« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

2009年5月31日 (日)

何となく潤いが足りないなと思っていた。お肌の話ではない。日常生活の話である。

はて、何が不足しているのだろう。しばらくの間、気がつかなかった。車の中で久しぶりに音楽をかけてみて分かった。そうだ、音楽だ。しかも歌。歌う声が流れていなかったのだ。落語ばかり聞いていたので、「語る」声は聞いてきたが「歌う」声を聞いていなかった。

沢田研二の記事(こちら )でも書いたように、歌の魅力というのは突き詰めると歌い手の「声」の魅力ということになるのではないか。同じ歌をカバーしても耳の底に残り続けるものとそうでないものとがある。好き嫌いは別として、たとえば小田和正の声は流れ出したとたんにその場の空気を変えてしまう。小田和正にしか出せない声であり、その声で伝わってくるものがある。いい曲というとき、メロディラインやリズムもあるのだろうが、声が案外大きなウエイトをしめているのではないだろうか。

小学校高学年のときの音楽の先生が「人間の声が最高の楽器です」と言っていたのを思い出す。単独の楽器の中では一番がピアノ、その次がバイオリン、しかしどちらも人間の声にはかなわないというのがその先生の口癖だった。

声帯が空気を振動させ、声として耳に聞こえてくる。それだけのことなのに、二つとして同じ声がないという不思議。似ている声はあっても全く同じ声はない。ジャンルや男声、女声に関係なく自分の耳に心地よい「声」というものが確かにある。声の波動が自分に合うということなのだろうか。アンジェラ・アキさんの声もいい。毎朝NHKの連続ドラマ「つばさ」のタイトルバックで彼女の声が流れ出すと耳が持っていかれてしまう。

大験セミナーの金田先生の歌う声も、一度耳にしたら忘れられない。初めて聞いたときにゾクゾクしたのを覚えている。もちろん、歌は上手い。しかし、うまさに感動するのではない。上手いだけの人ならいくらでもいると思う。その「声」がじわじわと静かにしみこんでくる人は少ない。どうしてこの人はプロにならなかったんだろう、と不思議でしょうがなかった。

今年の始めに一関の「青空」さんという喫茶店の二階で、金田先生のお座敷ライブが開かれた。そのコンサートの終わりの方で、金田先生が歌った「手紙~拝啓十五の君へ~」はアンジェラ・アキさんのオリジナルと甲乙つけがたい程よかった。カバーする許可をとるのは大変だろうから、公開しない私家版のCDの中に入れていただきたい一曲である。

小田和正にしても沢田研二にしても不思議なことがもう一つある。歳をとっても「声」が変わらないということだ。あれは一体何なんだろう。CMで流れる小田和正の「声」しか知らなかった息子が、ある日小田和正の姿をテレビで見てひと言。「ええ、小田和正ってこんなおじいちゃんだったの?」思わず笑ってしまったが、確かに声は若い。なぜ「声」は歳をとらないのだろう?鍛えているから…、だろうか。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年5月30日 (土)

FCバルセロナとマンチェスター・ユナイテッド

27日(日本時間では28日早朝)の欧州チャンピオンズリーズの決勝は見ごたえがあった。早起きしてテレビ観戦しただけのことはあったなあと思う。

結果は2-0でFCバルセロナの完勝だった。前半の立ち上がり10分まではマンチェスター・ユナイテッドのチャンスが続き、惜しいシュートが何本もあった。C・ロナウドは積極的にゴールを狙い、シュートがはずれると感情をむき出しにして口惜しがった。

これはFCバルセロナの苦戦かと思った矢先の前半10分過ぎ、イニエスタからエトーへ絶妙なタイミングでパスが出るとエトーが相手ディフェンダーをかわしてゴール。これで流れがすっかり変わってしまった。明らかにマンUのディフェンダー陣の動揺が伝わってきた。あのマンUのディフェンダー陣がである。攻撃陣もパスがもらえない。1点を取って落ち着いたバルサのパス回しは速く、足許でピタッと止まりすぐパスが出されていく。マンUの選手はまったくボールを奪うことが出来なくなってしまった。

特に中盤にいるバルセロナのイニエスタとシャビのボールさばきは絶妙だった。二人ともバルサのカンテラ(ユースにあたる組織)出身。バルサの生え抜きである。この二人のパスを受けるリオネル・メッシもすごかった。簡単に相手ディフェンダーをドリブルで抜き、決定的な形を何度も作った。後半の2点目はシャビがあげたクロスをメッシがヘッディングで決めたものだった。メッシは決して身長に恵まれているわけではない。おそらく170センチ弱だが、相手ディフェンダーをかわすジャンプがうまかった。シャビのクロスのタイミングもメッシの動きを予測した正確なものだった。

前半の途中だったろうか、バルセロナのパス回しだけで数分ボールが保持され、マンU相手にパス練習でもしているような時間帯があった。マンチェスターの選手からすれば屈辱以外の何ものでもなかっただろう。フジテレビの解説の風間八宏さんが的確に言っていた。バルセロナは人から人へのパスだから速いパス回しだが、マンチェスターはスペースへパスを出そうとするため探している分だけパスを出すのが遅くなってしまうと。全くその通りで、C・ロナウドや朴智星(パク・チソン)はスペースへ飛び出してチャンスを作ろうとするのだが、パスコースを読まれてしまうことが多かった。

苛立ちが募ってきたマンチェスターの選手にイエローカードが目立ってきた。C・ロナウドは明らかにイライラしていた。なぜ自分たちが優位に立っていないのか。なぜゴールが決まらないのか。そういう苛立ちが少しずつ正確さを奪っていたように見えた。一方のメッシは、目立つ場面もあったがチームの流れの中で個人のレベルの高さを発揮していたように思う。最後までいつものメッシだった。

さらに言えば、最後までいつものバルサのプレイスタイルだった。スペインリーグでいつも見慣れているバルセロナのパスワークであり、攻撃だった。イニエスタ、シャビというバルサの心臓がみごとに機能していた。特にイニエスタは光っていた。こんなにうまい選手に成長するとは。20代のはじめから1部リーグで試合には出ていた。見た目の派手さはないが、技術の高さは群を抜いていた。ポルトガル代表のデコが在籍していたシーズンは、途中出場が多かったが、今ではイニエスタのいないバルセロナは考えられないくらいだ。

マンチェスター・ユナイテッドは対照的に「らしく」なかった。プレミアリーグで見せる圧倒的な攻撃陣の鋭さが活かされなかった。後半にC・ロナウド、ルーニーに加えテベスとベルバトフの四人が前線に並んだ。それでもゴールが遠かった。何度か決定機があったのに決められなかった。ファーガソン監督の失望したような表情が何度も映し出される。プレミアではほとんど見かけない光景だった。

どちらが優勝しても不思議ではないと思っていたが、ふたを開けてみるとバルセロナの圧勝だった。久々に90分集中してサッカーを観たような気がする。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月29日 (金)

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その3

学び舎:「前九年の役」を藤原経清さんととともに振り返る架空対談シリーズの、今日は3回目となります。経清さん、よろしくお願いします。(「架空対談」の全文はこちら
経清 :よろしくお願いします。

学び舎:前回は天喜四年の阿久利川事件とその後の情勢、そして経清さんが安倍氏の許へ逃れるまででした。今回は翌天喜五年、一〇五七年の大きな出来事からお願いします。
経清 :安倍頼時殿が亡くなられた時のことですね?分かりました。どこから話しましょう?
学び舎:ええと、当時の状況からお願いできますか。
経清 :新任の陸奥守が下向したくないとゴネて、源頼義殿再任となったのが前年天喜四年のこと。この間も話したように、兵粮の不足から頼義将軍の許に集まった大軍は自然に離散してしまった。そのため国府側は決定的な戦力を欠き、戦線が膠着してしまったのです。

学び舎:それを何とかしようとして、将軍頼義さんは下毛野興重(しもつけののおきしげ)さんと気仙郡司の金為時(こんのためとき)さんの二人を安倍富忠さんのところへ派遣したわけですね。
経清 :そうです。安倍富忠は馬淵(まべち)川の流域から奥地の都母(つも)を支配する実力者でした。
学び舎:もともとは安倍頼時さんの一族の人だったんでは?
経清 :そうらしいですが、私も詳しいことは知りません。
学び舎:安倍富忠さんが国府側についたのはなぜなんでしょうか。
経清 :これは推測だが、頼義将軍から平定後の奥六郡北部を支配する権限を約束されたのだと思う。

学び舎:この動きを知った安倍頼時さんは、富忠さんの説得に自ら二千騎ほどを率いて向かいますね。
経清 :以前からつきあいはあったわけだし、話せば分かる奴だと頼時殿は言われた。説得して国府側へつくことを思いとどまらせる自信は、おそらくあったのだと思います。
学び舎:それが富忠さんの伏兵にあい、山中で戦となり流れ矢を受けてしまう。
経清 :頼時殿が深手を負ったという知らせはすぐに届いた。鳥海柵で伏せっていると聞き急いで駆けつけましたが、頼時殿は助からなかった。
学び舎:この後、安倍氏は貞任さんを中心に結束していきますが、やはり亡くなった頼時さんの弔い合戦みたいな雰囲気があったんですか?
経清 :それはそうです。貞任殿は一族を束ねる求心力を持っていたし、亡き頼時殿の無念さを晴らすということで、みんなの気持ちも一つになっていた。

学び舎:あのぉ、ひとつ疑問があるんですが。
経清 :何でしょう?
学び舎:国府側に協力した富忠さんて、その後『陸奥話記』に登場しませんよね。富忠さんはどうなったかご存じですか。
経清 :あくまでも噂だからそのつもりで聞いてほしいけど、頼時殿を裏切ったことで支配地域での影響力を失い、出羽の秋田城介を頼っていったという噂が流れました。国府側から恩賞が出なかったことも大きかったようです。

学び舎:では、本日はここまでとして、次回は黄海(きのみ)の戦いについてお聞きしたいと思います。どうもありがとうございました。

*****************************************************

収録後、経清氏が私を呼び止めた。

経清 :実は弱ってるんだよ。
学び舎:どうしたんですか?
経清 :宗任が、なぜおれじゃないんだってうるさいんだ。
学び舎:だって一度、出演交渉して断られましたよ。
経清 :だからあいつは素人だ、と宗任は吠えてる。一度断られたくらいで、ハイそうですかじゃ、物事はうまくいかないだろうって。
学び舎:ええーっ、今ごろそんなこと言われても困りますよ。
経清 :だよね。あいつホントは出たがりだからさ。
学び舎:じゃあ、出演は検討してみますけど、次回に宗任さんの出番はないと思いますのでよろしく伝えて下さい。

あくまで、「架空」の話です。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月28日 (木)

PCいじりは嫌いではありません

自宅で私が使っているPCは、もう十年選手である。OSも古いまま。一度も再インストールすることなく働いてくれている。

しかし、このところ挙動不審である。いや、このところではない。この1、2年挙動不審なのだが、だましだまし使ってきた。フリーズしてAlt+Ctrl+Delのチョン、チョンで再起動できないとき電源長押しで乗り切ったことも一度ならずある。ブルーバックの画面はおなじみになっていた。つい最近、まずいなあと思い始めたのはフリーズ後の再起動時に、レジストリチェッカーが働き始め「レジストリの修復をします」が出るようになったからだ。

