙の辞書を指定された」という声も紹介される。

「電子派」は、使ってみると思ったときにすぐに調べられる便利さは二度と手放させないという声が多かったようだ。

一方の「紙派」も44人いて、意外にも若い世代が多いという。調べた単語や熟語に線を引くことができるので紙の辞書がいいし、「慣れたら案外平気なもの」という大阪の私立高校2年生の意見。ただ、その学校は電子辞書派が多数で、授業も電子辞書を前提に進められており、紙の辞書を引くのを待ってくれる先生は「学校で2人だけ」なのだそうだ。

「紙派」で意外に多いのが、親や親戚が使っていた年代物の辞書を使っているというケース。部活の費用がかかるので辞書は両親が使っていた30年前の古い辞書を使い、高校の先生には「これじゃ受験には勝てない」と言われながら東大に現役合格した大学生もいた。「紙派」が挙げる利点として、探している言葉以外の単語まで自然に入ってくるというものがあった。

当塾の高校教室に来ている高校生も「電子派」「紙派」が半々である。ただし、教室には紙の辞書を複数用意してあるので、「電子派」の生徒にも語法などの詳細や例文が少ない場合には必ず紙の辞書を引かせる。

私自身のスタンスは、場合に応じて使い分ける「両立派」である。基本は「紙派」で、動詞の語法を例文とともに覚えるにはやはり紙の辞書が一番だと思っている。紙の不利な点は調べるスピードである。しかし、スピードが問題になるのは、ある程度の速度を要求される長文読解の時であり、しかも下線部和訳などをしなくてよい場合になる。その場合には電子辞書が圧倒的に便利である。教室には電子辞書を置いていないが、実は一台ほしいと思っているくらいだ。

自宅では、カミさんがCASIOのEX-word XD-F9000という電子辞書を持っているので、ときどき使わせてもらっている。この機種はだいぶ前に出た機種なので音声読み上げの機能などはない。しかし英語辞書が6種類入っているので、一つの単語を一回の検索で複数調べられる点がかなり便利である。長文記事を読むときには手放せない。Web上の英文を読むときは「マウスオーバー辞書」をフル活用している。Googleツールバーを利用している方にはおなじみだと思うが、マウスのカーソルを英単語上に載せるだけで意味がすっと表示されるので、英文を読んでいく流れがほとんど中断されない。

電子辞書やマウスオーバー辞書はあくまで、長文速読用のものだと思う。精読したり文法演習や英作文にはやはり紙の辞書が必要だ。確かに電子辞書は便利なのだが、それはあくまで紙の辞書の補完的なものでしかないと思う。紙の辞書の内容が例文、語法解説まで全てまるごと完全に収録されているのであれば、電子辞書をメインにして使いたいのだが、残念ながらそこまで進んだ電子辞書はないようだ。それともすでにあるのだろうか。データ量が多くなるから電子辞書は例文や語法解説を削らざるを得ない。やはり、基本は紙の辞書なのではないか。

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2009年7月18日 (土)

平岡正明が亡くなったとは…

昨日の朝日新聞文化欄に四方田犬彦氏が平岡正明を追悼する文を載せていた。

え、平岡正明が亡くなったんだ。全く知らないでいた。まだ六十代だと思うが、亡くなったのか。

平岡正明といえば筒井康隆作品やジャズの評論もするし、『山口百恵は菩薩である』『大歌謡論』などの歌謡曲評論もあり、『志ん生的、文楽的』『大落語』など落語を縦横無尽に語り尽くした快著もある。守備範囲の広い評論家であったと思う。威勢のいい語り口は読んでいて小気味よかった。

特に晩年近くなって縦横無尽に語った落語評論は傑作である。このブログで「江戸的スローライフ」のシリーズを書き始めたとき念頭にあったのが、平岡正明の落語評論だった。もちろん平岡正明の評論に太刀打ちなど出来ないが、平岡的分析方法や着眼は魅力的で、何とか雰囲気だけでもかすめ取りたいと思った。論理的でない、きわめて主観的・情緒的な落語論であるが、それゆえに平岡正明という一人の評論家の存在の面白さがよく表れている。

『志ん生的、文楽的』『大落語』は一対をなす評論集なので、落語好きの方には両方とも読むことをおすすめする。この落語評論の中には平岡自身の生い立ちを振り返った部分も多く、自伝的落語論の趣がある。この二つに描かれた古き良き時代の東京、さらには本郷の薬局だった実家の一族を描きながら考察するくだりや、少年時代の記憶に残る風景の描写は読んでいるだけでじわじわしみこんでくる不思議な味わいがある。評論集としてこの二つはネガとポジみたいな関係であるし、別テイクのジャズ演奏のような趣もある。

思えば平岡正明の評論そのものがジャズ的であった。ジャズ、落語、評論。それぞれのジャンルを自在に飛び越え行き来し、自由な思考がちりばめられた評論だった。落語評論をもっと読みたいと思っていたのだが、もう永久に新しい評論が読めないと思うと残念だ。

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2009年7月17日 (金)

パラレルワールド

ときどき、今こうして暮らしている世界は、だれかの意識が創り出した世界なのではないのかと思うときがある。

自分の意識かもしれないし、他のだれかの意識かもしれないが、意識が変わっていくにつれて世界のありようも変わっていく。どこかで別の路線に移り変わっているのだが、電車に乗っていて別の軌道に入っても違和感がないのと同じように、継ぎ目も裂け目もなくなめらかに変わっていく。

変わる前の世界はそのままの軌道で進んでいくから、ちょっとずつ違った世界が平行して並ぶことになる。いわゆるパラレルワールドである。

何を馬鹿なことを、と思う。馬鹿も休み休み言ってくれとも思うが、現実の世界だってわれわれの意識が少しずつ影響を与えているはずだ。エコだ、エコだと誰もが口にするような時代になると誰が想像したか。携帯がないと生きていけない、などと口走る人間が出現すると考えた人間がいたか。インターネットでありとあらゆる情報を瞬時に入手できる世界が実現すると誰が本気で考えたか。いずれも「当たり前のこと」になってしまった世界にわれわれは生きている。

意識が変われば世界は変わる。制度だけ作っても意識が変わらなければ何も変わらない。意識が変われば言葉が変わる。言葉だけ変えても意識が変わらなければ何も伝わらない。坂口安吾は敬語の問題に触れて、「言葉だけいじってもだめだ。言葉の根っこにある精神が変わらない限り敬意は表れない。敬語だけ教えても身に付かない。敬意を払う心が生まれれば敬語は自然に身に付いていく」というようなことをどこかで書いていた。

どういう世界にわれわれは生きたいのか。その意識が次の世界を生み出していく。良くも悪くもなる。世の中金だと思う人が多くなれば、そのような世界になるだろうし、お金では計れないものがあると思う人が増えれば、それに応じた世界になるだろう。私が望むものは何だろう。お金?幸福?平和?

