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2009年6月13日 (土)

日本的感性

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

三好達治の「雪」という詩である。この短い詩が喚起するイメージは奥深い。「太郎」「次郎」は言ってみれば匿名の誰であってもいい。名を持たぬこの国のどこにでもいる民衆の一人一人。いや、それぞれ固有の名はあるものの歴史に名を残さないという意味で「名を持たない」、そういう人々の一人一人だ。

その名もなき民草の住まう家の屋根に、雪がしんしんと降り積もる。雪がしんしんと降り積もる夜。「眠らせ」から夜の情景だろう。夜、窓を開けてしんしんと降り積もる雪をご覧になったことがあるだろうか。音もなく後から後から降りしきる雪。人々の寝静まった寂とした家々の屋根に包み込むように降り積もっていく。

降り積もる雪は、あらゆるものを覆い隠してしまう。昼日中の人々の欲深い視線やさまざまな感情の交錯や罪深さといった全てのものを雪は覆い尽くしてゆく。空から降ってくる雪を眺めながら、後から後から舞い降りてくる雪片の際限もないくり返しに茫然とした思いを抱いたことはないだろうか。いくつもいくつも数え切れない雪片が降りてくる様子は、時間が永遠のくり返しに入ってしまったのかと錯覚させる。それは心地よい眠りに誘い込むような無限のループである。

この雪は家を押しつぶしてしまう脅威としての雪ではない。全ての矛盾や醜さや、その他もろもろのものを包み込んでしまう慈愛に満ちた雪である。一方で、覆い隠された矛盾や醜さやその他もろもろはどうなってしまったんだ、欺瞞ではないのかという声もする。吉野弘の「雪の日に」の一節を思い出す。

雪は 一度 世界を包んでしまうと
そのあと 限りなく降りつづけなければならない。
純白をあとからあとからかさねてゆかないと
雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。
                (吉野弘「雪の日に」 詩集『消息』所載)

三好達治の「雪」は対句の響きが心地よい。日本的あいまいさの心地よさもこの詩にはあるのかもしれない。

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