レジストリが壊れ始めているということは、そろそろディスクもあやしいということだ。いつクラッシュしてもおかしくない。他のPCでディスククラッシュは三回ほど経験している。あれは何度経験しても慣れない。ある日突然カランカランというかカチンカチンという金属音が聞こえてきて、画面が真っ黒なまま英語のエラー表示のみとなったときのいやあな感じはたまらない。

その後の修復作業やらバックアップデータの書き戻しやら、とにかく大変だった。というわけで、本格的な対策をしようと考えている。まずはマスタードライブを別のディスクに替える。教室に現在使用していない古いPCが1台あり、中のメモリとディスクを取り出した。ドライバ1本で簡単にばらせるのはありがたい。

このディスクも実は交換したものだ。その作業は私が自分でしたのでよく覚えている。国内某メーカーのPCなのだが、最初に載っていたハードディスクには仰々しい警告文が添付されていた。「このディスクを取り外さないでください。保証対象外となります。」えっ?じゃあ、ディスククラッシュしただけでPCごと買い換えろってこと?そんな無茶苦茶な。というわけで、あっさり新しく買ってきたディスクに交換。OSをインストールすると、サクサク動いてくれて一件落着した代物である。なぜ、ユーザーにこういう簡単な修復作業をためらわせるような警告文を添付しているのだろう。

以後それほど使われず放置してあったPCである。時々電源を入れていたので、おそらくディスクは大丈夫だと思う。あとはOSのインストールとドライバ関係がうまく入ってくれれば、なんとかなる。その他の各種設定に時間がかかりそうだ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月27日 (水)

頂上対決

欧州チャンピオンズリーグの決勝が27日(日本時間では28日早朝)に行われる。

今年の決勝はイングランド、プレミアリーグで優勝したマンチェスター・ユナイテッドとスペイン、リーガエスパニョーラで優勝のFCバルセロナの対決という夢のような組み合わせ。一番の注目は、マンチェスターのC・ロナウドとバルセロナのメッシがどれだけ活躍するかだろ。

どちらも高速ドリブラーであり、相手ディフェンダーをおちょくるかのようにヒョイヒョイと抜いてゴールに向かう姿は感動的ですらある。とにかくゴールに向かうことしかどちらも意識していない。だから決定的なチャンスをつくり出すことができる。相手チームからすると一番にマークしなければならない選手だろう。しかし、二人に対するマークがきつくなる分、他の選手がフリーでボールを受けられるチャンスも増える。

現役のサッカー選手の中で今が旬の二人である。どちらかというと闘志むき出しのC・ロナウドより落ち着いたメッシの方が好きなのだが、どちらも注目したい。

もちろん両チームとも、この二人だけが素晴らしいわけではない。マンチェスター・ユナイテッドでは、ルーニーや朴智星(パク・チソン)、テベスにベルバトフもいるし、忘れてはいけないギグス。ギグスのドリブルも観たいなあ。バルセロナでは、アンリやエトーというベテランのフォワードがいるし若いボージャンにもチャンスがあるといい。イニエスタやシャビの二人はバルセロナには欠かせない中盤の選手だ。特にイニエスタは決勝に復帰できそうで安心した。派手さはないのでサッカーファンでない方にはなじみが薄いかもしれないが、いい選手である。

バルセロナの右サイドバックのダニエウ・アウベスが出場停止で出られないのは残念だ。セビリア時代から注目していたが、いかにも悪そうな(見た目です、あくまで)雰囲気を発散し、ここぞというところで一発決めてくれる勝負強さにはしびれる。決勝で観たかったなあ、残念。

勝敗は、はっきり言ってどちらでもいい。どちらが勝っても納得すると思う。この二強が激突する試合そのものが楽しみでしょうがない。テレビでの中継は日本時間の28日早朝、フジテレビ系列で午前3時半頃からのようだ。どうしようかな。早寝早起きで観るか。それともビデオに録ってみるか。でもなあ、ビデオだと結果がわかってから観ることになるかもしれないしなあ。ここはやはり、頑張って早起きするしかないようだ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月26日 (火)

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その2

学び舎:ええ、今日も藤原経清さんをお迎えして、「前九年の役」を振り返ってみたいと思います。経清さん、本日もよろしくお願いします。(「架空対談」の全文はこちら
経清 :こちらこそ。

学び舎:今回は、陸奥守として下ってきた源頼義さんの任期が終わる天喜四年、一〇五六年の話をうかがいます。まず、頼義さんは何をしに奥六郡にやってきたんですか。
経清 :源頼義殿は陸奥守と鎮守府将軍を兼ねていた。鎮守府将軍として胆沢城の鎮守府に来て府務を行うという仕事があったのです。
学び舎:そのころすでに胆沢城の鎮守府は建物が残っていなかったという話もありますが、どうなんですか?
経清 :確か、なかったはず。鎮守府の建物はなくとも、奥六郡内を巡察すればよいだけのことだから十分に府務は行えたのです。
学び舎:安倍頼時さん、あ、もうこの時はとっくに名前が頼時さんに変わってたんですよね。
経清 :源頼義殿が下ってこられた折に、将軍と同じ読みの「頼良」ではおそれ多いと「頼時」に改められた。
学び舎:それで、その安倍頼時さんは鎮守府の業務を果たしに来た頼義さんの一行を歓待して、土産物まで持たせてますが。
経清 :もう任期が終わるし、このまま都へ帰ってくれれば何事もなく平穏に済むわけだから、少しくらいの出費は痛くもなかったのでしょう。

学び舎:それが、国府多賀城へ帰る途中、権守(ごんのかみ)藤原説貞(ときさだ)さんのご子息たちが安倍貞任さんに夜襲されるという事件が起こる。阿久利川(あくとがわ)事件ですね。
経清 :この事件は真相が分からない。説貞殿の息子たち、光貞や元貞たちがでっち上げたという話もあったし、頼義将軍配下がひそかに企てた謀略だという説も流れたが、案外貞任殿が実際に襲ったのかもしれません。六郡の巡回中に供をした貞任殿を光貞や元貞たちがさんざんからかったという話が聞こえてきましたから。
学び舎:ああ、貞任さんが光貞さんたちの妹を嫁に取りたいと申し出てことわられた話ですか。家柄が違うとかって許されなかった…。
経清 :もともと権守の説貞殿は安倍頼時殿のことをよく思っておりませんでしたし、光貞たちもネチネチと以前のことを蒸し返して貞任殿に恥をかかせたのでしょう。

学び舎:この事件のことが将軍頼義さんの耳に入り、貞任さんの召喚となるわけですが、安倍頼時さんは息子の貞任さんをかばう肚をくくり、一族を集めて貞任さんを守るため戦うことを告げています。よく思い切ったものだという気がするのですが。
経清 :それほど簡単には敗れないという自信があったのです。何といっても奥六郡は相当広い範囲ですし、そこから集められる強兵の力はあなどりがたいものでした。戦線が膠着すれば、そのうち源頼義殿の任期が切れる。いつまでも戦が続くわけではない。そう読んでいたところもあったはずです。
学び舎:でも、このとき坂東の兵(つわもの)たちが軍勢を率いて続々と頼義さんの許に集まってきますね。伊具郡の平永衡さんや亘理郡の経清さんたちも将軍の麾下(きか)に馳せなければならなかった。
経清 :これはやむを得ぬ選択でした。坂東の軍勢が陸続と押し掛けてきた状況では、われわれが将軍に反旗をひるがえしてもすぐに鎮圧されてしまったでしょう。ここは将軍の許に参じ国府側についていないと、血祭りに上げられてしまう可能性の方が高かったのです。

学び舎:実際、平永衡さんは将軍の側近に疑いをかけられて斬られていますけど、なぜまた永衡さんはわざわざ目立つような銀の兜なんかかぶってたんですか?
経清 :永衡殿は見かけをたいそう気にされる方で、銀の兜もお気に入りのものでした。ふつうの兜にしておれば、疑いもかけられなかったのだけど。あの兜のせいで敵方に内通し、いざというときに自分が射られないための目印だなどと讒言(ざんげん)されてしまったのです。どのみちわれわれの立場は早晩難しい位置になっていったでしょうが、永衡殿が斬られたことで私も安倍氏の許へ逃れる覚悟ができました。
学び舎:安倍氏の軽騎が将軍たちの出払った多賀城を襲うと流言を広め、混乱に乗じて安倍方へ逃げたんでしたっけ?
経清 :どうだろうかと効果を危ぶんだのだが、思った以上にうまくいった。

学び舎:このあと、数万に膨れ上がったと言われる将軍麾下の大軍が雲散霧消してしまいますが、なぜなんですか?
経清 :どうも兵粮が十分ではなかったようだ。諸国からの兵粮が集まらず、腹を空かせた軍勢が離脱していき、立て直しを図らないわけにはいかなくなったのです。
学び舎:なるほど。では、本日はここまでといたします。また次回をお楽しみに。経清さん、どうもありがとうございました。
経清 :こちらこそ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年5月25日 (月)

沢田研二

先日、長谷川和彦の新作映画が見たいという記事を書いた(こちら)。その日のアクセスはいつもより多かった。アクセスログを見て驚いた。キーワード「沢田研二」で入ってくる人と「水谷豊」で入ってくる人が多かったのだ。沢田研二3に対し水谷豊1くらいの割合になっている。

うーむ。一体どの年齢層の方々なのだろう。「ジュリー」ファンなのだろうか。と言っても、若い人は「ジュリーって、だれ?」かもしれない。沢田研二がタイガースというグループのボーカルだった頃からの愛称である。ソロで活動するようになってからも沢田研二は、ヒットチャートのトップにいた。TBSの「ザ・ベストテン」という音楽番組でも何度1位を取ったかわからない。

長谷川和彦が監督した『太陽を盗んだ男』もそうだが、役者としての沢田研二も忘れがたい印象を残している。たとえば3億円事件の犯人を主人公にしたテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(ちなみに阿久悠・上村一夫の原作で、脚本はなんと長谷川和彦)。NHKの単発ドラマスペシャル、『幸福な市民』の主人公もよかった。おすぎは酷評していたが、『太陽を盗んだ男』の高校教師役は悪くなかったと思う。あの頃沢田研二以外にあの役をこなせたと思える役者は浮かんでこない。どの役を演じても存在感があった。

ついこの間、たまたまつけたテレビで「今の」沢田研二のコンサートを目にした。少し太ったのではないかと思ったが、声は変わっていない。さすがである。その中で憲法九条のことを歌った曲があった。自身が作詞した「我が窮状」という曲である。沢田研二が憲法九条についての歌を歌っているらしい、ということは耳にしていた。正直に言って、ヒットする曲とは思えなかった。が、しかし。あの沢田研二の「声」で歌われると不思議に耳の底に残る。これは沢田研二をリアルタイムで聞いたことがある世代だからそう思うのだろうか。若い人たちが聞いても同じように耳に残る「声」なのだろうか。

もし沢田研二が本気で今の音楽シーンに戻ってくることを考えたら、案外今の若い人たちにも、あの「声」が届くのではないかという気がする。テレビの映像で見た限りでは、あのコンサートはかつてのファンに向けたものでしかないと感じた。つまり本気でもう一度チャートのトップを取るような音楽活動を目指したものではないなと思った。しかし、本気で考えたらおそらく今の時代を歌える実力は十分すぎるくらい持ったボーカリストなのだ。たとえば小田和正や井上陽水、亡くなった忌野清志郎が今という時代に届く「声」を持っているのと同じように沢田研二の「声」には耳の底に残り続ける魅力がある。

いい曲と才能のある若いプロデューサーに出会えば、まだまだ世代を越えて共感されるヒットが生まれる可能性があるのではないか。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月24日 (日)

感染拡大の影響?