総選挙が近いという。特定の政党を支持するような内容を書くつもりはないが、どういう日本にこれから暮らしたいのか、選挙権のある人は意志を表示すべきだと思う。現在の政治に不満がある人は投票という行為によってそれを形にすべきだ。現在の政治に満足しているという人も投票によってそれを示すべきである。

一番よくないのは、棄権することだ。信頼できる政党や候補がないというのなら、棄権ではなく投票所に行って白票を投ずべきだ。棄権と白票は意味が違う。棄権するということはどういう選挙結果になってもそれに従いますよという意思表示になってしまう。白票は候補者全員に対する不信任の意思表示だ。まったく意味が違う。だから、政治に期待できないと思うなら棄権ではなく投票所に行き、白票を入れるべきだと思う。

投票所で一票を投ずるときのあの無力な感触をそのまま信じてしまってはいけないのだと思う。おれが一票入れても入れなくても結果は同じだよな、と誰もが思ってしまったらどうなるだろう。自分の一票は国の政治のありようを決めるにはあまりにも無力のような気がしてしまうが、それでも投票には行くべきだ。総選挙なのに投票率が50%台とか60%台なら、何のための総選挙なのかと思ってしまう。国民の意思を問う選挙なのだから、投票率80%以上なければ選挙結果は無効であるというくらいの制度にしてもいいのではないかと思うくらいだ。

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2009年7月16日 (木)

豊田館と五位塚

昨日は教室に来る前に、大きく遠回りして奥州市江刺区にある豊田館跡と五位塚を訪れてきた。

豊田館とは、このブログの架空対談でもたびたび登場してもらっている藤原経清の館である。後の奥州藤原氏初代清衡もここで育ったと言われている。現在の豊田館跡は県道の交差する一角を占めている。金ヶ崎の鳥海柵跡などにくらべるとはるかに小さいが、駐車場に車を停めて上まで登ってみると見晴らしがいい。

東屋が設けられ小さな公園のようになっている。こぢんまりとした神社が一つ。その隣に豊田館であることを残そうとした幕末頃の石碑。さらにその左隣に案内板がある。経清の居館だった頃を偲ばせるものは何もないが、西側を見渡したときの眺めの良さは昔もそうだったのだろうなと思わせる。

豊田館から南東方向へ車を進めると五位塚がある。五位塚は経清一族の墓所であるという。五位塚という地名は前九年の役を調べ始めるずっと以前から知っていた。チラシを配りにこの周辺に来たことが一度ならずあったからだ。その頃は五位塚とは変わった地名だな、くらいにしか思っていなかった。ご存じのように藤原経清は亘理(わたり)権大夫と呼ばれている。「大夫」とは五位の人を指す。だからこの五位塚という地名は五位の経清の塚というところから来ているのだろう。

経清は厨川柵陥落後、源頼義に頸を斬られ貞任や重任の首級とともに京へ運ばれた。西の獄門の楝(おうち)の木にさらされているので、もしかしたら胴だけ塚に納めたのだろうか。

さっきの豊田館とは違い、この五位塚は墓所として祀られているので鬱蒼とした林の中にある。塚にたどり着くまで一応きちんと道はあるのだが、蜂やら何やら虫が飛び回っている。まさか熊はいないだろうなとビクビクしながら奥へ進むと、立派な石塔と石碑が建っている。石塔が建てられているところは半球状の塚になっている。何も持ってきていなかったが、手を合わせて拝むだけ拝んだ。

ふと見下ろすと、小さな案内表示がある。降りて近くまでいってみると別の塚もあるらしい。が、さすがに仕事に行く前の格好では林の中の小道に分け入るのがためらわれた。熊がいるかもしれないという根拠の薄い恐怖感が頭の一角に根を下ろしているので、戻ろうと決め足早に塚の横を過ぎ、もと来た道を降りた。どうも墓所はいけない。見晴らしも悪いしやはり墓所である。しかし、一度はあいさつしておかなければと思っていたので、なんだかスッキリもした。

五位塚から下り江刺区の玉里地区を抜けて水沢区へ入った。江刺区から水沢区へ北上川を越えるとき四丑橋(しうしばし)を渡る。この四丑橋の付近が阿弖流為(あてるい)たちと紀古佐美(きのこさみ)率いる朝廷軍との戦いがあった「巣伏(すぶし)」の古戦場である。経清たちの時代からはぐっと時代が遡ることになるが、この「巣伏の戦い」で官軍は大敗する。坂上田村麻呂が征夷大将軍として派遣されることになったきっかけでもある。橋を渡って信号を左折し、東水沢中学校の校舎を遠くに見ながら右折して教室へと向かう。

なんだか今日も史跡巡りみたいな通勤路になってしまったなと我ながらあきれてしまった。車でほんの十数分も走ると、五位塚周辺の林の中の濃密な空間は跡形もなく消えてしまう。何なんだろうな、これは。歴史の連続の上に今があるはずなのだが、あまりにも脈絡が切れてしまっているように感じる。逆に言えば、ちょっと車を走らせて山へ入ると日常と切り離された別世界の空間がまだ息づいていることを体感できる、ということか。

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2009年7月15日 (水)

大乗会(だいじょうえ)・その3

日曜日の12日に見た神楽の「大乗会(だいじょうえ)」についての三回目。

大乗会にしか演じられない大きな演目の「橋引」。もちろん私は初めてだが、前回の2004年に復活した大乗会でも演じられていない演目だから、今回が初めての上演ではないかと思う。

見ていて分かりやすい演目だった。ある川に橋を架けることになり、適当な木を探したところ上流によい木が見つかり切り倒したが、橋のある場所まで引こうとしてもびくともしない。不思議に思い、神に祈誓し見た夢に「この里に住む乙女が手を掛けねば成就ならぬ」とご託宣がある。乙女を探し出し祈祷の真似をしてもらい古木運びの綱に手を掛けると杉の古木が軽々と動き出すという話だ。人足役が四人。翁面をかぶった木の精が一人。乙女役が一人。計六人が舞台で舞うと神楽殿が狭く見えた。

「橋引」も無事終わり、最後の演目は「伏獅子(ふせじし)」。獅子頭を用いた権現舞であるが、大乗神楽では獅子頭ではなく「権現様」とよばれるご神体である。耳がなく幕の模様が鱗であることから龍神を表すのではないかとも言われる。通常の権現舞は一通り舞って水と酒と米を権現様に奉納して、そのあと権現様に頭をかじってもらう(というと笑うかもしれないが、厄除けに噛んでもらうという仕草である)。ところが「伏獅子」では、頭を低くした権現様に刀や扇子などを呑み込んでもらいそれから通常の権現舞に戻り、水や酒や米を供えるという演じ方になる。

