古典の底力・その6
講談社学術文庫の一冊に藤井貞和の著した「古典の読み方」という本がある。古典を本格的に読もうと思う方には最良の入門書になると思う。この本の冒頭に面白いことが書いてある。
…『源氏物語』を読んだ方がよい読者などというものが現代社会にはじめから存在しているとは考えられない。「何々を読んだほうがよい」という考え方こそ、古典を求道書か、さもなければ受験参考書かにおしこめる端緒となるものではなかろうか。(中略)現代における悩める精神の持ち主は、現代社会に立ち向かうことによってのみ健康になるのでなければならない。現代から逃避して、古典によって癒される、と考えるところに頽廃がしのびよる。古典はただ現代に生きてゆくもののためにだいじな人生上の情報を提供してくれるだけである。古典が求道書であってはならない理由だ。
「古典はただ現代に生きてゆくもののためにだいじな人生上の情報を提供してくれるだけである」という部分が新鮮だった。そこに道を求めるのではなく、大事な人生上の情報を読むという読み方は現代の我々が古典以外の本を読むときの態度と基本的に変わらないということだ。逃避や求道の手段としてではなく、一個の書物として接するという考え方は当たり前のようだが、なかなか気がつかない視点である。ついつい古典は別格というか、勉強しなければならないもの、学ばなければならないものという意識で読まれていることが多いような気がする。
昨年度まで在籍していた生徒に古典の大好きな生徒がいた。彼女は古典を読むのが「面白いから」読むのだと言っていた。現代作家の小説も古典も同じ平面上にあって、古典だから大事とか逆に古い話だからいやだとかいう感じ方とは無縁のようだった。そういう古典との接し方もあるんだろうなあとしか受け止めなかったが、上にあげた藤井貞和の文章を読んだとき、彼女の接し方が至極まっとうなものであることに気がついた。
遊びをせむとや生まれけむ たわぶれせむとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそゆるがるれ
平安末期の「今様」という当時の流行歌を後白河法皇がまとめた歌謡集「梁塵秘抄」に載る白拍子の歌である。今様は七五調の四句からなる。七五調のリズムは口になじみやすい。上の歌も声に出してみればその調子の良さを納得していただけるはず。この今様を歌った白拍子がどのような女性だったのかは分からない。けれども、この歌に込められた思いは八百数十年を経た現在の我々にも共鳴する。人の世にあることから生まれる諸々の思いには普遍性を持つものが多々あるのではないだろうか
そのように古人を隣人のごとく感じられる部分があれば、それが「現代に生きてゆくもののためにだいじな人生上の情報」となっていくのではないかという気がする。
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