土曜日、奥州市水沢区の図書館に立ち寄って驚いた。

いつもの土曜なら混雑しているはずの図書館が、やけに人が少ない。新聞や雑誌を読む人もまばら、窓際のソファーで本を読んでいる常連さんたちもいない。これはもしかして新型インフルエンザの感染拡大の影響?

たしかに見渡すと、カウンターの向こうにいる職員の半数はマスクをつけている。閲覧室にいる利用者の三分の一くらいがマスク着用だ。えっ?水沢どころか県内にはまだ感染者がいないのに?人ごみを避けて家にこもる人が増えたのだろうか。

水沢区内の小学校がこの日運動会だったので、そちらへ人が集まり図書館は閑散としていたのだろう。それにしても時期が時期だけに、今週に入って人々の日常行動にも影響を与え始めたのかと思ってしまった。

以前、マスクがドラッグストアで売り切れていると書いたが、これで実際に感染者が出たらどうなるのだろう。その後、新聞やテレビで盛んに報道されるようになったが、マスクの予防的効果は疑問だそうである。感染者や感染者の家族が飛沫をとばさないための効果は期待できるが、予防には手洗いやうがいの方が有効だという。欧米諸国ではマスク姿が少ないのも、予防的効果に期待していないかららしい。石油ショックのときのトイレットペーパー品切れ騒動と同じではないかと指摘する記事もあった。冷静な判断が必要なようだ。

新型といっても弱毒性のインフルエンザであり、通常流行するインフルエンザと基本的にはそう大差ない症状しか出ていないのだから、むやみに騒ぐ必要はないのかもしれない。具体的にどう行動すればよいのか、何を制限し、何を制限しなくてもよいのか、政府もマスコミも的確な情報を流し続けるべきでないかと思う。正確な情報が不足し始めると、流言に惑わされる人が増えてくる。新型ではあるが、タミフルなど既存の薬で十分回復できるとか、症状は深刻化しないとか専門家から広報してもらいたいものである。

戒厳令が降りた町みたいになるのはごめんだな。

追記 : 20:30   2009.05.24(Sun)
やはり私の杞憂だった。補習授業の合間に図書館をのぞいてみると、駐車場は満杯だった。中まで入らなかったが、たぶん普段通りの利用者数になっているのだろう。通称「Zホール」の奥州市文化会館も、何の催し物があるのだろう、駐車場が満車状態だ。

昨日は、小学校の運動会に人が吸収されたということなのだ。安心した。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月23日 (土)

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その1

学び舎:どうも、みなさんお久しぶりです。源俊房卿をゲストにお迎えして以来絶えて久しい「架空対談」のコーナーです。本日は、あの藤原経清氏をお招きし「前九年の役」の全貌に迫るシリーズの第1回となります。藤原さん、どうぞこちらへ。
経清 :どうも。
学び舎:うわっ、なんだか渡哲也みたいで渋いですねぇ。あのぉ、藤原さんとお呼びした方がいいんでしょうか、それとも経清さんの方が…。
経清 :どちらでも、お好きなように。       (「架空対談」の全文はこちら

学び舎:恐縮です。では、さっそくですが、経清さんを簡単にご紹介させていただきます。ええと、俵藤太藤原秀郷の末流で、お父さんは下総国住人藤原頼遠さん。世間一般には奥州藤原氏の祖、初代藤原清衡の父上とご紹介した方が分かりやすいかもしれません。あのぉ、安倍氏の娘さんと結婚されたんですよね?
経清 :そうです。三人姉妹の一番上が私の妻になり、二番目が平永衡殿の妻となりました。
学び舎:奥さんのお名前は、何という…
経清 :それが私にも分からない。(爆笑)
学び舎:えっ、やはりそうなんですか?
経清 :(真顔で)記録に残っていないからね。
学び舎:でも、『吾妻鏡』には三人のお名前らしきものが載ってますけど。
経清 :『吾妻鏡』だけでしょ。他の資料に残ってますか?『吾妻鏡』に出ている内容は前九年の役から相当時代が下ったころの話だから、確実にそうだったとは言い切れない。

学び舎:なるほど。今、平永衡さんのお名前が出ましたけど、永衡さんは前の陸奥守藤原登任(なりとう)さんと一緒に下ってきたんですよね?
経清 :そうです。彼は登任に従って陸奥まで来たけれども、安倍側につくことにした。
学び舎:それは、奥六郡といわれた今の岩手県中央部を安倍氏が支配している現実を目にしたからですか?
経清 :そうだろう。予想外に安倍氏の勢力が大きかったからな。永衡殿は伊具郡、私は亘理郡を領していた。われわれ二人が安倍氏の婿になるということがどういうことを意味するか、分かりますか?
学び舎:陸奥国府のあった多賀城を南北からはさむ形になりますね。
経清 :そういうこと。北から安倍氏が国府方面に向けて勢力範囲を南下させ、南からわれわれ婿たちが国府の背後をつくとどうなるか想像できるでしょ。登任が鬼切部を攻めようと軍を起こしたのは、安倍氏が南下する際の拠点となる鬼切部を早いうちにつぶしておきたいと考えたからだろう。
学び舎:鬼切部というのは今の鬼首のことですか?
経清 :今はそう呼ばれているようですね。
学び舎:永承六年、一〇五一年ですね。国守の登任さんは秋田城介の平重成さんを誘ってますけど、これは何かあるんですか?
経清 :何かあるから来たんでしょう。登任が平重成の伯母を妻にしているという噂もあった。あくまでも噂だから定かではないが。そういう姻戚関係に加えて、重成が余五将軍維茂の息子だという兵(つわもの)の家の習いで、勢力拡張できる機会を利用しようという肚があったのだと思う。

学び舎:なるほど。でも安倍側が勝ってしまうわけですね。その結果、新しい陸奥守として源頼義さんが乗り込んでくる。
経清 :そういうことです。
学び舎:あのぉ、源頼義さんって本当に武略のある将軍だったんですか?この後の戦いを見ているとどうもそう思えないんですけど。
経清 :(フッフッという笑い)まあ、出羽の清原勢が駆けつけるまで、われわれにやられっぱなしだったからね、そう思うのも分からないではないですが。それでも当時源頼義殿といえば、武勲に輝く威光を備えておられた。何と言っても、坂東で平忠常の乱が起きたとき、父親の源頼信殿が出馬しただけでたちまち事態が収まってしまうくらいだった。だから、息子の頼義殿も同じように見られていたというところがあるのですよ。
学び舎:うまい具合に上東門院彰子さんの病気平癒を祈願する大赦が行われて、安倍氏も許されていますが。
経清 :国守と戦ったということは、朝廷に弓を引いたことになるのだが、ちょうどよく大赦が出ましてね、この時を逃さず頼義殿へ恭順の意を示したわけです。
学び舎:もしかして経清さんや永衡さんが安倍頼良さんに勧めたんじゃないですか?このタイミングを逃すと責めを負うことになりますよとか何とか言って。
経清 :まあ、ご想像におまかせします。

学び舎:では、次回は源頼義さんの陸奥守の任期が終わる天喜四年、一〇五六年の話をうかがいますので、またよろしくお願いします。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月22日 (金)

父親と息子の会話

先日、大験セミナーの金田先生のブログに息子さんのことを書いた記事が載っていた。(こちら )

ビル・エバンスのCDを聞きながら、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の話ができるなんて何と素敵な父子関係ではないか、とうらやましく思ってしまった。

実はうちの息子も金田先生の下のお子さんと同学年である。息子はほとんど本を読まないし、音楽も聴かない。コミック本とテレビのクイズ番組はよく見る。そしてプロ野球に、はまっている。

以前書いたことがあるが、彼は楽天のファンである。セ・リーグでは広島。楽天は今シーズンこそ交流戦前で2位だが、なぜ万年Bグループの下位球団ファンなのか。野村監督のボヤキが楽しみだという。いつもスポーツニュースの始まる時間までは必ず起きていて、野村監督のボヤキが流れないか期待している。

私は阪神ファンである。しかし、熱心なファンではないので現在の投手陣がどうなっているのかさえ把握していない。下柳が投げて藤川が押さえてくれればいいなくらいのものである。打者だって金本が一発打ってくれないかと願うくらいのもの。かえって真弓監督の姿を見ると、ああ懐かしいなあと思う。阪神もかつては最下位が定位置で、万年Bグループの時代があった。いつも負けが多いと、今日もまた負けかとハラハラする感じがなかった。

うちの父親はアンチ巨人だった。今はあまり熱心にプロ野球を見ているわけではないので、どうなのか聞いてみたことはない。とにかく以前は、巨人が負けると機嫌がよかった。どうも我が家は、代々弱小チーム好きのようである。

したがって私と息子の間の会話はもっぱら、プロ野球の結果がどうなったか明日の楽天の先発は誰か、ノムさんは何とコメントしていたかなどという話題になっている。まちがっても小説の話題でやりとりするなんてことはない。夏休みの読書感想文の宿題が出たときに、「なんか短くて感想文書きやすい本ないの?」と聞かれるのがオチである。もう少し本を読んでほしいものだ。ああ、そうか。プロ野球に関連した本を教えてやればいいかもしれない。少しは身を入れて読むだろう。

まあそれはそれとして、すでに始まっている交流戦の楽天・巨人戦で田中対坂本の同級生対決が実現しないものかと父子ともども考えている。今日の試合はローテーションからいっても田中の登板はないと思う。うまく対戦機会が回ってきてほしいものだ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年5月21日 (木)

読書メモ・5月

1 『教えることの復権』、大村はま/苅谷剛彦・夏子、ちくま新書、2003年
2 『「わかりやすい表現」の技術』、藤沢晃治、ブルーバックス(講談社)、1999年
3 『図で考える人は仕事ができる』、久恒啓一、日経ビジネス人文庫、2005年
4 『江戸の古地図で東京を歩く本』、ロム・インターナショナル編、河出書房新社、2008年

1の「単元学習」と呼ばれた大村はまさんの国語指導は現在どういう捉え方をされているのだろう。中学時代にその国語教室で学んだ苅谷夏子さんが、「教える」ということをとらえ直すために、かつての国語教師と対話する。その対話の中で、国語という教科を通じていかに考える力をつけることができたのか明らかにしていく。
塾の中で直接大村単元学習を取り入れることは難しいかもしれない。しかし、学校の現場であれば条件さえ整えば可能ではないかと思った。ただ、一方で大村はまさんだからできた授業であり、他の教師が真似してもうまくいかない部分があるのではないかという感想も持った。それほどこの「単元学習」は、大村さんの使命感と教えることへの貪欲な探求心が形を取ったものである。その方法論とエッセンスは学び取れるだろう。が、効果が同じように出るかどうかは分からない。