以前、地元の公民館が建て直されたときの開所式でも見ていたし、その時は門屋光昭先生に解説をしてもらったので「伏獅子」は懐かしかった。舞が終わると舞台はそのまま「神上げ」の儀式に移り、大乗会の終了となった。時刻を見ると午後10時20分。延々9時間近く見ていたことになる。

和賀の大乗神楽は県指定の無形民俗文化財に指定されている。この指定にあたっても門屋先生が各方面に働きかけて実現にこぎつけた。山伏神楽以上に修験の呪法をきちんと行い祈祷色の濃い神楽となっている。そういう意味で貴重な民俗芸能伝承なのだが、神社の境内に座り神楽殿で演じられる演目の数々を見ながら、門屋先生が元気で今回の大乗神楽をご覧になっていたらどうだったろうと思っていた。

不思議な縁だと思う。たまたま私の高校時代の恩師が門屋先生で、私の家族が新しく住むことになった地区に神楽の中野善一さんがいて、その縁から公民館の開所式の神楽解説をお願いすることになった。その年の暮れに門屋先生は亡くなられた。お元気な姿を最後に目にしたのが、開所式の神楽公演だった。その門屋先生が復活に尽力した大乗会を、先生がいなくなってから見る巡り合わせになってしまった。本当なら先生の解説で見ることができたのだろうと思うと複雑な気持ちになる。

丸一日神社の境内で神楽を見て過ごすと、なんだか浮世離れしたような気分である。それにしても、大乗会三三演目のうち今回演じられた三〇演目のほとんどを見る機会に恵まれて幸運だった。カメラもビデオも持たず目と耳だけになってひたすら神楽の舞を追いかけた一日であった。

付記:  ちびやまめさんの情報で、当日の様子も含めて大乗会の準備の過程をずっと追いかけて掲載しているokuderazekiさんのブログ(こちら )を知りました。写真・動画が数多く掲載されておりますので、興味のある方はどうぞ。

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2009年7月14日 (火)

大乗会(だいじょうえ)・その2

引き続き、7月12日の日曜に行われた大乗会(だいじょうえ)の話の続きである。

近所のおじいさんで、村崎野大乗神楽の指導者である中野善一さんが、今回の大乗会で唯一舞う「湯引」とはどんな舞なのか。プログラムには「現在、詳細は不明ですが、湯立て神事と解釈して行っています」としかない。いずれにしても中野善一さんの大乗会での舞を目にする機会は、私にとって初めてだったので、これは見逃すわけにはいかないと思っていた。

司会の方が「この演目では中野善一さんが舞台に向かって左側の社殿方向から表れ、舞台下左隅で舞いますので、どうぞ左側にお集まり下さい」と言う。あわてて椅子から立ち上がり、舞台左下に向かう。大乗飾りの舞台の四方には忌竹(いみだけ)が据えてあるが、その忌竹のすぐ前に「釜」がある。昔なつかしい飯炊き釜だ。「湯引」だし「湯立て神事」だというから「釜」があるのは分かるが、はてどうなるのか。

社殿の右横に村崎野大乗神楽のメンバーが囃子方となり一列に並んでいる。その横に白い修験装束の中野さんが立っている。これから回峰行にでも向かうのかという格好である。すたすたと「釜」の前に来ると四方を拝して「湯引」が始まった。まず藁束でできた大きなタワシ状のもの(何と呼ぶのか不明)を二つ手にし、それで釜の中を洗う所作。次に忌竹に結びつけてある笹の葉の束を二つ、同じように手にして釜の中を洗う所作。笹の葉に釜の中の水を含ませ四方に散らす。それから盆に盛った米を同じように四方に散らす。

最後の米を散らす部分は記憶があいまいだが、その前までは上記の順に神事が進んだと思う。ほとんど「神事」である。「舞」を期待していた私には少し意外だったが、大乗会の中野さんの姿を見ることができる機会はめったにないことなので、しっかりと目に焼き付けた。

演目は通常の舞に戻り、女舞の「帝童(ていどう)」、この舞には「追っかけ」というもどきがあり、黒面の道化が熊野詣りの帝童を追っかけ、胴(太鼓の叩き手)と掛け合い漫才のようなやりとりをする。次いで面を着けず手に笹と錫杖を持つ二人舞の「笹結(ささむすび)」。病魔退散の祈祷舞である「薬師」と続き、ここで滑稽な「真似三番叟」となる。

「三番叟(さんばそう)」は広く知られた演目だと思うが、「真似三番叟」は黒面の翁が滑稽なしぐさで舞った後に「追っかけ」が表れ、会場の客を舞台に上げて三番叟を教えるというやりとりがある演目。今回も会場から女性の方が舞台に上げられ、大いに受けた。

これに続いて面を着けない「大乗の下」。そして大乗会でしか演じられない二人舞の「天王」となるが、これは牛頭天王と帝の掛け合いがあり弓矢を四方と中央に射ながら舞うという神楽。次いで一人舞の「正足」、二人舞の「神拝」。この辺りで夕方となり照明が入る。

照明が明るく感じられる舞台では夜に入っての榊舞(さかきまい)「後夜榊」が演じられた。演じるのは中野善一さんの孫の耕君である。榊舞を演じる「法印」の資格を持つ若者だ。華奢な体つきだが舞の美しさは別格である。動きがやわらかく、それでいて要所要所の大きなすばやい動きが躍動感を与え、ついつい引き込まれてしまう。体の重心がほぼ水平に移動していく様は静かである。普段はおとなしく頼りなさそうに見える耕君だが、榊舞を演じている姿は別人のようだ。40分を越える榊舞は、大乗神楽の舞の全ての要素が入る演目で、見応えがある。耕君の榊舞を見るのはこれが三度目だ。

その後は天の岩戸を題材にした「岩戸開」。蛇身となった長者の一人娘を寺の住職が加持祈祷して成仏させるという「鐘巻」。ここまで終わったときに午後7時半を過ぎていた。さすがに見続けると疲れてくる。しかし、この後に大乗会(だいじょうえ)でしかお目にかかれない「鬼門」と「橋引」の二つが控えている。

「鬼門」は80分かかる演目だ。法印の二人舞となっている。一人は村崎野大乗神楽の高橋裕樹君だが、もう一人は西塚真二君だったろうか。これは長い演目だ。舞台の下まで広く使う。折悪しく小雨が降り始めた。杉の大木の下にいた私はほとんど濡れることがなかったが、神楽殿の屋根からは雨垂れが舞台の端に落ちるようになってきた。舞台の上での舞と下での舞が三セットくらい続き、最後に舞台両側下の「釜」の前に張られた注連縄(しめなわ)を無事に刀で切ってお終い。同じ舞のくり返しに入るとさすがに見ている側の集中力が途切れてくる。

