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2009年6月 4日 (木)

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その5

学び舎:どうも。またまた経清さんをゲストにお迎えしております。このシリーズも今回で5回目となります。経清さん、どうぞよろしくお願いします。(「架空対談」の全文はこちら
経清 :こちらこそ。

学び舎:ええと、前回は黄海(きのみ)の戦いのお話でしたね。今日はその後の展開からお聞きしたいのですが。
経清 :わかりました。黄海の戦いがあったのが天喜五年、一〇五七年の旧暦十一月でした。翌康平元年から康平四年、一〇五八年から一〇六一年までの期間はわれわれの思うままに、磐井郡以南の諸郡を勢力下におくことが出来ました。
学び舎:具体的に言うとどういうことでしょう?
経清 :本来官物となるべき租税をわれわれが収奪したわけです。
学び舎:というと、国府の倉庫かなんかを襲撃したんですか。
経清 :いやいや、そのようなことをしたわけではない。きちんと徴税書を用意し、国府に納める分をわれわれに納めてもらったのです。
学び舎:あ、じゃあ納入先が変わっただけで、農民からすると基本的なことは変わらなかった…。
経清 :まあそうなりますね。国府の徴税書には朱印が押してあったから「赤符」と呼ばれていましたが、われわれの徴税書には印が押してないので「白符」と言っていました。農民たちに「赤符」ではなく「白符」に従って納めるよう指示したのです。
学び舎:源頼義将軍は実力でそれを止めようとしなかったのですか。
経清 :止められるのであれば止めたかったでしょうね。しかし、それを可能にする国府軍の軍勢が手許に無い。だからわれわれのすることを黙って見ているしかなかった。口惜しくて歯噛みしていたと思いますよ。

学び舎:国府軍の軍勢がそろわなかったのはなぜですか。
経清 :出羽守がサボった、ということかな。黄海の戦いがあった頃の出羽守は源兼長殿でした。頼義殿は、兼長殿へ出羽に逃げ込んだ農民たちを陸奥へ移送してくれるよう文書で依頼していたようです。ところが兼長殿は移送をしないどころか、朝廷からの指示がないのじゃねえ、といかにもお役人的な態度をとった。このサボりが原因で、兼長殿は出羽守を更迭されたらしいというもっぱらの噂だった。
学び舎:でも任期切れで交替だったのでは、という見方もありますね。
経清 :その辺は私にもわかりかねます。
学び舎:兼長さんの次に任命されたのが、源齊頼(ただより)さん。この方のお父さんと頼義将軍のお父さんがいとこ同士じゃないですか。言ってみれば親戚の人間が出羽守になったようなものですが。
経清 :ところがね、人間関係っていうのは難しい。この齊頼殿も頼義殿にあまり協力的ではなかった。
学び舎:えっ、頼義将軍ってそんなに人望がなかったんですか?性格が悪いとか…。
経清 :まあ、尊大だったのは確かですがね。でも何よりも陸奥国の国力が安倍氏との戦いでどんどん落ちていくのを目にして、隣国の国司としては関わり合いたくなかったのかもしれないな。特に兼長殿は和歌の方は熱心だったが、国司の仕事や戦は関心がなかったみたいだ。齊頼殿も鷹飼がまず優先の人だから、いい鷹の産地に配属されたくらいにしか思っていなかったのかもしれない。

学び舎:康平五年、一〇六二年になると源頼義将軍の陸奥守の任期が終わりますね。
経清 :そう。高階経重(たかしなのつねしげ)殿が下ってきて交替しようとした。
学び舎:ところが、交替できなかった。
経清 :頼義殿が手を回して、新しい国司には協力するなと国府の在庁官人へ命じていたらしい。
学び舎:なんだか姑息ですね。居心地を悪くして追い返そうなんて。
経清 :意地でも戦果をあげずには帰れない。そう思っていたのかもしれない。高階殿は国府の役人たちがだれも自分の言うことを聞いてくれないので、早々に都に立ち帰り朝廷にこの事を報告したようです。

学び舎:頼義将軍が出羽の清原氏に援軍を要請していたのはこの頃ですか。
経清 :たぶん。最初は清原勢も動かず、様子見だったのだが。
学び舎:頼義さんが再三頼み込んだので、重い腰を上げることになったわけですね。
経清 :もともと安倍氏との関係は悪くなかったのだから、清原勢にしてみれば明らかなメリットがないと話には乗れなかったはずです。
学び舎:メリット…ですか。よく英語をご存じで。
経清 :(照れながら)いやあ、この間覚えたばかりで使ってみたかったのですよ、ハハハ。
学び舎:清原武則さんが一万の軍勢を率いて将軍の許にやって来ますね。武則さんの兄の光頼さんが来なかったというのは、清原氏内部に何か確執があったんでしょうか。
経清 :さっきも言ったように清原勢にしてみれば、安倍氏との関係を壊してまで頼義殿につくには大きな見返りが必要だった。おそらく頼義殿から平定後の奥六郡の支配権を約束されたのでしょう。ただ、安倍氏との関係を重視し、頼義殿と手を組まない方がいいと考えていた人間もいたと思う。その辺りで意見の対立があったんじゃないかな。
学び舎:だから、後で安倍正任さんが出羽の清原頼遠さんにかくまってもらったり、正任さんたちの叔父に当たる良昭(りょうしょう)さんも出羽へ逃げたんですね。
経清 :まあ、味方がいないところへは逃げないでしょう、普通。

学び舎:では、次回はその清原氏の軍勢が加わって最初の一戦、小松柵攻防戦が始まるまでの情勢をお伝えしたいと思います。長い時間がありがとうございました、経清さん。
経清 :いえ。では、また。

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コメント

小林先生のこのシリーズも早5回目を迎えましたね。筆のピッチが快活で、先生の思い入れを思いっきり感じることが出来ます(・・・笑い)。
前回の黄海の柵を読んで、一昨日また黄海の柵の辺りを車で回ってきました。水田が青々とし、北上川からそよぐ風が気持ちよかったですね。私の家から車でわずか5分のところに、歴史的な戦の跡があることをなんか不思議に感じますね。

(学びや主人)
コメントありがとうございます。
困ったくらい暇なものでして…。放置しておりました「陸奥話記」現代語訳の解説ページそのものにも少しずつ手をつけております。なんとか今年こそはまとめ上げたいと思っております。

投稿: かねごん | 2009年6月 4日 (木) 10時18分

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