2はブルーバックスのロングセラーである。藤沢氏のシリーズのお世話になっている方も多いのではないだろうか。本書「分かりやすい表現」では、案内板やマニュアル、指示書などに見かける「分かりにくい」表現を、どうあらためればいいか具体的に示したものである。
笑ってしまったが、高速道路の道路案内図の例は紛らわしく、わかりにくいことこの上なかった。瞬時に判断できない。判断に迷ってしまう。そういう事態を招くような案内図になっている。
「ユーザビリティ」という言葉がある。使い勝手とでも訳せばいいのか。使う側の立場に立って考えていない表現はわかりにくい。これは笑ってばかりもいられない。物事を教える立場というのも同じように教えられる側にとってどうかを考えないと「分かりやすい」説明にはならない。

3は先日も紹介した「図解」による読解と説明の入門編ともいうべき一冊。著者の久恒氏は現多摩大学教授。図で理解することがいかによりよい理解につながるか、実例を挙げながら詳述されている。
「分かる」ということは2の藤沢氏のシリーズによれば、情報が脳内関所と呼ぶべき関門をすばやく通過し、図書館にあたる脳内整理棚にうまく収まることなのだそうだ。つまり適当な小ささの情報で、分類しやすい加工がしてあれば「分かりやすい」となるようだ。
「図解」はまさにこの条件にあてはまる。図示する場合、細部にとらわれず簡略化して大枠で関係を示す。これによって把握しやすく分類しやすくなるのだろう。
「図解」では詳細が伝わらない、大雑把すぎて議論の役に立たない、微妙なニュアンスがこぼれてしまう。こういう批判もあるようだ。しかし、著者はこれに対し、「図解」と「文書」の併用という形で解消できると述べる。場合に応じて使い分けすればいいということなのだろう。

4は例によって落語関連。本当は古地図ライブラリー別冊の『切絵図・現代図で歩く 江戸東京散歩』という人文社の本を見たかったのだが、入手できなかった。しかし本書でも切絵図がふんだんに使われていて江戸の町をしのぶことができる。
ルーペで見ないと細部が分からない切絵図も多い。それでも切絵図に書き込まれた武家屋敷や寺社の名前をぼんやりと眺めているだけで、あれこれと想像に遊ぶことができる。地図を「読む」ことがお好きな方にはおすすめの一冊。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月20日 (水)

長谷川和彦の新作を

沢田研二を主演に、長谷川和彦が『太陽を盗んだ男』を撮ったのは今からちょうど30年前の1979年である。監督第1作の『青春の殺人者』を観て衝撃を受け、『太陽を盗んだ男』が公開されたときはすぐ映画館に行った。

今の若い映画ファンは、長谷川和彦と聞いてもピンと来ないかもしれない。無理もない。若くして才能を期待されながら、この2作品しか監督していないのだから。どれほどすごい監督だったか、もしレンタルされているのであれば自分の目で確かめてみてほしい。

初監督作の『青春の殺人者』は、中上健次の『邪淫』を原作にした映画だった。水谷豊と原田美枝子が主演。どちらも若かったなあ。水谷豊は今では「相棒」シリーズの役柄イメージが定着している。しかし、この映画の頃は日本テレビの「傷だらけの天使」で「あにきー」と言いながら萩原健一にくっついていくチンピラのイメージだった。若くてつっぱっている活きのいい兄ちゃん。そんな感じだった。原田美枝子もまだ10代なのに、すでに大女優の片鱗をうかがわせていた。二人ともこの作品でキネマ旬報の主演賞を受賞しているのではなかったか。

たぶんラストシーンだと思うのだが、水谷豊の演じる主人公がトラックの荷台で幌にぶら下がるようなかっこうでぼんやりとこちらに視線を向けてくるところが印象に残っている。バックで流れている音楽はゴダイゴだった。

ATG作品だったんだ、そういえば。Art Theater Guild略してATG。大きな映画会社には作れないような印象的な映画が多かったなあ。学生の頃、オールナイトのATG祭と銘打たれた上映会で5本くらいまとめて観たこともある。寺山修司の『田園に死す』や梶芽衣子がお初、宇崎竜童が徳兵衛を演じた増村保造の『曽根崎心中』などだったと思う。

第二作にして今のところ最後の監督作品である『太陽を盗んだ男』は、キティ・フィルム制作、東宝配給作品。沢田研二が主人公の高校教師役。菅原文太が刑事、池上季実子がラジオのパーソナリティという役で登場していた。

何といっても、東海村からプルトニウムを盗み出し原子爆弾を作ってしまう高校教師というストーリーがすごかった。原子爆弾が完成したとき、ボブ・マーリーの曲をバックに主人公が踊るシーンも印象的だった。個人が原子爆弾を手に政府にあれこれ要求を出していくという設定は、無茶苦茶な気もするが、その後の自己中心的な個人の出現を早くも先取りしていたといえるのではないか。

ナイトゲームの野球中継を最後まで見せろとか、ローリング・ストーンズの日本公演を実現しろとか政府に突きつける要求はあまりにも個人的要求で笑ってしまう。しかし、実はこれこそがこの映画の眼目で、政府と対峙して脅迫できる力を持ったのに要求は個人的なレベルを越えることが出来ないというアンバランス。「お前は一体何がしたいんだ」という問いかけが、観念的映像シーンでくり返し示される。何と言えばいいのか。ドストエフスキーの小説を現代化したみたいな、観念的な側面がこの映画にはある。だから魅力的だったのかもしれない。

この作品が公開された1979年の初冬に、仙台で映画祭があった。ゲストとして呼ばれたおすぎが「おもしろかったんだけど、沢田研二があの役やるってのはねえ、もっと知的なイメージの人がやらなきゃ」と毒舌をふるっていたのを思い出す。

長谷川和彦は、その後プロデューサーとして石井聰亙(そうご)監督『逆噴射家族』を制作するが、自身の監督作品はない。長谷川和彦の新作を観たいと願っている映画ファンは、おそらく全国に相当数いると思う。無茶苦茶なんだけどエネルギーの塊のような映画が日本映画でも可能なのだ、と長谷川映画は示してくれる。どうにかもう一度メガホンをとって新作を見せてほしいものである。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月19日 (火)

感染拡大

新型インフルエンザの感染が神戸、大阪で拡大している。

空港での水際作戦というものは、どうも最初から100%の防御を目指していたものではないようだ。感染拡大の時期を少しでも遅らせるための措置だったのだろう。潜伏期間が一週間ほどあるようだから、国内へのウィルス侵入を完全に防ぐのは不可能なことだったのかもしれない。

このインフルエンザによる感染者が出る前、空港での検疫が強化されたというニュースを見ながら筒井康隆の「コレラ」を思い出していた。下ネタ満載なので詳述しないが、厳重な警戒にも関わらず、東京でコレラが蔓延していく様子をブラックユーモアとともに描いていた。

人から人への感染だから、昔のように接触する範囲が限られ、移動する範囲が狭い場合には拡大までの時間が相当かかっただろう。ところが、現代では移動手段が多様化しており、短時間で長距離を移動できることから拡大までの時間的余裕も少なくなっているのかもしれない。人口の集中した都市圏で感染が拡大し始めたということは、全国どこでも感染者が出る可能性がある。

今回の新型インフルエンザは比較的若年層の感染者が多い。仮に地区内の小・中・高の休校が始まった場合、当教室も同様に休講期間にしようかと考えている。電話やファクスを利用したフォローは実施するつもりである。どうしても直接来ることを希望する場合は熱がないことを確認し、念のためマスクをすることを条件にしたい。

そのマスクであるが、新聞等で報じられているように品薄のようだ。どこの店に行っても売り切れ状態である。マスクの棚だけ空で、「いつ入荷するか分かりません」の紙。この状態で新型インフルエンザの感染者が近くに現れたら、大きな騒ぎになるのではないか。少なくともマスクを巡って客と店との間に相当のトラブルが予想される。メーカーも増産に取り組んでいるのだろうが、予想外に広がり方が早く、生産が追いつかないのかもしれない。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月18日 (月)

新聞記事に見える明日

経済危機が叫ばれ、県内の工場も閉鎖や一時帰休の話題ばかりで、明るい希望の持てる話が少ない。

その中で数日前の新聞で見かけた記事が目を引いた。一つはバイオエタノール実用化に向けた県の取り組みを伝える記事である。

 クリーンエネルギーとして期待されるガソリン代替燃料のバイオエタノールの実用化を目指し、県は十四日、奥州市胆沢区で超多収米現地実証圃の田植えを行った。実用化に不可欠な原料用米の超低コスト生産に向けた二年目の取り組み。最大目標の十アール当たり八百キロの収穫を目指して栽培実証を進める。

 県が二十年度から三カ年計画で取り組む、「いわてバイオエネルギー利活用促進事業」の一環。同区小山の菅原千秋さん方の実証圃(広さ四十二アール)で、県オリジナル品種「つぶゆたか」(旧岩南29号)を田植機で移植した。
 同品種は非食用で寒さや病害虫に強く、倒伏しにくい特徴を持つ。(中略)隣接圃場に作付けした初年度は、地力に合わせて三回追肥したが、収穫はひとめぼれの約1.2倍に当たる同五百八十九キロだった。
(岩手日日新聞 2009.5.15)

文中最後の「ひとめぼれ」は岩手でよく栽培されている米の銘柄。県の予定では茎葉からエタノールを生産することを考えているようだ。同じような試みは秋田県で早くから進められていて、今年度は本格的なバイオエタノールの生産に入るという話を耳にしたことがある。岩手でもやればいいのに、と思っていたのだが、取り組み始めたわけだ。

休耕田の活用にもなるだろうし、米ではなくバイオエタノールのための稲の栽培となれば原料としての稲になるわけだから、これまでの米作りとはまったく異なる角度から稲の生産に取り組めるのではないだろうか。

もう一つは、北上高地が「国際リニアコアライダー(ILC)」の国内有力候補に挙げられているということに関連した記事。

 宇宙誕生の謎を解き明かす研究施設として世界に一カ所だけ建設される国際リニアコアライダー(ILC)で本県の北上高地が国内有力候補地に挙げられる中、奥州市で六月六日、国際経済政策調査会主催の第五十七回加速器科学研究会が開催される。建設されれば研究都市構築や莫大な経済効果が見込まれるだけに、関係者の関心は非常に高い。(中略)
 ILCは光速の電子と陽電子を衝突させたときに発生する現象を観測し、質量の起源や宇宙誕生の謎を解明するための研究施設。最先端技術の研究開発や新産業創出の可能性も秘めており、国内外の素粒子物理研究者から注目を集めている。
 建設には強固な岩盤に覆われた三十一~五十キロの直線トンネルが必要となるため、奥州市や一関市を含む「北上高地」は国内有力候補地の一つに挙げられている。
(岩手日日 2009.5.16)

これはまた想像を超えた話だ。仮に世界に一カ所だけの施設が出来たとすると、確かに経済効果は大きいだろう。企業誘致などよりはるかに期待が持てるのかもしれない。

どうなっていくのかは分からないが、少なくとも明るい見通しが生まれるような話である。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月17日 (日)

二つの問い

久恒啓一氏の『図で考える人は仕事ができる』(日経ビジネス人文庫、2005年)に、興味深い一節があった。

 さて、就職試験で企業の側から聞かれることは二つしかないと思います。一つは「あなたは今まで何をやってきましたか」という問いであり、もう一つは「あなたは今から何をしたいのですか」という問いです。
 この二つの問いに対して明快に説明できなければ、職業や仕事を獲得することはできないでしょう。「今から一生懸命頑張ります」というだけの人は、企業は欲しくないのです。何かを成し遂げた人でなければ、次に何かを成し遂げられないだろうということがわかっているからです。
 就職に限らず、この問いは普遍的なものです。現役のビジネスパーソンにも同様な問いかけをしてみましょう。あなたは自信を持って答えられますか?