しかし最後の大きな演目「橋引」になると、小雨も上がりこちらの集中力も復活し、初めて見る神楽の内容に引き込まれた。今日も終わりそうにないので、続きは次回。

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2009年7月13日 (月)

大乗会(だいじょうえ)・その1

昨日の記事で触れたように、江戸時代に完成した用水堰の三三〇年を記念して、近くの神社で大乗神楽の「大乗会(だいじょうえ)」が開かれた。

大乗会そのものについては昨日の記事をごらんいただきたいが、一カ所だけあいまいな書き方になってしまったので訂正したい。「別当」の代替わりの時にも大乗会が開かれるのだが、その「別当」を神楽集団の長と書いた。これは正確には、付属神楽をもつ神社の神主が「○○院」という呼び名を持つ「別当」となるので、単純に神楽集団の長というわけではない。

さて昨日の大乗会だが、2004年に百四年ぶりに復活開催されてから五年ぶりの開催である。記録では嘉永二年(1849)に第1回の大乗会が開かれ、明治八年(1875)と三三年(1900)に行われた後百年以上途絶えていたという。この「大乗会」の復活には、故人となった門屋光昭先生が大きく関わっている。文献や古文書を調べ大乗飾りという舞台飾りや演目の復元に尽力された。

門屋先生は、2004年の大乗会復活の際に地元の「岩手日報」紙に、大乗会復元のポイントを四つ挙げている。以下はその要約である。

一つは「舞手」。大乗会は五つの神楽組が合同で行うが、どの組にも最高の祈祷舞である「榊舞(さかきまい)」を伝授された「法印」の資格を持つものがいなければならない。この「榊舞」の伝授には、一週間精進潔斎をして神社に籠もって秘伝を受ける必要がある。復元前には二つの神楽組に「法印」資格者がいなかったが、2004年の復元を機に五つの神楽組全てに「榊舞」を舞う法印がいる状態となった。

二つめは演目で、明治八年の記録では三三演目が演じられている。しかしこの演目の中に大乗会にしか演ずることができない「神招請」「鬼門」「天王」「橋引」という神楽が入っている。2004年の大乗会では「鬼門」と「天王」の二つが復元された。

三つめは儀式。これには修験の総本山聖護院門跡と関わりの深い神楽組があり、その縁で祈願文が起草された。

最後の四つめは舞台飾り。三間四方の舞台で、四隅に三斗五升入りの米俵を六俵ずつ積み上げ、四方と中央に忌竹(いみだけ)を立て五色の旗を垂らす。青竹を網代に組んで五色の短冊百八枚に観音経を書いて天蓋にし、四囲に注連縄(しめなわ)を張り、切り紙四十八枚を下げるというのが記録に残る舞台である。
(以上、「岩手日報」2004年3月の記事に載る門屋先生の文を参照)

五年ぶりの開催となった昨日の大乗会でも、舞台飾りは古式通りのものだった。しかも舞台が神社の「神楽殿」という外の屋根付き舞台だったので、古い時代の大乗会もこのようなものだったろうと想像させるものになった。村崎野大乗神楽、和賀大乗神楽、宿(しゅく)大乗神楽、上宿(かみしゅく)和賀神楽、笹間大乗神楽の五団体が一同に会し、丸一日がかりの神楽公演となった。

私は午前の部の途中から見たので「七ツ釜」「地割」「棟上」の三番は目にしなかった。四番目の「庭静(にわしずめ)」から見始めて、大乗会では番外となる演目の「小山の神」がその次にあり、日中に演じられる榊舞「初夜榊」、狂言「つぼ草」、二人舞の「龍殿(りょうでん)」まで見たところで一度自宅に戻り昼食をとった。戻ったときには「普勝」「七五三切(しめきり)」の二番が終わり「王の目」の途中であった。午後1時半くらいだったろうか。

しっかりと最後まで見るつもりで、キャンプ用の折り畳み椅子とお茶を入れた保冷水筒を持ち、舞台に向かって右側のところに腰を据えた。神社の大きな杉の木の下で日陰になって涼しい。数メートル先には狛犬が二頭並んで見える。私のすぐ横でカメラの三脚を構えた方がいて、この方はプログラムにチェックを入れながら演目の全てを数枚ずつカメラに収めているようだった。すぐ横に三脚があるので、その方がカメラから離れると私がカメラ持参で来たように思われ、知り合いの数人に「カメラ持ってきたの?」と声をかけられてしまった。

山ノ神とも言われる「魔王」、午前の狂言「つぼ草」と似たような話の「宝狂言」、二人舞の「地讃(じぼめ)」、荒ぶる神の舞「荒神」まで見て午後三時くらいになっただろうか。ここでいつもお世話になっている近所のおじいさん、中野善一さんが「湯引」という演目を演じるという。村崎野大乗神楽の指導者であり、途絶えていた大乗会復活のために「榊舞」を伝授し、「法印」を各組に育てた長老である。普段はニコニコしたただのおじいさんにしか見えないのだが、神楽にかける情熱は生半可なものではない。80歳を越えてなお後進の指導に余念がない。この長老の中野さんが自ら演じる「湯引」とは、一体どういう演目なのか。長くなってきたので、続きは次回。

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2009年7月12日 (日)

朝から神楽三昧

江戸時代に完成した用水堰の三三〇年を記念して今朝から、近くの神社で大乗神楽の「大乗会(だいじょうえ)」が開かれている。

大乗神楽はもともとは山伏たちが「本地垂迹説」に基づき、祈祷色の濃い所作を取り入れて舞った神楽である。早池峰神楽のような動きの激しい神楽とは対照的に、上下動の少ない水平方向の動きが多い、静かな神楽である。だから、見ていると変化が乏しく単調であるように感じるかもしれない。

ところが、初心者の舞とベテランの舞は明らかに違う。何が違うのかというと、足さばきである。ベテランの足さばきは静かで無駄がなく正確である。そして体の中心部がほとんど動かない。上体がどれほど動いていても、中心から下は静かに安定している。その動きはみごとである。

今日は朝から深夜まで神楽が続く。「大乗会」は神社の縁起の御開帳や「別当」と呼ばれる神楽集団の長が代替わりするときくらいにしか行われない特別な法会で、三十三幕の演目を演じるものである。めったに見られない神楽公演である。

しかもいつもいろいろお世話になっている近所のおじいさんも舞うという。大乗神楽の長老でもいうべき存在の人だが、これまためったに舞わないので、今日を逃すと次はいつ見られるか分からない。

というわけで、神社がすぐ近い私は昼食をとりに家に戻ったところだが、またこれから午後の演目を見に行ってこようと思っている。詳しい報告は後日。

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2009年7月11日 (土)

