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2009年6月 7日 (日)

基礎教養の差

地域の歴史を調べていて、つくづく昔の人は基礎教養があったんだなあと感心してしまった。

何の話かというと、昭和初期に発行された「村誌」の復刻版を図書館から借りてきて読んでみたときのこと。執筆したのは当時の村民の方だと思う。ガリ版印刷の三十数頁しかない薄い冊子である。しかし、その文章は格調のある漢文書き下し調の文語文で、しかも内容が的確である。地質解説の冒頭は地学的知識を元にした正確な記述となっている。村の沿革を述べた文章は漢語表現が多用されていて、何度も漢和辞典を引かないと読み方すら分からない箇所もあった。

これが明治の文書なら何の不思議もないのだが、昭和初期でも漢学の基礎教養が十分生きていたのだと納得した。たとえば「れん(「攣」の「手」の部分が「子」である字)生」という語句をご存じだろうか。この村誌を見るまで知らなかったが、「双子」という意味だという。

この他にも難読の漢字や意味の分からない語句が多かった。これらを自在に読み書きし、また理解できる読み手が当時(昭和初期)存在していたのだろうなと思うと、現在のわれわれの教養がいかに低いレベルなのか思い知らされる。

自分が住んでいる地区にある神社の由緒も分かった。用水堰の新設工事と開拓事業が進められていた江戸時代の初期に遡る神社であった。神楽の代表をしているおじいさんから見せてもらった神楽関係の文書の記事と内容的には同じだったが、初見の記事もあり面白かった。

昨年度まで自治会長をしていたとき、神社の例大祭には必ず出席した。うちの自治会は神社のお膝元で、宮司さん一家も自治会員である。例大祭の後には直会(なおらい)という宴会が続く。亡くなった先代の宮司さんが一昨年の直会のあいさつで、この神社は四百年弱の歴史があり、南部侯が参勤交代で江戸から盛岡に戻られるときには必ず休憩された神社だと話していたのを思い出す。その時はそれだけで、他の出席者も私もその話題をくわしく尋ねたりしなかった。おそらくだれもあまり歴史を知っていなかったのではないか。少なくとも私の近くのテーブルでは神社の歴史についての話題は聞こえてこなかった。

単に知らないだけでなく、関心を持たない人もいる。それはそれでよい。しかし、こういう歴史があったと後の世代にきちんと伝えることは必要だ。何を調べたら地元の歴史が分かるか、そういうことも伝えられる人が伝えるべきだと思う。

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