以上の部分である。筆者の久恒氏は、日本航空を経て県立宮城大学の事業構想学部教授になった方だという。現在は多摩大学教授をされているようだ。本のタイトル通り、図解しながら考えをまとめたり「図読」しながら書物を読んでいこうと提唱している。その中で自分のキャリアや人生も図で考えてみよう、と勧めている箇所に出てくる一節である。

この二つの問いは単純明快な問いであるがゆえに、深く考え込まないわけには行かない。明快に説明するには、よくよく自分のこれまでを振り返って考えてみる必要がある。自分は何を成し遂げてきたのだろう。そしてこれから何を成し遂げたいのだろう。

久恒氏は三つの面で考えることを示している。まず何を学んできたかという「学習歴」。どういう経験や体験を積んできたかという「経験歴」。仕事の中身、挑戦したプロジェクト、成果は何かという「仕事歴」。この三つは、今から何をしたいのかでも使える。

「人生の区切りや年齢のとらえ方には、考え方がいくつかありますので、そのなかから自分に合ったものを選びましょう。」という同じ章の別の部分も面白かった。

人生五十年時代の人生訓に惑わされて「もう三〇歳だ」「四〇歳になってしまった」と途端にがっくりきたり、悲観する人がいるがそうではないと久恒氏は言う。人生八十年時代には新しい区切り方と考え方でいいのではないか。そう述べて、いくつかの実例が挙げられている。

たとえば十五年刻みで、10~25歳・学習期、25~40歳・基盤構築期、40~55歳・充実期、55~70歳・飛躍期、70~85歳・貢献期という分け方。四〇歳というのは社会に出て仕事を覚え始めた二五歳から、まだ十五年しか経っていない。そう考えれば「もう四〇歳か」ではなく「まだ四〇歳だ」と見方が変わってくる。私など「充実期」だからウハウハである。なにがウハウハだか分からないが、四〇の坂を越えて後は下る一方ですなどと言うよりもはるかに元気が出る。ことば一つでずいぶん気持ちも変わるものだ。

問題を多面的に考えるように、と生徒にはことあるごとに言っている。自分自身も物事を多面的に見るように訓練する必要がありそうだ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月16日 (土)

歩く旅

アスファルトやコンクリートに覆われた道を車で走りながら考える。この道の表面を一枚はぎ取れば、その下には土の道がある。視界に入るショッピングモールや銀行の建物は数年前には無かったものだ。時代をどんどん遡れば、ここは何もない一面の原中が広がっていただろう。

土の道の上を、ある者は自分の足で、ある者は馬や駕篭で通っていった。日が暮れれば真っ暗な闇が一面をのみ込んでしまったはずだ。家の中に入っても行灯やロウソクの明かりだから薄暗かったと思われる。

おのずと活動できる時間は限られてくる。日の出とともに起き出し、日の暮れとともに休む。自然の時間の流れが人の時間の流れと一致していた時代。おそらく不便きわまりなく映るであろう、現代からすれば。しかし反面、ゆったりとした時間の流れであるがゆえに現代では想像もつかないようなことがごく当たり前に行われていた。

たとえば伊勢参り。江戸時代、私の住んでいる辺りから伊勢参りに行って帰ってくるのには三ヶ月近くかかったようだ。旧暦の十一月下旬に出発し大晦日に伊勢に到着して、大晦日と元日の二回拝む。「二年詣り」と称したらしい。伊勢から熊野権現や高野山、四国の金比羅、戻る途中で長野の善光寺と各地を参詣して二月頃に帰ってきたという。

地域史の資料によると費用は当時米で十駄(七石)かかったらしい。現在で言えばどのくらいの金額になるのか。一石で銀百匁(もんめ)ほどとして、七石なら銀七百匁になる。金一両=銀六十匁で換算すると十一両半ちょっと。金一両を約11万6千円としておよそ136万円ほどだ。豊作の年が何年も続かないと行けなかったというから、今の世界一周旅行以上の旅だったのかもしれない。(金一両の金額は法政大学の田中優子教授の考えに基づく。以前の記事

てくてく歩き、宿屋に泊まり、遙か遠くまで旅を続けていく。今のわれわれには想像もつかないことである。実際に少しでも歩いてみれば分かるが、数時間歩き続けるだけで足が痛くなってくる。それを昔の人は歩いたのだ。幕末の志士たちも同様だろう。馬や駕篭で移動していたわけではあるまい。ひたすら歩いて同志を集めていったのだ。そう考えるとなんだか気の遠くなるような話に思える。

しかし、歩いたからこそ見えたものも多くあったのかもしれない。単に目的地に着くことだけでなく、そこへ行き着くまでの旅そのものが楽しみでもあったのだろう。便利になって点から点への移動という感覚しか持てなくなってしまったわれわれには、実感しにくくなっていることであるが。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月15日 (金)

思いを形に

偶然目にした広告ページの文章に感動してしまった。

Stellar Windowと名付けられた星空を観察するためのパソコン用ソフトウェアのページ(こちら)をたまたま目にした。詳細紹介のページに進み「開発者より」という欄の書き出しの文に興味を持ち、「本文を別ウィンドウで開く」というところをクリックしてみた。新しいウィンドウが開き、開発者の藤野真人さんという方の書いた文章が載っている (全文はこちら)。

なぜステラウィンドウと名付けたソフトを開発しようとしたか。病院に入院していたある小さい女の子のエピソードが語られている。そしてその女の子との交流から藤野さんは次のように思う。

 彼女たち長期入院の児童は、自由に外に出ることも間々ならず、仮に出られたとしても、散歩は昼の時間だけ。夜の星空を見ることはできません。病室の窓から見える、四角く切り取られた小さな空が、夜空のすべてです。
 彼女たちに、狭い病室の中でも、世界の広がりを感じてほしい、果てしなく広がる外の世界に希望を持ってほしい、壁や天井に仕切られたその先には、無限の星空が広がっているんだよ、と、私は、なんとか伝えたいと感じ―――――
 その想いが形を変え、ステラウィンドウ(星の窓)が生まれました。

製品や商品は、もちろん収益をあげるために作られ販売される。 株式会社というシステムでは株主の利益を守ることが最優先事項であり、経営者が個人的にどういう「思い」をいだいているかなど経営には関わりがない。それが一般的なあり方だろう。

このソフトを開発した「フェアリーデバイセズ」という会社は、東京大学構内の産学連携プラザというところに本拠があるようだ。株式会社ではあるが、小規模な会社なのであろう。大きくなればなるほど関係が無くなってしまう個人の「思い」。それがそのまま形にできる規模であるということは、ある意味で幸せなのかもしれない。

ものごとを成し遂げるのに一番必要なものは何か。いろいろと浮かんでくる。しかし、何よりもまず個人の「思い」が大事なのではないか。一人の人間の「思い」が、水面に投じられた小石のように波紋を広げ、多くの人に共鳴していって初めて物事は成就するのではないか。

「開発者より」と題された藤野さんのページの冒頭にフランス語の一文が載っている。

L'essentiel est invisible pour les yeux.

大学時代にフランス語を少しかじった程度だから、すっかり忘れてしまったが、おそらく「星の王子さま」の一節だと思う。大事なものは目には見えないんだよ。その通りだと思う。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月14日 (木)

B級映画に学ぶ

ジャッキー・チェンが若い頃に主演した「酔拳」という映画をたまたま観た。以前にも観たことがあり、たぶん三度目くらいだ。

何を隠そう、カンフー映画大好き人間である。中学生の頃はブルース・リーの全盛期だった。あの頃、ひそかにブルース・リーのヌンチャクの技をまねてみよう思った人は多いのではないか。クエンティン・タランティーノの「キル・ビル」を観たときに、ああこの人もブルース・リー映画が好きだったんだなと急に親近感を覚えてしまった。

ブルース・リー亡きあとのカンフー映画といえば、何といってもジャッキー・チェンとなるだろう。最近は本人の発言がいろいろ取りざたされているようだ。今や世界的な映画俳優になってしまったわけだから、発言も注目されるのだろう。しかし、ジャッキー・チェンの魅力はあくまでもあのカンフーアクションにある。「酔拳」を観ながらあらためてそう思った。

「酔拳」は単純な構成だが、ユーモアの多い明るい映画だ。低予算で作られた映画で、いわゆる「B級映画」の範疇に入るのだろう。この映画がジャッキー・チェンの主演映画としては日本で最初に上映されたものなのだそうだ。分かりやすい話であるが、この映画から引き出せるものも多い。

ジャッキー・チェンの演じる若者が、ユエン・シャオティエン扮するアル中気味の老師匠に弟子入りし、「酔八仙」という拳の奥義を伝授され、敵役を倒す。まあ、あらすじを言えばこれだけの話である。ところがこの映画には、何かを「学ぶ」ときに大事なプロセスがきちんと入っている。箇条書きすると次のようになる。

  1. 基礎訓練はみっちり行う
  2. そのためには本人の強い動機付けが必要
  3. ある程度の段階で実戦レッスンをする
  4. 本格訓練を行う
  5. 習得した技術を実戦で確認する
  6. 習得したものをもとに独自なものをつけ加える

以上を裏返せば「教える」プロセスにもなる。映画で老師匠は、田の字形に並べた水瓶の上に立たせて水を移し替えさせたり、胡桃を人さし指と親指だけで割らせたりと徹底的に基礎訓練をさせる(1の段階)。この段階で若者は修行に耐えられず逃げ出す。しかし、敵役に徹底的に叩きのめされ口惜しい思いを味わう。それをきっかけに老師匠の元に戻り修行を続ける覚悟をする(2の段階)。基礎訓練が仕上がる頃、市場に出かけていかさま賭博の元締めと対決する(3の段階)。その後老師匠から「酔八仙」の奥義を伝授される(4の段階)。敵役と対決し酔拳で闘う(5の段階)。しかし相手が酔拳を封じる技で応酬してきたため、「酔八仙」の技をもとにした独自の拳法技で敵役を倒す(6の段階)。

敵役との対決シーンに老師匠は姿を現し、若者にアドバイスをして6の段階まで導く。「少林寺三十六房」などもそうだが、カンフー映画の楽しみのひとつは、師に導かれながら本人が修行して成長していく姿を観ることだ。最初はまったく無理ではないかと思えるレベルが到達目標になっている。それを修行によって上りつめていく姿を観ていると、何かを習得するということはどういうことなのかと考えさせられる。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月13日 (水)