三遊亭圓朝『怪談 牡丹灯籠』

暑くなってくるとやはり、怪談話である。稲川淳二である。と、今ならいうところだろう。古典的な怪談といえば『四谷怪談』か『牡丹灯籠』がどなたも浮かんでくるだろう。

後者『牡丹灯籠』は明治落語中興の祖と言われる三遊亭圓朝が書いた噺で、二十一回にも及ぶ長編である。落語の高座にかけられるときは、「お露新三郎」や「お札はがし」など一部だけだ。だからついつい牡丹灯籠といえば、例のカランコロンという駒下駄の音とともに新三郎のもとへ訪ねてくるお露と女中の米の噺しか思い浮かばない。

ところが「お露新三郎」の話はほんの一部で、お露の父親飯島平左衛門と草履取りの孝助の奇縁に始まる別のストーリーが、新三郎の世話をしている伴蔵・おみね夫婦の話に複雑に絡んでいくさまは、まさに因果は巡るなんとやらという感じである。あれよあれよというストーリー展開で、展開が速い最近のジェットコースター・ドラマも顔負けのすごさだ。

ご都合主義的なストーリー展開だともいえるが、話としては何と言っても後半の方が面白い。前半の「お露新三郎」はおまけみたいなものである。後半の話は人間の愚かさやいやらしさがとことん描かれているので、かなりえぐい話になっている。前半の「お露新三郎」だけなら清涼剤のような(?)怪談話で終わるのだが、後半は結構ドロドロした人間関係が描き出され、欲に翻弄される人間の姿がこれでもかと描かれる。そういう意味では、いわゆる「牡丹灯籠」の話として知られている部分より、なお一層「恐い」と言えるかもしれない。

やはり、何といっても生きている人間が一番恐いということか。

付記:  宝島社から宝島MOOK「名作 落語CD BOOK其の壱」として出ている本には、五代目古今亭志ん生の演じる「お露新三郎」と「お札はがし」の二席が入ったCDとともに、三遊亭圓朝の原作が載っている。落語と原作の両方が楽しめてお得である。 

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2009年7月10日 (金)

江戸的スローライフのすすめ・その12

江戸時代の伝説的彫刻職人に左甚五郎という人がいる。日光東照宮の「眠り猫」などがその作品として有名だが、実在が疑わしいとも言われている。

この左甚五郎の出てくる話は講談などにも多いが、落語でもいくつかある。「竹の水仙」「四つ目屋」「三井の大黒」「ねずみ」などだ。このうち聞いたことがあるのは、後の二つだけだ。どちらの噺も三代目桂三木助が演じたものである。

三代目桂三木助といえば、風景描写の美しさで群を抜いている「芝浜」が有名だ。五代目古今亭志ん生は三木助の「芝浜」にでてくるカミさんじゃ、魚勝こと魚屋の勝五郎が芝の浜で財布を拾ったのが夢だとは思い込めねえと批評したらしい。噺の演出という点ではそうかもしれないが、それでも三代目桂三木助の「芝浜」には完成された美しさがある。大人のための一種のフェアリー・テイルだと思って聞けば、これほどの美しい噺は他にない。

この「芝浜」の印象が強かったため、三木助=人情噺の落語家というイメージが自分の中に出来上がってしまっていた。それを変えてくれたのが、この左甚五郎を主人公にした「三井の大黒」であり「ねずみ」である。

「三井の大黒」は江戸に出てきた左甚五郎が、ひょんなことから江戸の大工の棟梁政五郎の世話になる噺だ。自分が左甚五郎だと名乗る機会を逸してしまった甚五郎は政五郎の弟子が名付けた「ぽんしゅう」というあだ名で呼ばれることになる。ほとんど仕事に出ない甚五郎に、政五郎は彫刻の仕事を手間賃取りにやってみねえかと水を向ける。三井から大黒を作ってくれと頼まれていたのを思い出した甚五郎は大黒を彫ることに集中し始める。大黒が彫り上がり三井の番頭に手紙を出して受け取りに来てもらい、政五郎にも「ぽんしゅう」が実は左甚五郎であったことが知れるという噺だ。この噺の甚五郎はとぼけた味のある爺さんみたいに描かれている。ノンビリとした口調が妙に耳に残る。

「ねずみ」は仙台の宿屋が舞台だ。「鼠屋」という旅籠(はたご)の客引きをしている子どもに興味を持ち、左甚五郎は「鼠屋」に泊まることになる。ところが蒲団もないし飯もなく、足腰の立たなくなった親父と十二の子どもがやっている貧乏旅籠で、話を聞いてみるとその親父は元は向かいにある「虎屋」という旅籠の主だったのが、後添えと番頭に宿屋を乗っ取られて追い出されたのだという。話を聞いた甚五郎は親父と子どものために板きれでネズミを彫ってやる。このネズミが生きているように動き回ると評判になり、「鼠屋」は千客万来となる。それをくやしがった向かいの「虎屋」は、別の彫刻師に虎を彫らせる。その虎ができると「鼠屋」のネズミがぴたっと動かなくなる。「鼠屋」の親父からの手紙で事情を知った左甚五郎が急いで仙台にやって来るという展開になるのだが、サゲは洒落たサゲなので伏せておきたい。

この「ねずみ」は、ずいぶん昔に聞いて印象に残っていた噺である。三代目桂三木助が演じていることも知らなかった。左甚五郎と十二歳の子どものやりとりがとても良くて、印象に残っていた。つい最近、三木助の「ねずみ」を耳にして、あ、あの噺だとすぐに分かった。もしかすると「竹の水仙」も聞いたことがあるかもしれない。ただ、三木助だったかどうかは分からない。「ねずみ」の噺は神業とも言える技量を持った彫刻師の存在が、噺を成り立たせている。古今亭志ん生の「らくだ」の一部にも左甚五郎をとりあげたくすぐりが出てくる。「左甚五郎の作った蛙だから買えって言われて、まるで生きてるみたいだなあと手を伸ばしたらピョンと跳ねた。本物のトノサマガエルを置いてやがった。」という部分だ。

実在したのかどうかの詮索はだれかにまかせるとして、この左甚五郎を主人公にした「三井の大黒」と「ねずみ」は話の内容も面白いが、それを語る三代目桂三木助の声と間と調子がいい。何度聞いても引き込まれる。三木助の人物造型による左甚五郎がそれくらい印象深いということなのだろう。

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2009年7月 9日 (木)

少年の凶悪犯罪は増えていない

島根で中2の男子が父親を殺害したというニュースが報道された。成績のことで父親と長男から厳しく叱られたことが原因かと見られているようだ。

毎回、こういうニュースが出てくる度に少年による凶悪犯罪が増加しているような論調が出てくることがある。しかし、「犯罪白書」等を見てみれば分かることだが、少年犯罪の総数が増えているわけではない。

