声
何となく潤いが足りないなと思っていた。お肌の話ではない。日常生活の話である。
はて、何が不足しているのだろう。しばらくの間、気がつかなかった。車の中で久しぶりに音楽をかけてみて分かった。そうだ、音楽だ。しかも歌。歌う声が流れていなかったのだ。落語ばかり聞いていたので、「語る」声は聞いてきたが「歌う」声を聞いていなかった。
沢田研二の記事(こちら )でも書いたように、歌の魅力というのは突き詰めると歌い手の「声」の魅力ということになるのではないか。同じ歌をカバーしても耳の底に残り続けるものとそうでないものとがある。好き嫌いは別として、たとえば小田和正の声は流れ出したとたんにその場の空気を変えてしまう。小田和正にしか出せない声であり、その声で伝わってくるものがある。いい曲というとき、メロディラインやリズムもあるのだろうが、声が案外大きなウエイトをしめているのではないだろうか。
小学校高学年のときの音楽の先生が「人間の声が最高の楽器です」と言っていたのを思い出す。単独の楽器の中では一番がピアノ、その次がバイオリン、しかしどちらも人間の声にはかなわないというのがその先生の口癖だった。
声帯が空気を振動させ、声として耳に聞こえてくる。それだけのことなのに、二つとして同じ声がないという不思議。似ている声はあっても全く同じ声はない。ジャンルや男声、女声に関係なく自分の耳に心地よい「声」というものが確かにある。声の波動が自分に合うということなのだろうか。アンジェラ・アキさんの声もいい。毎朝NHKの連続ドラマ「つばさ」のタイトルバックで彼女の声が流れ出すと耳が持っていかれてしまう。
大験セミナーの金田先生の歌う声も、一度耳にしたら忘れられない。初めて聞いたときにゾクゾクしたのを覚えている。もちろん、歌は上手い。しかし、うまさに感動するのではない。上手いだけの人ならいくらでもいると思う。その「声」がじわじわと静かにしみこんでくる人は少ない。どうしてこの人はプロにならなかったんだろう、と不思議でしょうがなかった。
今年の始めに一関の「青空」さんという喫茶店の二階で、金田先生のお座敷ライブが開かれた。そのコンサートの終わりの方で、金田先生が歌った「手紙~拝啓十五の君へ~」はアンジェラ・アキさんのオリジナルと甲乙つけがたい程よかった。カバーする許可をとるのは大変だろうから、公開しない私家版のCDの中に入れていただきたい一曲である。
小田和正にしても沢田研二にしても不思議なことがもう一つある。歳をとっても「声」が変わらないということだ。あれは一体何なんだろう。CMで流れる小田和正の「声」しか知らなかった息子が、ある日小田和正の姿をテレビで見てひと言。「ええ、小田和正ってこんなおじいちゃんだったの?」思わず笑ってしまったが、確かに声は若い。なぜ「声」は歳をとらないのだろう?鍛えているから…、だろうか。
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