異色の歴史番組

NHK総合で火曜深夜に「タイムスクープハンター」という番組を放送している。ご覧になったことがあるだろうか。

厳密には水曜の午前0時10分からだが、NHKとも思われないような斬新な番組だ。かなり面白い。未来に存在するタイムスクープ社という会社が、タイムワープの技術を駆使して記者をあらゆる時代に派遣し映像を記録していくという設定だ。要潤が記者の沢嶋雄一に扮している。

何が面白いか。三つあげられると思う。まず、ドキュメンタリータッチで作られ非常にリアルな臨場感がある点。映像の処理の仕方なのだろうか、その場に居合わせているような錯覚に陥る。二つめは、取り上げられている人々が歴史上では無名とも言える普通の人々である点。加賀藩の献上氷を運ぶ人足のことなど教科書を読んでも出てこない。最後に、こんなこともあっただろうなという人間同士の葛藤や衝突などがうまく描かれていて、ドラマとしてもよくできているところ。毎回、おやっ、どうなるんだろうと引き込まれる出来事があり見ている側を飽きさせない。

残念なことに5月一杯で終わりだそうだ。あと2回、19日と26日の深夜に放送される分のみらしい。全8回という予定でスタートしたようだ。(追記: これは私の勘違いで19日に番組終了でした。申し訳ありません)これまでの放送分も全て見たわけではない。私が見たのは「江戸同心24時」「戦国救命救急士」「お氷様はかくして運ばれた」「沸闘!闘茶バトル」の4本だ。どれも面白く強烈な印象だった。

特に戦国時代の「医僧」を取り上げた「戦国救命救急士」はすごかった。戦国時代、戦(いくさ)には「医僧」と呼ばれる僧侶たちが同行し、傷を負った武将たちの応急処置を戦場で行っていたらしい。二人の「医僧」に密着取材という設定で話は進む。戦場の山中に仮小屋のようなものがあり、医僧たちはそこで応急処置をする。そこへ致命傷を負った味方をかついだ武将が現れ、こっちをさきに診ろと無理な要求をする。緊迫した感じが画面によく出ていた。

制作スタッフのコメントを読んで納得した。ドキュメンタリー色を濃くするため、マルチカメラにせずカット割も極力減らし1台のカメラで撮っていく。カツラを使わず役者の地毛で髷を結う。前頭部を剃る月代(さかやき)も本当に剃ったのだそうだ。なるほど。あまりにリアルな感じがして妙な気持ちになったのだが、そうだったのか。

こういう歴史の切り口もあるのだ。中学生や高校生に特に見てほしいと思ったのは、そこに出てくる無名の人たちが、実は私たちのご先祖たちの生きた姿に近いのではないかという気がしたからだ。たぶん実際、こんな風にして生きていたんだろうなと納得してしまう説得力が映像にあった。

あと2回で終了は惜しい。せめて半年でもシリーズ化してほしい。かなり話題になると思うのだが。それも今まであまり歴史に興味がなかった人が食いついてきてくれる番組だと思う。新シリーズでもいいので、継続を期待したい。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月12日 (火)

江戸的スローライフのすすめ・その11

景気が悪くなると、宝くじにでも当たらないかなあと期待する。一攫千金の夢である。そうすれば暮らしも楽なんだけど。そういう気持ちは江戸時代の人も同じようで、今の宝くじに相当する「富くじ」が盛んだったようだ。

落語に出てくる富くじは椙森(すぎのもり)神社や湯島天神など神社で開かれたものが多い。目隠しをした役人が、当たり札の入った箱に先に錐のついた棒を突き入れる。箱から出された札は子どもの甲高い声で「松の千五百三十二番」などと読み上げられる。一番富つまり一等ともなると、ざわついていた境内がシーンと静まり返り、みな息をひそめて見守っていたようだ。

富の札は一分金1つで1枚買える。一分金は一両の四分の一。さて現代の金額ではいくらくらいか。法政大学の田中優子教授によると、現代の米を1キロ450円として換算すると金一両は約3万8880円、金一分は9720円になるという。しかし、この計算でいくと銭一文が約6円となり、そばの値段の十六文が96円にしかならない。これは安すぎるのではないか。

そこで田中教授は視点を変えて、そば十六文の金額で考えることにした。現代のかけそばを安く見積もっても300円と計算すると、銭一文は18円。米を基準にした計算の3倍になる。そうすると金一両は11万6640円、金一分は2万9160円ということになる。この辺が妥当な線ではないかという。

これからすると、富の札一枚は約3万円である。おお、結構高い。現代の宝くじ100枚分ではないか。一番富=一等を当てると一千両もらえる。1億1664万円だから、今の宝くじの一等賞金とそれほど違わない。

せっかく一番富を当てても、肝心の富の札を無くしてしまうと賞金がもらえない。落語の「富久」に登場する幇間(たいこもち)の久蔵は、なけなしの一分をはたいて買った富の札を神棚の中に入れておく。ところが火事のお手伝いに芝の旦那の所にいっている間に、久蔵の長屋でも火事があり全焼してしまう。その後、椙森神社で一番富に当たって有頂天になるが、いざお金を受け取ろうとするときに札がない。だめだよ、札がなきゃ。そう言われてしまう。落胆した久蔵がとぼとぼ帰る途中、鳶の頭に出会う。「よお、久さんじゃないか」「あ、頭(かしら)」「お前さんとこの大神宮さまの御宮(神棚)を預かってるぜ、取りに来な」という話になり、めでたく賞金を手にすることになる。

この「富久」や「御慶(ぎょけい)」などでもそうだが、一番富を当てた人に対してすぐにもらって帰るか二ヶ月ほど待つか確認する。二ヶ月ほど待ってから受け取ると満額の一千両。その前だと二百両引かれて八百両。それでも9千万円以上だから、お金に窮している人々は、すぐもらいますということが多かったのだろう。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月11日 (月)

小さくてもキラリと光る

中小企業庁が「2009年元気なモノ作り中小企業300社」を選定したというニュースを目にした。

さっそく中小企業庁のホームページ(こちら )をのぞいてみた。いやあ、これはすごい。従業員20人以下の中小企業ですごいものを作っているところがこれだけあるとは。

たとえば従業員20人のTAKE Create Hagi(株) (山口県萩市)。竹の曲げ加工を可能にする技術を開発し、曲線を多用したデザイン性・希少性の高い家具を作っている。ここで作られた竹製椅子は、平成21年の米国アカデミー賞授賞式でも採用されているとのこと。実に美しいカーブを持った椅子で、実物を見てみたくなる。

また(株)TAMU(愛媛県松山市)は従業員17人の会社だが、270㎏にも耐える高い強度を有する紙箱や冷凍・冷蔵耐性のある紙箱などを開発している。ここは倒産した企業を従業員が再建し、紙箱作り90年の歴史と技術を受け継いでいるという。

さらに曲線でも並走撮影できるレールカメラを製造している(株)コスメイト(東京都八王子市)も従業員10人の中小企業。直線・曲線レール上を時速40kmのスピードでカメラが動き、ブレなく撮影することができるのだそうだ。このカメラのおかげでサッカーの試合などの時に、選手の表情や細かい動き、珍しい角度からのプレーなどの映像を見ることができる。

きわめつけは従業員1人の(有)岩井製作所(東京都大田区)。1000分の1ミリの高精度でシリンダーを真円に旋削加工する技術をもっている。コンピュータ制御ではできない加工なのだそうだ。旋盤作業をしているおじさんの姿が写真で出ている。たぶんこのおじさんが、1000分の1ミリの精度で加工する熟練の技を持った人なのだろう。

こうしてみると、すごい技術や発想を持った小さな企業が日本のあちこちにあることが分かる。規模の大小ではなくアイディアや技術で勝負しているところに感心してしまう。もともと日本にはこういう技術や発想を持った職人さんや職人気質の人がたくさんいて、それが日本の技術力を支えてきたのだ。小さくてもキラリと光る。他のどこにも負けない独自性を持つことがいかに大事かとつくづく思う。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月10日 (日)

地域計画の部会(第2回)

母の日の今日、地域計画策定委員会の第2回教育文化部会を開いた。

前回に引き続き、将来像を実現するために必要な方策を出し合う。その中で、前回子どもの教育の部分に議論が偏りすぎたので、もう少し広く地域の中で生涯教育や伝統文化も含めた議論が必要ではないかという意見が出された。私も同様のことを思っていたので、賛同し議論の幅を広げることになった。

いくつか具体的な方策をそれぞれ付箋に書き出し、柱にした三つのテーマに関連するものを貼り付けてみた。さまざまなアイディアがあった中で、すぐにも取りかかったらいいのではないかと思われるものもあった。

たとえば地域の良さを知るためのマップ作り。地域内には史跡もあるし、神社の祭礼もいくつかある。ミズバショウの保存地区などもある。しかし、古くから住んでいる住人でも知らないものがあったりするくらいだから、広く知らせるためにも作った方がいいのではないかという話になった。

もう一つは地元の商店街で作っているカレンダーについて。委員の一人の発言がおもしろかった。「実際うちでは、あのカレンダーをもらっても掛けることがないです。すぐゴミステーション行きですね」という。地域行事のスケジュールが載っていたり、どういう団体があるのか連絡先が載っているカレンダーを作ることもできるのではないかということになった。デザインも含めて地域情報が載っていて「使いでがある」カレンダーに変身させることを考えている。

他にも、さまざまな企画を実行に移そうと思ったときになかなか集まらない人材をプールしておく人材バンクのようなものなども出た。これらのアイディアを次回さらに検討し、最終的な計画案にまとめ上げていく予定である。

それにしてもアイディアを出し合う段階では、議論そのものよりも話が盛り上がる中でさまざまなものが出てくる方がいいようだ。実現性や実効性は後で議論するとして、まずどんなことが考えられるか、可能性の話としてたくさん出してもらうのと面白いものが出るのかもしれない。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 9日 (土)

ゴミを拾う若者たち

教室から帰る途中、ラジオから5月3日を「ごみの日」としてごみ拾いを実施した若者たちの話が流れてきた。

「1万人のゴミ拾いウォーク」と名付けたイベントで、全国で一万二千人ほどの参加者があったようだ。東京新聞のニュース記事

ラジオでは、「自分を変えたかったから」と参加した理由を語る若者の声を紹介していた。「自分が社会のために何かできることをしたかった」そういう答えもあった。 自分のできることを通じて社会に参加したい。人間が社会的動物である以上なくなることのない欲求の一つだと思う。

この若者たちの行動を「偽善的」だと片づける人もいるだろう。そんなことじゃ世の中変わらないんだよ、と訳知り顔に言う者もいるかもしれない。しかし、何もしないより何かした方がいい。変わらないと思っている人が多ければ変わらないかもしれないが、変わると思う人が増えれば世の中は変わっていく。もしかすると世の中が変わらない最大の原因は「あきらめ」なのかもしれない。

中学3年の国語の教科書に魯迅の「故郷」という小説が載っている。この小説の最後の方で、「私」という主人公は幼なじみのルントウが香炉や燭台を望む姿を見て相変わらずの偶像崇拝かと笑う。しかし自分の望んでいるものも手製の偶像に過ぎないのではないかと気がつく。そして希望というものは、初めからあるのではなく、地上の道のように歩く人が多くなればそれが希望になるのだと思いを改める。