え、そんなことないよ、マスコミでよく少年犯罪が取り上げられているじゃないか。という声もありそうだが、実はここに問題がありそうだ。少年犯罪の総数は増えていないのに増加しているように感じる理由の一つに、マスコミで取り上げられる機会が増加したことがあげられるようだ。

昨日紹介した斎藤美奈子さんの『たまには、時事ネタ』に、興味深い考察が出ていた。

少年犯罪が増加・凶悪化しているように見える理由のひとつは、報道の量が飛躍的に増加したことがあげられよう。一例がテレビのワイドショーである。かつて芸能人のスキャンダルを目玉商品にしていたワイドショーは、芸能プロダクションのガードが堅くなったことから、近年とみに事件報道に力を入れるようになった。そのためジャニーズ事務所(に代表される芸能プロ)が少年事件を増やした(ように見える)という人までいる。(289頁)

最後の部分は極論としても、芸能スキャンダルのネタが減った分、少年犯罪等の事件報道が増えたという説はなるほどありそうだという気がする。

今回の事件にしても、一般論で述べられる性質のものではないだろう。厳しく叱られた子どもがみな親を殺害するわけではない。この生徒に固有の特殊な事情や背景があって起きた事件だろうと思う。

それにしても平成20年の「犯罪白書」を見て驚いたのは、高齢者の犯罪が増加しているということである。少年犯罪ではなく、高齢者犯罪が増えているのが実態とは。関心のある方は、法務省の法務総合研究所のサイトに載っている「平成20年版犯罪白書のあらまし」をどうぞ。

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2009年7月 8日 (水)

時事ネタも面白いのは、さすが

本好き人間にとって、一番の頼りになるのは的確な「眼」を持った書評家の存在だ。それぞれお気に入りの書評家をお持ちだと思うが、私が無条件に手を伸ばすのは米原万里さんと斎藤美奈子さんの書評だ。米原さんは惜しいことに亡くなられてしまったが。

それにしても二人とも女性書評家である。なぜ、女性書評家なのか。いや設問の立て方が悪かった。なぜこの二人なのか。たまたま二人とも女性書評家なので最初のような問いかけになってしまったが、別に女性だから読んでいるわけではない。その書評が的確で、本質的なものをこちらへ取り出して見せてくれる手際が小気味よいから読んでいるのだ。

で、斎藤美奈子姐さんである。ときどき朝日新聞の学芸欄で小説時評を載せているが、切れ味抜群の時評である。寝ぼけた目がいっぺんに覚める。外側に見える事象や表層の奇矯さに惑わされることなく、斎藤姐さんは的確にその奥にあるものを明るみに出す。優秀な外科医が患部をスパッと切り取る手際を見ているようだ。

この斎藤姐さんが、書評ではなく時事ネタを取り上げた時評がタイトルもずばり『たまには、時事ネタ』(中央公論社、2007年)である。「婦人公論」の連載コラム「女のニュース」をまとめたもので、略称は『たまじじ』なのだそうだ。なんだか猫のタマを呼んでいる爺さんみたいな略称だが、この時評集が面白い。

2001年5月から2006年12月分を加筆修正して収録した、と「あとがき」にある。21世紀の最初の10年のうち、半分ちょっとの期間に日本や世界で起きた出来事をその時々のマスコミ動向とともにズバリと評している。そうなんだよな、21世紀に生きているんだよな、我々は。9.11同時多発テロ。ブッシュ政権と小泉政権。外務省を巡る田中眞紀子、鈴木宗男問題。イラク戦争。安倍政権。アテネ五輪。JR列車脱線事故。テポドン発射。こうして項目だけ並べてみても、この期間に日本が大きな曲がり角を曲がってしまったんだなとぼんやり思う。

斎藤さんの時評は、ときに日和見的なマスコミの風潮を一刀両断し、自主規制したがる日本人の心性をみて、きっと戦争に至る過程の日本もこうだったんだろうと言う。自粛モードのときに火中の栗を拾う「非国民」の道を選ぶのは、想像以上に勇気がいる。そう述べて、勇気さえあればコラムは成立する、というわけでもないところが難しいのである、と時評の立っているポイントを冷静に振り返る。

この辺が斎藤姐さんの評論の頼りになるところである。決して一方に熱くなってしまわない。クールに全体を見通して、本質を突く。書評集ではなくてもすぐれた書き手の手になると面白い本になるという見本のような一冊だと思う。

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2009年7月 7日 (火)

復旧をお待ちしてます

大験セミナーの金田先生のブログにアクセスできないので、あわててパソコンの設定やら何やらを見直したが、こちらの設定が変わってしまったためではなかった。

金田先生からメールを頂き、復旧までまだ時間がかかるようで「神様からブログを少し休めとのお達しかもしれません」とのこと。金田先生のブログは毎日更新されている。本業の「大験セミナー」の他に、さまざまな役員やら氏子総代やら私立高校の講師やらもこなしておられる超多忙な毎日なのに、よく更新できるなあと感心していた。

ほぼ毎日、その更新されたブログ記事を読もうと寄っていたので、急にアクセスできなくなるとなじみのお店に行って「本日都合によりお休みします」の貼り紙を目にしたときのような気持ちになる。

長年お付き合いさせていただいているのだが、ブログを読んで初めて気がついたことがあったり、忘れてしまっていたことがあったりして面白いものだと思う。「文は人なり」というが、毎日更新し始めると「地」が出てくる。こういう人だと思っている相手の姿が間違っていなかったなと思うのは「文章」を読んだときだし、こんな面があったのかと驚かされるのも書いたものを目にしたときだ。金田先生のブログは、まさに金田先生ならではの世界なのでまねしようと思ってもまねできない。

というわけで、もうしばらく復旧には時間がかかるらしいので、「大験セミナー わくわく日記」ファンのみなさんは気長に再開を待たれるのがよいようだ。

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2009年7月 6日 (月)

魚ではなく、釣りざおを…か

朝日新聞が月2回、月曜日に発行しているThe Asahi Shimbun Globeの最終面に載る"Break-through 突破する力"のコーナーは、毎回さまざまな分野の一線で活躍する人物を取り上げていて面白い。(ネット版はこちら

今日の朝刊に入ってきたThe Asahi Shimbun Globeの"Break-through"は、国際協力NGO「JEN(ジェン)」事務局長の木山啓子さんを取り上げる。木山さんは、大学卒業後就職したメーカーでやる気が空回りし、評価されず落ち込んだという。自分を変えようと退職し、米国の大学院へ留学。帰国後再就職するが思うようにならない。友人が「現場に出る仕事なら変われるかも」と医療系の国際支援をするNGOを紹介してくれて、それがJENの前身組織へ転職するきっかけになったのだそうだ。

