夏期講習に入っています
中1・中2の夏期ゼミは29日から、中3の夏期特訓は31日から始めることにしていたが一部の中3生に講習期間中で来られない日があり、29日から早期の講習を受けてもらっている。1・2年は予定通り29日からスタートした。
今年は中1・中2の受講生の中に、基本の基本に戻って説明しなければならない生徒がいないので予定している演習量は十分にこなせそうな気配だ。むしろ不足気味の生徒も出そうな感じだから、補充プリントを増やす必要がありそうだ。
ただ、一見指導がラクに思えるときは要注意で、思わぬ落とし穴が待っていることがある。それぞれの生徒の考え方の「癖」はさまざまなのだから、一括りにしてしまうと個々の差異に目を向けなくなってしまう。できるだけ先入観や固定観念を持たないようにして、それぞれの生徒の頭の働かせ方やこちらの説明の受け取り方を、毎回無心に観察しなければならない。
一斉授業であろうが個別指導であろうが授業は「その時、その場」でしか成立しない「なまもの」なのだと思う。舞台に立つ役者と同じ感覚ではないかと思う。観客の反応を自分の演技にフィードバックさせ、観客を巻き込んである時間を作り上げる。これは授業も同じであろう。「三日やったらやめられない。四日目には冷たくなっている」というのは、五代目古今亭志ん生が噺のまくらで落語家という仕事に触れて言ったものだが、落語家も同じなんだろうな、たぶん。
そういえば志ん生は高座に上がるまでその日どの噺をやるか、まったく決めてなかったらしい。「えー、人というものはおかしなものでして…」とか言いながら寄席に来ている客の反応を見極めていく。今日は落語をよく分かっている客が多いなと思えば、いきなり大ネタを始める。あまり分からない客が多いなと思えば、前座噺のような分かりやすい短い噺でパッと切り上げて高座を降りる。だから音源がのこっている志ん生の噺には、同じ噺でも長短の差が激しいものがある。1時間近くかかるような大ネタでも、客の反応がよくなければ15分で切り上げてしまう。これは相当な技量がなければできない芸当だが、いい加減さの極致でもある。
話がすっかり落語にそれてしまった。何の話をしていたのか。そうそう授業の話だった。要するに授業は、そこにいる生徒と教える自分とのやりとりの中に成り立つものなので、一方通行では「生きた授業」にならないのだろうなと思う。"call and response"というライブコンサートみたいなやりとりがないと、教える方も教えられる方も盛り上がらない。といって「みんな、乗ってるかい?勉強、サイコー!」とかやるわけではない、当たり前の話だが。教えることによって教えられる、相互の刺激があって場と時間が形成されていく。双方向のやりとりが欠かせない。
というわけで、今日もそれぞれの生徒の刺激になるツボを何か一つでも見つけ、こちらも刺激をもらおうと思っている。
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