何かしたいけれど何をしたらいいのか分からない。だけど何か自分も社会のためにしたい。こう思う人が増えれば、世の中まんざら捨てたもんじゃないなという状態に近づいていくのではないか。

学生運動が激しかった頃、私はまだ小学生だった。テレビのニュースで流れる映像を見ながら、なぜこの人たちは機動隊と衝突しているんだろうと思っていた。そういう社会変革を目指そうとした時代があったことをはっきりと記憶している。しかしその後、自分の学生時代も含めて若者の社会との関わりは希薄になっていった。どうせ自分一人が何かやっても変わりはしないよという醒めた「あきらめ」の空気が蔓延していったように思う。

だから、こんなふうに自分の身の回りの出来るところから変えていこうという若者たちの行動には大いに共鳴する。このような動きが継続していくことと多様な運動へ広がっていくことを期待したい。これから先の日本の社会は、君たち若者にかかっている。少なくとも長く生きている我々が主役ではない。「あきらめ」に呑み込まれてつまらない人生を送ってしまわないように、と「故郷」の主人公みたいに願っている。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 8日 (金)

歴史の重層する丘陵

昨日に続き歴史ネタ。

「聖塚」を見た後、教室に向かおうと車を出し、道路案内板を見ると「樺山遺跡」の文字。そうだ樺山の近くだった。ここも何度か訪れたことのある場所だ。なだらかな丘陵の上に縄文時代の竪穴式住居が何棟か復元され、遠くから見ると縄文時代の小さな村のように見える。その竪穴式住居のある場所から斜面を下ったところには、環状列石(ストーンサークル)がある。東北地方にはいくつかストーンサークルが知られているようだが、樺山遺跡にもきれいな形で残っている。

二十代の頃、この樺山遺跡のストーンサークルについて北上博物館の学芸員で桜の会会員でもあった熊谷明彦氏からレクチャーを受けたことがある。確かストーンサークルの石の配列と縄文人の心性を、ユング派の集合的無意識や曼陀羅の示す世界認識をまじえて論じていただいた。残念ながら私にはほとんど理解できなかった。その後、北上博物館の研究紀要に載っていた論文も読んだが、こちらの基礎知識が不足していてチンプンカンプンだった。今思うともったいないことをした。せっかく個人的にレクチャーしていただく機会があったのだから、もっと勉強してみればよかった。

昨日は、この樺山遺跡には寄らなかった。少し離れた道路を運転しながらちらりと眺めた程度である。国見山、聖塚、樺山遺跡。ずいぶんこの展勝地付近に史跡が集中してるなあとぼんやり思った。縄文時代の樺山遺跡。平安時代初期から院政期にかけての国見山。そして鎌倉時代の聖塚。聖塚はたまたま河野通信が流されて亡くなったために出来た史跡ではあるのだが、たまたまなのだろうか。国見山や極楽寺があったから、ここに配流されたのではないのか。そう考えれば、偶然とは言い切れないものがある。

なぜこの一帯に集中しているのだろう。半径1キロメートルもない丘陵地帯の中に集まっているのは、何か理由がないのだろうか。縄文人が樺山遺跡周辺に住んだのは分かるような気がする。北上川が近くを流れ、日当たりのよい丘陵で多くの山菜や木の実、キノコが採れる場所だったからだろう。魚を釣ったり小動物を狩猟するのにもふさわしい場所だったろうと思われる。しかしそれだけなのか。ストーンサークルが作られていることを考えると、ただ生活上の利便性だけでこの場所が選ばれたのではないような気がする。地の持つ「気」のようなもの。それが強くある土地なのではないか。

国見山は天台系の僧侶たちの修行の場であった。博物館学芸員の方から、この一帯が回峰行の場になっていたようだとも聞いた。山上の所々に堂があり、三重または五重の塔もあったらしい。これも偶然にここが選ばれたわけではないだろう。安倍氏の後は清原氏の庇護を受けた。その後奥州藤原氏の時代には、建造物のいくつかが平泉に移築された可能性もあるのだそうだ。

さらに時代が下って、ここは南部藩と伊達藩の藩境であった。藩境塚とよばれる土饅頭のようなものが二つ現在も残っていて、ほとんど毎日車ですぐ横を通り過ぎている。南部の殿様と伊達の殿様が境を決めようと約束し、それぞれの城を同じ刻限に出発して出会ったところで藩境にすることとなった。その時に何を勘違いしたか、南部の殿様は牛に乗って出かけたため大幅に時間がかかってしまったという伝承が残っている。北上川を西側に越えると「相去(あいさり)」という地名がある。二人の殿様が会って別れ去った所という伝承からついた地名とされる。ああ、そうだ。たしか「午」の字と「牛」の字の見間違いか何かのエピソードだったのではないか、南部の殿様が牛で来たのは。

関山の平泉辺りが南部・伊達の藩境であってもよかったはずだ。北上の国見山周辺を境とすることに何か別の理由があったのではないのだろうか。それとも本当に「牛」と「午」ののんびりしたエピソード通りだったのだろうか。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年5月 7日 (木)

聖塚(ひじりづか)

私の住んでいる北上市には「聖塚(ひじりづか)」と呼ばれている史跡がある。この聖塚というのは、承久の乱の際に後鳥羽上皇側につき、乱後陸奥国へと流された河野通信(みちのぶ)という御家人の墓である。伊予に所領のあった人で妻は北条政子の妹だったようだが、配流先の陸奥国で没する。

なぜこの墓が「聖塚」と呼ばれているのか。実はこの人の孫に遊行聖として知られる一遍上人がいる。諸国遊行で陸奥国を訪れたとき、祖父の河野通信の墓を訪ね、墓の周りで遊行念仏を踊ったことに由来するようだ。『一遍上人絵伝』という絵巻にも、この「聖塚」で念仏踊りをする一遍とその弟子たちの姿が描かれている。

長年訪れてみたいと思いながら、これまでたどり着けなかった。以前の記事で紹介した桜の名所の展勝地から極楽寺へ抜け、その先にあるはずだと思い何度か車で行ってみたのだが、途中で案内板を見失い行き着くことができないでいた。

今日、ふと思い立って教室に来る途中で別の道から案内表示を追いかけてみたら、思いのほか簡単にたどり着くことができた。入り口には「ひじり塚」という簡単な木製の案内板がある。この先百メートルの松林の中だと書いてあるので、車を降り松林の中へ向かった。左側はブドウ畑の緩やかな下り斜面となっている。松林には市の教育委員会が建てた「河野通信墓所」の石柱があり、その奥にお参りできるように墓石がある。卒塔婆も数本立っている。そして四角に土を盛った土台の上に半球を乗せたような「聖塚」があった。『一遍上人絵伝』と同じように塚の一番上に松が生えている。幹の太さからすると当時の松そのものではなく、その子孫にあたる木ではないかと思うが、それにしても絵巻の構図とほとんど変わらない。

同じ松林の中に市で建てた大きな案内板があり、冒頭にあげたような内容が書かれている。辺りは松の木が多く、その中に咲き始めた山ツツジの朱い花がちらほら見える。周辺には誰もおらず、畑仕事や山菜取りの人もいない。足下に散らばる松葉や松かさを踏みしめ、ゆっくりと塚の周りを巡ってみた。裏手は竹藪の斜面になっているため回り込めなかった。ざわざわと松の枝を鳴らして風が吹いていく。遠くで鳴くウグイスの声が時折聞こえるだけで実に静かだ。

こんな所まで一遍上人がやって来たんだと思うと、なんだか不思議な気分だった。一遍の名前は、鎌倉新仏教の開祖の一人として中学生にも教えている。その人物が実際にここに来ていたのだ。急に身近な人物に感じられてくるから妙なものである。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 6日 (水)

古典の底力・その10

このところ平安時代の古典をまとめて読んでいる。いよいよ「源氏物語」に取りかからなければ、ということで始めたわけではない。いや、半分くらいはあるかな。そろそろ「源氏物語」を読もうと思い立ったものの、登山と同じでいきなりエベレストに挑戦というのは無理である。足慣らしがどうしても必要になる。そこでまずは平安時代の物語や日記などから手をつけてみるかと考えた。

「竹取物語」が新鮮だった。最初から最後まで通しで読むのは何年ぶりだろう。高校生に古文を教えるときに必要になる箇所は限られている。そのため部分的に読み直すことは何度かあったが、全編読み通すのは大学以来かもしれない。

竹取の翁がかぐや姫を竹の中から見つける冒頭部分は中学の教科書にも載っているほど有名な箇所だ。ここで素朴な疑問。「竹取物語」はなぜ「竹取」物語なのだろう。竹取の翁は主要人物ではあるが、主人公はかぐや姫ではないか。「かぐや物語」あるいは「かぐや姫物語」なら分かるのだが。この冒頭部分の話が題名を決めているのだろうか。

五人の貴公子に求婚され、それを受けたくないかぐや姫は難題をそれぞれに出す。貴公子というと若者のイメージだが、右大臣阿部御主人(あべのみうし)や大納言大伴御行(おおとものみゆき)はどう考えても若者ではない。五人の貴人としておいたほうがいいかもしれない。五人の求婚はうまく退けるが、帝の求婚は断りがたい。しかしかぐや姫は拒否し続ける。どうしてもかぐや姫に会いたい帝は行幸に事寄せて不意に翁の家に立ち寄り、強引にかぐや姫に会う。その時かぐや姫はふっと姿を消し、帝は宮中に連れ帰ることをあきらめる。このあたりからかぐや姫の常人ではないことがさりげなく出てくる。

月の天人が迎えに来てのやりとりは、高校の教科書でもよく取り上げられている箇所だろう。帝のつかわした軍勢が金縛りにあったように戦意を無くし、塗込(ぬりごめ)の中に嫗といたかぐや姫が引き寄せられるように外へ出ていくなど超常的場面が続く。かぐや姫は月へ帰り、帝はかぐや姫が残した不死の仙薬を山の頂上で焼かせる。そこから「不死の山」=「富士山」と呼ばれるようなったというだじゃれのようなコメントで物語は終わりとなる。

今回読み返して、この親父ギャグのようなだじゃれ的語源説明が多くちりばめられているのに驚いた。商人にだまされて偽物の火鼠の裘(かわごろも)をつかまされた右大臣阿部御主人のエピソードの終わりには、「あへなし(どうしようもない)」=「阿部無し」という語の語源説明を入れている。えっ、ここにも、というくらい語呂合わせの語源説明がある。物語の進行とはあまり関係がないのではという気がする一方で、だじゃれが止まらなくなってしまった親父状態のようでなんだか笑ってしまった。

岩波書店の新日本古典文学大系によると、「竹取物語」に先行して「万葉集」に竹取の翁の詠んだ長歌というのが載っているのだそうだ。調べてみると、確かにある。竹取の翁が、丘の上で羮(あつもの、スープのたぐい)を煮ている九人の若い天女に出会う。「おじいさん、おじいさん、ここに来て火を吹いてちょうだい」と呼ばれた翁は「はいはい」と素直に応じる。ところが翁が天女たちのところに行くと、くすくす笑うばかりで、挙げ句に「誰がこんなおじいさん呼んだの?」と言われてしまう。翁はなれなれしく近寄った罪は歌を作って許してもらおうと長歌を詠む。若い頃はこれでも女性にもてはやされたもんですが、今じゃ皆さんに笑われるような爺さんになってしまいましたと嘆く内容の長歌である。