木山さんが飛び込んだ「現場」は旧ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、スリランカ、スーダン…と世界中の紛争地域や被災地である。そこで木山さんたちが行っている支援活動は、彼女を高く評価する勝間和代さんの言葉によると、「お金の使い道を決め、運営する仕組み」となる活動である。「プロフェッショナルなNGO活動」と勝間さんは評価している。ワイロを渡したり、権力にこびたりせず毅然と交渉し、軍や警察ともめてもねばり強く主張し言い分を通すという活動は確かにプロ意識がないとやっていけないだろう。

旧ユーゴスラビアでの経験をまとめたこんな部分があった。

 あらゆる情報を集め、常に全体の状況を見て判断すること。援助のためには魚ではなく、釣りざおを渡すべきだということ。そして、自分は国際協力の世界で生きていくのだという決意。旧ユーゴスラビアでの経験は、さまざまな教えと覚悟を与えてくれた。
(「朝日新聞グローブ」2009年7月6日付)

「魚ではなく、釣りざおを」の一行に目が引き付けられた。その時限りで終わってしまうものではなく、そこから自分たちでも続けていけるものを支援し定着させていく。これは国際支援活動のみならず、さまざまな分野で大事な考え方ではないか。たとえば、我々の仕事でいえば、「答え」ではなく「考え方」をと言いかえることができる。就業支援なら「一時的な補助金」ではなく「仕事と職場の創出」をとでも言えるだろうか。

もちろんその日生きていくための「魚」も必要である。生き延びなければ「釣りざお」を渡されても意味がない。だが、「魚」だけでは支援が途絶えた後の惨状が待ち受けている。やはり「釣りざお」を渡さなければならないのだ。

記事の最後にこうある。

 このグローバル時代、世界の一部が不幸だと、いつか必ず自分にもしっぺ返しが来る。「それに」と、木山は付け加えた。「『人の役に立ちたい』という感情は、人間のDNAに組み込まれているはずだと思う」
 もがきつつ前へ進む木山を支える、祈りにも近い信念である。
(「朝日新聞グローブ」2009年7月6日付)

宮沢賢治の「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という言葉を思い出す。

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2009年7月 5日 (日)

プレテスト第1回を実施しました

今日は第1回白ゆり入試プレテストを実施した。今年の3年生もいよいよプレテストを受けてもらう時期になった。早いものだ。

今朝は5時半起床で、6時から地域の道路清掃に参加し、教室には7時45分頃に入った。8時半からの試験開始に合わせ、8時20分着席としていたから、一番早く来た生徒でも8時10分くらいだった。

リスニングテストの最中に街頭宣伝車や廃品回収車が教室付近を通ることもなく、無事テスト終了。午後1時過ぎにはみな「疲れた~」という表情で帰っていった。

リスニングテストといえば、プレテストではないが、以前勤めていた塾の模試の時にテープの反対面をかけてしまったことがある。当然のことながら流れてくる内容が問題と合わない。生徒がザワつく前にミスに気がついてあわてて中断し、他の問題を解くよう指示してテープを早送りした。冬期講習のリスニング練習用と同じテープの裏面に模試のリスニング問題を入れていたため、勘違いしてしまったミスだった。

昨年度から白ゆりプレテストのリスニング問題は、テープではなくCDとなった。音質は格段に良くなったと思うのだが、他の協賛塾ではどうなのか気になっていることがある。

第3回くらいまではあまり心配ないが、4回目や5回目は冬場の試験である。CDの音飛びなどはないのだろうか。今年度のCDは問題ごとにトラックが分かれている。第1回のプレテストの英語は問題1から4がリスニングだから4つのトラックである。昨年度は全問を合わせて1つのトラックになっていた。もしかすると音飛びしたときに、その問題だけ頭出ししやすいようにという配慮なのかと勝手に推測してしまった。

リスニングテストの時くらいしかハプニングはないので、たまにこちらがあわてるような事態があった方が面白いのかもしれない。しかし、なるべく無事にリスニングを終わらせたい小心者の私は、CD化された昨年度から実はCDをかけていない。CD化の連絡をもらった時にmp3形式のファイルに変換して再生できるなと考え、昨年の第1回からmp3ファイルでリスニングを行っている。CDからテープやMDに記録して再生という手もあるだろう。

実際のところ、CDで再生している他の協賛塾のみなさんは、音飛びなどだいじょうぶなのだろうか。

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2009年7月 4日 (土)

芝のコートは気持ちよさそうだ

ウィンブルドン男子準決勝で、ロジャー・フェデラーがトミー・ハースを破り決勝進出を決めた。セット数3-0でストレート勝ちだが、それにしても強い。

クレーコートの王者ナダルは今年の全仏で4回戦敗退というまさかの結果だった。両膝の故障が原因らしく、今年のウィンブルドンは欠場。となると、フェデラーの独壇場かと思っていたが、やはりそうなりつつある。

ハースは健闘していたが、勝負所でサービスゲームをブレイクされてしまい、一気に流れがフェデラーに傾くという展開だった。

男子準決勝のもう一試合はアンディ・マレー対アンディ・ロディック。ロディックが決勝に進出すれば2005年以来で、その時と同じフェデラーとの対決となる。地元のマレー相手の試合となるので、観客を味方に付けるのは容易ではないだろうが、強烈なサーブとフォアがきまればロディックの方が優位かと思う。何といっても230キロ近くのサーブが打てるのだ。サービスゲームは圧倒的に有利で、マレーがブレイクするのは難しいだろう。

それにしても4大大会のシングルスはいつ見てもおもしろい。宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島みたいに、個人と個人の能力のぎりぎりを出した戦いは緊迫感がある。一瞬の判断の遅れやミスが致命的な結果を招く。逆を突かれる。ドロップショットでポトリと落とされる。しかも長い試合になると、3時間とか平気で続く。見ていると球技というより格闘技に近い感覚だ。

トッププレーヤー同士の試合というのは、それほど大きな技術的隔たりがあるわけではない。では、何が勝敗を分けているのだろう。駆け引きのうまさ?それもあるが、やはり精神面の強さではないか。メンタル・コントロールのできるプレーヤーが最後に喜びを爆発させることができる。

今朝確認したら、決勝はどうやらフェデラー対ロディックのようだが、そういう意味で終始冷静なフェデラーが有利なんだろうな。もう引退してしまったがアメリカのアンドレ・アガシが現役の最後のころは、頭も丸めてまるで修行僧みたいな風貌だった。飄々としていて、一見するとチャーリー・ブラウンがコートに立っているようにも見えた。が、そのメンタル面のコントロールは他のプレーヤーが足許にも及ばないみごとなものだった。いつも淡々と、どちらかといえばセカセカとベースラインに立ち、あっという間にサーブをしてひょいひょいとポイントを取る姿はかっこよかった。フェデラーはアガシとはタイプが違うけれども、冷静さという点では似たようなものがある。

今年からウィンブルドンのセンターコートは開閉式の屋根ができたので、例年のように雨で試合が中断ということはないだろう。フェデラーの牙城にビッグサーバーのロディックがどこまで迫れるのか、決勝が楽しみだ。

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2009年7月 3日 (金)

古典の底力・その12

七夕が近いので「枕草子」で清少納言がなにか七夕について書いていないだろうかと調べてみたら、七段(新日本古典文学大系の章段による)にこんな箇所があった。

七月七日は、くもり暮らして、夕がたは晴(はれ)たる。空に月いとあかく、星の数も見へたる。

七夕の日は、日中は曇り空でだいじょうぶだろうかと気をもませて、星の時刻には晴れるというのが趣がある。空に月が明るく、星の数は減るがはっきりと数えられるのも趣深い。というような内容である。いかにもという感じがする。

最近では夜でも照明の光で明るいため天の河がぼんやりとしか見えない。海や山へ行けば降るような天の河が見えるのかもしれないが、里ではこころもとない。

「伊勢物語」八十二段(章段数は同上大系による)にも七夕を題材にした歌のやりとりがあったなと思ったが、確認してみたらこれは七夕の日の話ではなかった。「天の河」と呼ばれる川のほとりにやってきたところでその川の名前にちなんで歌を詠めと惟喬親王(これたかのみこ)から言われた右馬頭(うまのかみ)在原業平が
   狩り暮らし棚機つ女(たなばたつめ)に宿からむ天の河原に我は来にけり
と詠む。惟喬親王は返しが出来ず、紀有常が代わって
   一年(ひととせ)にひとたび来ます君まてば宿かす人もあらじとぞ思(おもふ)
と返しを詠む。

一日中狩りをして日を暮らし、今夜は棚機さまに宿を借りるとしましょう、幸い私は天の河のほとりに来てしまっているので。いやいや、棚機さまは一年に一度だけ通っていらっしゃる彦星を待っているのですから、その方以外に宿を貸すことはあるまいとおもいますよ。

教科書などにも載る「交野の桜」の一部である。七夕の話ではないが、地名に掛けたしゃれたやりとりになっている。もう少し調べてみると他の古典にもあるのかもしれない。それにしても中国から伝わった織姫と彦星の話が、千年以上も昔から今に至るまでずっと語り継がれているというのが面白い。

季節感が薄れてしまった現代でも、こういう七夕のような年中行事は残しておきたいものの一つである。

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2009年7月 2日 (木)

音楽で英語を

高校時代の友人にビートルズで英語を覚えたという男がいた。

私たちの世代は、いわゆる「ビートルズ世代」ではない。1970年に解散してから聞き始めた世代である。しかし、その友人はビートルズのファンで、ビートルズの歌詞で英語を覚えていた。「歌詞を」のまちがいではなく「歌詞で」である。たとえば知覚動詞の文例といえば、I saw her standing there.が出てくるといった具合に。高校時代、その友人に英語のテストで勝てるものは誰もいなかった。英語の教師でさえ説明のまちがいを指摘されるときがあるくらいの、抜群の英語力だった。

思い出してみると、その友人に限らず洋楽が好きで英語を覚えた人間は結構多かったのではないか。

この時期になると、なぜかカーペンターズの"Rainy Days and Mondays"のワンフレーズが浮かんでくる。Rainy days and Mondays always get me down.という歌詞がカレン・カーペンターのあの声で思い出される。なんだか雨で気が滅入るなあという感触とぴったり重なるからかもしれない。

よく見るとこの文には頻度を表す副詞のalwaysが入っているし、getのこういう使い方があるよという例文にもよさそうだ。alwaysのような頻度を表す副詞の位置はbe動詞・助動詞の後、一般動詞の前と文法書には出ているが、そういう規則を覚える前に歌詞で覚えてしまっているのでgetの前にくるんだっけなと反射的に浮かぶ。

英語は語学という側面があるから、文法のみではなかなか定着しないように思う。今の中高生ならヒップホップやラップの方がピンと来るのかもしれないが、英語への入り口として音楽というのは馬鹿にできないのではないか。それにしてもヒップホップやラップで覚えるとなると速くて大変だろうなあ。カーペンターズやキャロル・キングの歌詞で英語になじめた時代が懐かしい。

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2009年7月 1日 (水)

ものと情報に囲まれて・その2

立川志の輔さんが、落語のまくらでこんな話をしていたことがある。

便利なものに囲まれて自由に使えるようになった時間が増えたはずなのに、あーあ、今日もすることが無くて暇だなあ、なんて言うのを聞いたことがないでしょ。みんな忙しい忙しいって言ってますよね。ご飯だって炊飯ジャーが炊いてくれてるんでしょ?私の実家は富山で、母親は釜でご飯を炊いていました。洗濯だって洗濯板に石鹸を使いごしごしと手で洗っていたんです。朝から晩まで母親は忙しく家族のために立ち働いていたわけですが、ひと言も「忙しい」なんて言わなかった。いや私の母親だけじゃないでしょう。みんなそれぞれが自分の手で何かを「やって」いた。

それにくらべると、機械が何でもやってくれて便利になったけれど、現代の我々には充実感を感じられることがないんじゃないか。志の輔さんはそう言う。便利さに慣れてしまうとそれが当たり前になり、感謝することもなくなってしまう。

確かにそうなのだ。便利なものに慣れていくとそれが無かった頃のことなど想像すら出来なくなる。何かの拍子に、当たり前の環境でなくなって初めてありがたさに気がつく。たとえば、今の日本ではなかなか想像しにくいことだが、数日間から数週間の停電状態になったらどうなるのだろう。家電製品が一切使えない。もちろんそういう事態は災害時くらいしか想定できないので、避難所など発電装置による電気のある場所に行くことになるのだろう。おそらく一斉に携帯の充電を始めるんだろうなと思うといささかゲンナリする。

みんな、楽で便利な暮らしに慣れきってしまったのだ。それが悪いとは言わない。私だって毎日便利なもののお世話になり、楽な毎日を過ごさせてもらっている。子どもの頃に想像していた21世紀の未来世界とはかけ離れているけれど、それでもあの頃とくらべたら、とんでもないくらい進んでしまった世界に生きているなと思う。

しかも、さらにもっと多くをと望む人の方が望まない人より多いのではないか。所有の上に所有を重ねていく。足し算ばかりで引き算がない。だから、本当に必要なのかどうか分からないものや情報ばかりたまっていく。不要なのかもしれないものや情報に圧迫されながら、もっともっと新しいものと情報が欲しいと思ってしまう。

引き算をしていって、本当に必要なものだけに絞っていったら、どれだけ身軽にシンプルに生きられるだろうか。想像はしてみるものの、便利さに慣れてしまった楽をしたい自分は引き算することを頑強に拒みそうだ。

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