この万葉集の竹取の翁の話も「竹取物語」には関連があるらしい。新日本古典大系には田中大秀という江戸後期の国学者がまとめた「竹取翁物語解」の一部が載っていて、膨大な類話や関連のある話が紹介されている。どうやら「竹取物語」以前にさまざまな話があったことがうかがわれる。先行する話を吸収しつつ今の形になっていったようである。「今昔物語集」にも「竹取の翁、女児を見つけて養う語(こと)」という説話がある。この説話では求婚譚が五人ではなく三人であり、古い形の話の存在を推測させる。当然「今昔物語集」の方が時代的には後なのだが、説話として語り継がれてきた話に簡略な原形がとどめられているということなのだろう。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 5日 (火)

一番好きな季節

雑木林や近くの里山が淡い緑色に包まれている。一年で一番好きな季節がやってきた。桜の花が散り、さくらまつりの終わる展勝地、国見山にもパステルカラーのような新緑の淡い緑色が広がっている。

この淡い色合いの景色は長く続かない。あっという間に緑が濃くなり、初夏の日差しを照り返して生命力の旺盛さを強く感じさせる風景へと変わってしまう。そうなるまでのごくわずかな期間、いつも幸せな気持ちでこの貴重な景色を眺めている。

桜の花もたしかにきれいだが、桜は山一面にあるわけではない。新緑の淡い緑は山や雑木林の全体をぼんやりとベールに包んだように見せる。その中に遅咲きの山桜の花や八重桜の花がちらほらまじっていたりする風景はこの時期ならではだ。

一年が過ぎたのだなという気持ちを新たにする。もしかすると桜の時期よりもその感じは強いかもしれない。桜の時期はお花見のにぎやかさに紛れてしまうところがある。

どこにでもある、ありふれた風景である。しかし、そのありふれた風景がなぜかいとおしく思える。人生の折り返し点を確実に回ってしまっているからだろうか。杜甫の「城春にして草木深し」の感慨がしみじみと分かる気がする。季節は永久に巡り続ける。毎年毎年新たな生命を芽吹かせ、自然は残り続ける。だからどうだというわけではない。もう若くないのだということを嘆くとかそういうことでもない。ただ、このありふれた風景を飽きることなく眺めていたい。巡ってきた美しい季節の中にいることの幸福感をかみしめていたい。それだけのことかもしれない。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 4日 (月)

「間」が大事

先日、NHKのスタジオパークを何気なく見ていたところ、ゲストのナンチャンこと南原清隆氏がインタビューを受けていた。その中でミヤコ蝶々さんから教わった芸の極意の話になり、蝶々さんは「間が何よりも大事」と言ったそうだ。

説明をするときに一番よくないのが「立て板に水」なのだと聞いたことがある。よどみなく流れるような説明は、どこが問題なのだろうかと思ったら、聞いている人が受容する「間」がないからなのだという。確かに一気にまくし立てられると、相手の勢いにのまれてつい分かったような気になるけれど、実はよく理解していなかったということがある。自分の説明が本当に理解されるためには、相手にしみこむように待つ時間がなければならないのだろう。

この「間」というものは、あらゆるものに見出されるのではないだろうか。たとえば車のブレーキやクラッチの「遊び」と言われるものもそうだろう。ブレーキは踏んでいきなりきき始めるわけではない。踏んでもきかない部分が少しあってその先からきいていく。

話芸において「間」が重要であるのは、先にあげたナンチャンの話の通りである。たとえば五代目古今亭志ん生師の落語がなぜ他の追随を許さないものなのかといえば、絶妙の「間」を保っているからだ。いい加減な「間」と言ってもいいのだろうが、八方破れのような適当な芸のようでいて誰にも真似のできない話芸となっている。その対極の八代目桂文楽師の「間」は完璧に修練されたもので、これもまた他の追随を許さないものである。

若手の落語家たちが演じている噺をしばらく聴いていると気持ちが悪くなったことがある。これはおおげさに言っているのではない。志ん生や文楽、あるいは志ん朝や談志といった名人の話芸を長く聴いていると、「間」の取り方と呼吸が実に心地よい。それが駆け出しの落語家たちの話には欠けているのだろう。聴いている側の呼吸が乱れてしまい、気持ち悪くなったのだと思う。以来、若手落語家の方には申し訳ないのだが、くり返し聴くリストには入れないことにしている。

「間」がないと「間抜け」な話になってしまう。ふだんの説明でももう少し「間」の取り方を研究してみようかと思っている。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 3日 (日)

追悼・忌野清志郎ファンの一人として

忌野清志郎が2日、がん性リンパ管症のため亡くなった。58歳だった。

塾講師となって間もないころ、勤めていた塾は教室指導より家庭教師の仕事の方が多いところだった。その頃に家庭教師として教えていたある中学三年生の男の子が、忌野清志郎の大ファンだった。忌野清志郎の詩集「エリーゼのために」(彌生書房、1983年)も読んでいた。彼の部屋の机の脇に置かれていたその詩集に気づいて「清志郎ファン?」と訊ねると、男の子は少し気恥ずかしそうにうなずいた。

私も忌野清志郎ファンになったのは、中学生の頃だった。RCサクセションの「僕の好きな先生」がラジオから流れていた。その頃のRCサクセションはフォークグループだった。後にR&Bやロックの代表的なバンドになっていったが、私にとってのRCと忌野清志郎はフォーク時代のイメージが忘れられない。

なぜ忌野清志郎が気になる存在であり続けたのか。それは一つには彼の書く歌詞、言葉の持つ力によるものだと思う。ある時は社会的なメッセージを込めて過激とも思えるアジテーションを投げかけ、ある時は短編小説の1シーンのような美しい情景を見せてくれた。そういう個人と社会の両方へ視線を向けている姿勢が魅力だった。

過激なエピソードが数多く知られている。しかし、忌野清志郎のエピソードの多くは彼の子どものような天真爛漫さやいたずら心、あるいは反骨心に裏付けされた茶目っ気の表れだったのではないか。管理されない人間の象徴みたいな人物だったから、気になり続けたのかもしれない。

「雨あがりの夜空に」や「トランジスタ・ラジオ」がなんだかやたらに聴きたくなってきた。ご冥福を祈りたい。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年5月 2日 (土)

ブログのパーツを少し変えました

お気づきでしょうか?

カレンダーを「暴想」さんの作成したものに変えました。以前の月のカレンダーが出せるだけでなく、日付のところにマウスカーソルを合わせると記事のタイトルも出てきます。こういうカレンダーがほしかったので、「暴想」さんには感謝、感謝です。

ついでに同じ「暴想」さんが作った「サイト内検索」も設置しました。とても高速に検索できます。実はアクセス解析を見ていたら「筒井筒」のキーワードで入ってくださった方が、肝心の「古典の底力・その2」にたどり着かずに別の記事だけ読んで帰られたようだったので、なんとかせにゃならんなあと思っていたところでした。

googleなどの検索エンジンから入ると自分の読みたい記事がどこにあるのか分からず、結局諦めてしまったことがあります。googleにもサイト内検索があるのですが、今回設置した「暴想」さんの「サイト内検索」はココログの自分のサイト内のみを検索しますので、即座に目的の記事にたどり着けると思います。

「暴想」さんのリンクはこちらです。 カレンダー  サイト内検索

こういう便利なものを作ることが出来る知識と才能には、素直に感心してしまいます。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 1日 (金)

ビル・エバンス

先日、ビル・エバンスの’64~’75のコンサートやスタジオ撮影の映像を見る機会があった。’64年のコンサート映像を見て驚いた。三十代半ばの若い姿だが、その演奏の様子を見ると弾きはじめから弾き終わりまでうつむいたままなのである。顔が鍵盤とほぼ並行で、右腕の側からの映像は逆「コ」の字状態だ。キース・ジャレットの「ケルンコンサート」のジャケットなども「コ」の字ではあるが、最初から最後までこの姿勢ではないだろう。

小さなジャズスポットでの演奏なのか、ビル・エバンスのトリオと客席がフラットですぐ近くに客がいる。演奏が終わると、ビル・エバンスはちらっとだけ客席に視線を向けてすぐに次の曲に入った。恥ずかしげな様子とも少し違う。何と言えばいいのだろう。たぶん、演奏に集中し始めると自然にうつむいて鍵盤と顔が平行になってしまうようだ。

当然のことながら’64年のライブ映像のベースはスコット・ラファロではない。ラファロは’61年に交通事故で夭折してしまう。亡くなる直前の時期に録音されたビレッジ・バンガードでのライブは「ワルツ・フォー・デビイ」と「サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード」の2枚のアルバムに収録されている。「ポートレイト・イン・ジャズ」「エクスプロレイションズ」とともにラファロがベースだったときのトリオが残したリバーサイド・レーベルの傑作である。特に「ワルツ・フォー・デビイ」の美しい旋律と張りつめたような演奏は、とてもライブコンサートでの演奏とは思えないほどだ。

そのラファロの死からチャック・イスラエルを新しいベーシストに迎え、トリオでの活動を再開してから数年の映像が’64年の映像なのだろう。ビル・エバンスのピアノはどこから聴いてもビル・エバンスの音で、硬質で澄んだ、独特の感触がたまらなかった。

途中の年代からベースはエディ・ゴメスに変わる。エディ・ゴメスの緊張感が漂ってくる初期のころの映像があった。ビルはいつものように鍵盤に覆いかぶさるように弾き続け、ベースやドラムスを振り返ることすらしないのだが、背中でベースのエディに圧力を掛けているような迫力があった。スコット・ラファロにしてもチャック・イスラエルにしても、ビル・エバンス・トリオのベーシストは大変だったんだろうなと思った。ビルの要求するレベルの演奏が出来なければならないという緊迫感は、エディ・ゴメスの表情を見ているとひしひしと伝わってくる。それから数年後のスタジオ収録の映像では、そのエディ・ゴメスもすっかり貫禄が出てきてビル・エバンスと対等に渡り合っていた。成長せざるを得ない「場」があるというのは、すごいことだなあとあらためて感じた。

この十年ちょっとの期間のビル・エバンスはほとんど演奏レベルが変わらない。どこをどう切ってもビル・エバンスである。映像を隠して演奏だけにすると、年代の区別がつかないくらいだ。そして演奏時のうつむき姿勢も変わらない。あれはやはり集中しているときの癖なのだ。

最後まで見終わってふとあの姿勢はだれかに似ているなと思った。そうだ、「ピーナッツ」に出てくるシュローダーだ。小さなピアノに覆いかぶさるようにして弾いている男の子。ルーシーが思いを寄せているあのシュローダーの演奏している姿になんとよく似ていることか。まさか「ピーナッツ」の作者のシュルツさんがビル・エバンスの演奏姿をまねたわけでもないと思うのだが…。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ 教育ブログ 塾・予備校教育

人気ブログランキングへ 人気ブログランキング(教育・学校)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »